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1140 霧の中の悪夢

 ファントムミストは、ただの霧ではない。

 一種の結界だ。

 故に霧の中でどれだけ騒ぎが起きようと外には伝わらない。


 ただし、内側は別だ。


「何が起きたっ!?」


 男が仲間に向けて怒鳴った。


「分っかんねえよっ!」


 仲間が怒鳴り返す。


「こんだけ霧が濃くちゃあなっ」


 別の仲間が吐き捨てるように言った。


「ギャーッ!」


 新たな悲鳴に全員がビクリと身を震わせる。

 幸か不幸か、霧のために誰にも見られることはなかった。


 目撃されていれば、きっとバカにされただろう。

 そのことに各々が安堵するも……


「ギャーッ!」


 またしても悲鳴が聞こえてきたことに身を固くする。


「どうなってやがる?」


 男は唸りながら問うた。

 それは誰かに向けてのものではない独り言だったのだが──


「敵襲じゃねえのか?」


 仲間の1人が何かを訝しむように答えた。


「そんな訳あるかよ」


 別の仲間によって即座に否定される。


「けどよぉ、あれは聞き間違いじゃねえだろ」


 悲鳴を根拠にして粘る仲間。


「何処に敵がいたって言うんだ」


 男があり得ないと否定する。


「そうだぜ、この辺りは隠れる場所なんてほとんどねえからな」


「この数を相手に突っ込んでくるバカはいねえって」


「意外と誰かがふざけているだけかもな」


 仲間たちが敵襲を主張する仲間の言葉を否定する。


「ギャーッ!」


 今度は先程までより近い場所の悲鳴だった。

 まだ距離はあるが、生々しく感じられる。


「ふざけてはないかもな」


 男が言った。


「「「「「ああ……」」」」」


「これって魔物が出たんじゃねえのか?」


 敵襲の意見を魔物に変える仲間。


「かもしれねえ」


 今度は誰も否定しなかった。

 あちこちで悲鳴が上がり始めていたからだ。


「くそっ、ヤベえぞ」


「見えなきゃどうしようもねえっ」


「魔物だって見えねえのに、どうやって動けるんだよっ」


「向こうは臭いで獲物に近づいているだけだろうぜ」


「何でもいい。

 他の奴らが襲われている間に逃げるぞ」


「どうやってだよっ!?

 何も見えねえじゃねえかっ!」


「見えなくても這いずっていきゃあ転ばねえだろうが」


「そんなんで逃げ切れるのかっ?」


 悲鳴はドンドン近くなる。


「それしかねえんだ。

 とにかく悲鳴の少ない方へ向かうぞ」


「……………」


「おい、どうしたっ!?」


「……………」


「返事しやがれっ!」


「……………」


「ちっ!」


 男は舌打ちすると仲間を見捨てる決断をした。


 いや、元から見捨てていた。

 仲間を囮にして自分だけは走って逃げるつもりだったのだ。


 この辺りは平坦で遮蔽物がない。

 霧が出る前からテントや物資などの障害物がない方向は確認していた。


 ぶつかる心配さえなければ走って逃げることは可能だ。

 奴隷になっているから逃亡はできないが、撤退は許されている。


「これは撤退だ」


 男は小さく声を漏らしてうそぶいた。

 そして走り始めようとして初めて気が付いた。


 体が動かない。


 一瞬で体の奥底から凍り付いたような寒気を感じた。

 どうあっても体が動かないのだ。


 男は見捨てたはずの仲間に助けを求めようとした。

 他に手はない。


 が、声さえも出せなくなっていた。

 出来ることといえば、息をすることと視線を巡らせるぐらい。

 指さえ石になってしまったかのようだ。


 その事実に驚愕し嫌な汗が全身に噴き出すのを感じる。


「ギャーッ!」


 悲鳴が間近で聞こえた。

 仲間の声だ。


「!!」


「ギャーッ!」


 また仲間の声がした。


 だが、何かがおかしい。

 今の声は何処から聞こえてきた?


 右でも左でもない。

 もちろん、前や後ろでもない。

 あえて言うなら自分の内側だ。


「ギャーッ!」


 この悲鳴で男は確信した。

 耳から聞こえた声じゃないと。


 その瞬間、生暖かい風と共に背後から怖気だつような気配が迫ってきた。


 憎悪、憎悪、憎悪、憎悪、憎悪、憎悪、憎悪、憎悪……

 数え切れないほどの殺意が集まってくる。


 男とて裏家業で生きてきた人間だ。

 生半可な殺気に怯んだりはしない。

 ギリギリの命のやり取りをしたことも一度や二度ではないのだから。


 しかしながら、その男でさえ感じたことがないほどの憎悪と殺意がぶつけられた。

 その瞬間に感じたのは紛れもなく恐怖だ。


 男はこれほど何かを恐れたことはない。

 今まで感じた恐怖など偽物でしかないと断言されているかのようだった。


 感じたのは抗い得ぬ絶対的な死の恐怖。

 この場に留まれば確実に死ぬ。

 何が何でも逃げなければと気ばかりが逸る。


 なのに、焦る気持ちとは裏腹に逃げることができない。

 体は言うことを聞かないし、悲鳴を上げたいのに声が出せない。


 そうやって必死で足掻こうとする間も四方八方から憎しみが降り注ぐ。

 尋常ならざる敵意を放つ気配は1人や2人ではなかった。


 もしかすると今まで殺してきた者たち以上かもしれない。

 その気配のすべてに頭の先から足の先までを掴まれている。


 いや、余すことなく埋もれていると言うべきか。

 逃げられる訳がない。

 殺意を放つ気配から執念を感じる。


 男はどんな罪を犯しても平気だったのが信じられないほど怯えていた。

 自分がしてきた以上の嬲りようでジワジワといたぶられると直感したからだ。


 何かが入り込んできた。

 手の先、足の先から何か染み込んでくる。


 一体どうやって?

 いや、そんなことはどうでもいい。


 凍てつくような冷たさを伴った何かが迫り上がってくる。

 まるで無数の虫に這いずられているような嫌悪感があった。


 しかしながら、それに抗う術はない。

 どうやって己の内側に入り込んだものを追い出すというのか。


 たとえ体が動かせたとしても不可能である。

 であるが故に男は絶望した。


 何かは憎悪の塊だ。

 殺意を抱きながら安易に殺そうとはしない。


 死は救済だと何かは言っている。

 聞こえた訳ではない。


 が、そう主張しているのは分かった。

 這い上がる何かから伝わってくるのだ。


 決して楽にはさせない。

 生と死の狭間で絶対的な恐怖を浴びせ続けてやると。


 男を苦しませることだけが目的なのだと知った。

 金や宝石でどうにかできるなら死に物狂いでかき集めようとしたはずだ。

 動けぬ男には無理な話ではあったが。


 仮に動けたとしても意味はない。

 どれ程の財宝を用意しようと何かは気にもとめないだろう。

 目的は一貫しているのだ。


 男は絶望すら生温いと思った。

 全身を埋め尽くすまでになった何かが絶えず暗澹たる憎悪を発し続けている。


 己の内側に汚泥のような負の感情を埋め込まれているかのようだ。

 あるいは亡者どもがひしめく底なしの泥沼に放り込まれたと言うべきか。


 そこに希望はない。

 ひたすらに溺れ続けるだけ。


 楽には死ねないのは分かった。

 諦めることすら許されないからだ。


 考えることも感じることも常に恐怖が中心にある。

 果たして死ぬことができるのは何時になるだろうか。

 そう考えた瞬間にそれが果ての果てであると知らされる。


 受けよ、恐怖を。

 もっと、恐怖を。

 余すことなく恐怖を。


 憎しみは津波のごとく押し寄せる。

 男は翻弄されるばかり。


 正気を保っていることさえ奇跡なのだ。

 遠からず発狂するだろう。


 狂えばいいと亡者が言った。

 永劫の恐怖の世界へようこそ。


 あらゆる角度から口々に亡者どもが言った。


 狂気に陥ろうと終わりではない。

 狂えども狂えども、その先がある。

 我らの恨みは果てしなく続くと。


 そこまでするかと男は憤りを感じた。

 それは折れる寸前まで追い込まれた男の最後の意地だったのだが。


 バカなことを言うな。

 この程度で泣き言を漏らすな。

 理不尽を押し通してきたのは貴様だろう。


 即座に罵声を浴びた。


 貴様は一度でも弱者の嘆願を聞き入れたことがあるのか。

 あるはずがない。

 あれば、ここまで深く濃く恨みを抱かれるはずがないのだ。


 亡者どもの反論は暴風がごとく。

 耐えることすらままならなかった。


 今まで以上に翻弄される。

 潰れてしまえとばかりに、あちこちから圧がかかっていた。


 全否定だ。

 そこにあるのは憎しみだけ。

 抗いようのない重さと圧力で押し寄せる。


 その渦に飲み込まれ押し潰された。

 抵抗は無意味。

 無防備な人間が猛威を振るう巨大な自然災害に抗うようなものだ。


 それを思い知らされる。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度でも。


 ただただ圧倒され続けるばかり。

 やがて、男は折れた。


読んでくれてありがとう。

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