1122 向かった先に居たのは……
スパイを動揺させる結果になったのは失敗だった。
ベルたちの仕事が一気に簡単になってしまったからな。
人気のない屋内で隠れている技量が足りていないスパイを確保するだけ。
2人が任務を了承した直後と比べると、難易度の差は明らか。
カーターを落ち着かせるためとはいえ迂闊な発言だった。
しかしながら、変化した状況を巻き戻すことはできない。
『しょうがないなぁ』
内心で苦笑していると、カーターが俺に向き直った。
「この様子だとカッツェが上手く収めてくれたかな」
「さて、どうだろうね」
そちらの様子は、あえて見ていない。
ムカつく相手を見るのは短い時間でお願いしたいからな。
「ちゃんと確認には行かないとね」
普通、そういうのは王様の仕事ではないんだけどな。
「それなら偶然通りかかったことにするといい」
「あ、やっぱり、そう思う?」
己のフットワークが軽すぎることについては自覚があるようだ。
「ラフィーポだかいう国の連中に軽く見られかねんぞ」
「たぶん今更だけどね」
そう言って笑うカーター。
苦笑ではない屈託のない笑顔。
達観しているのか諦観があるのか、そこまでは読めなかったが。
「そうは言っても、状況が違うからな」
「どういうことだい?」
「ストームに絡んだということはフェーダ姫も当事者ってことだよな」
「あー、私が血相を変えて飛んできたことにされてしまうのか」
「そゆこと」
「それだとカッツェが先に向かってくれたのは良かったね」
「だな」
「後は私がハルト殿を案内する体で行けばいいかな?」
「そうだな、それがいいかもしれない」
向こうが本国へねじ曲げた報告をするにしても容易く否定できる方がいいだろう。
他国の客人という証人が複数いた場合に向こうがどう対応するかは見物である。
「タイミングはどうだろう?」
真剣な面持ちで確認してきた。
敵に焦っていると思われては意味がないからな。
それなら、すべて片付いて解散済みの方がマシである。
「頃合いなんじゃないか」
「そうかい?」
俺の適当な返事に、カーターも軽く返してくる。
「では、行こうか」
「ああ」
ようやく移動だ。
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カーターの案内で来たのは屋内の訓練施設のようだった。
「ここも訓練場だよ」
訓練場に来るのは初めてだが、カーターは「ここも」と言った。
他の訓練場を回ってきたことにするのだろう。
「へえ」
「主に騎士たちが剣技を磨く場だ」
「ふんふん」
俺はカーターの説明に合わせて頷くだけだ。
床に這いつくばっている野郎どもがいるがスルーしている。
訓練場は静まり返っていたので俺たちの会話は、よく聞こえたことだろう。
風魔法で調整したから尚更だ。
「なっ、何者だっ!?」
誰何の声を上げたのは神経質そうな面構えの熊だった。
いや、熊を彷彿とさせる短足だがガタイのいいオッサンだ。
『誰かに似ているような……』
そんな気がして記憶をたぐってみた。
検索はすぐに完了。
『誰かと思ったら熊男に似ているんだな』
顔は別人だが、体型や雰囲気がよく似ている。
『熊男マーク2といったところか?』
不意にグランダムを思い出してしまい、瞬時に却下した。
マーク2なんて格好良すぎるニックネームは論外級でコイツには相応しくない。
『熊蔵で充分だろう』
身形はいいので貴族だと分かるのだが……
『似合ってねー』
致命的なまでに服との調和が取れていない。
スーツ姿の新入社員の方が遥かにマシである。
あちらは初々しさとかが感じられるからな。
このむさ苦しいオッサンに、そんなものなど感じられるはずがない。
熊に無理やり窮屈な貴族服を着せたと言った方がいいだろう。
おそらくは、この熊蔵がトーンとかいう隣国の貴族だ。
無様に這いつくばる姿のまま吠えた姿からは、貴族らしさなど微塵も感じられないが。
ただの負け犬である。
「無礼なっ!」
爺さん公爵が一喝した。
「陛下自ら案内を買って出られた客人であるぞ」
『おー、さすがは年の功かな』
爺さん公爵は打ち合わせもないままに状況に対応してきた。
俺たちの芝居に乗ってきた上に、俺が誰であるかも伏せている。
「貴様ごとき罪人が直言するなど許されることではないわっ」
『おおっ、大きく出たな』
思わず笑ってしまうところだったさ。
慌てて【千両役者】の御世話になったくらいだ。
『罪人ときたかー……
やるなぁ、爺さん公爵も』
まあ、ストームに決闘を挑んだ時点で言い逃れはできないがな。
たとえ隣国の王の親書を持ってきたとはいえ許されることではない。
いきなり斬り掛かっていたなら、その場で斬首されていたということもあり得る。
「ぐっ」
痛みに顔を顰めながら熊蔵が睨みつけてきた。
「陛下の、使者である……我を、罪人扱いするとはっ」
歯を食いしばりながら熊蔵が吠える。
次の瞬間には、クワッと両の眼を見開き──
「無礼者はその方であろうっ!」
一気に捲し立てた。
ただし、直後に血反吐を吐いてのたうち回っていたが。
『バカなの?』
「決闘に負ければ素直に従うと言うたは貴様であろう」
爺さん公爵が、心底バカにしたような目で見ながら言った。
「それとも口約束は約束ではないと申すか?」
爺さん公爵はフンと嘲るように鼻を鳴らした。
「な……ん、だと……」
熊蔵がどうにか声を絞り出すが、まともに喋ることができなくなっていた。
詰まりながら話すのは先程と同じ。
しかしながら声量は明らかに落ちている。
捲し立てた時に力が入りすぎて肋骨を道連れにしたのだろう。
出血の影響もあるかもな。
『何にせよバカだな』
怒りにまかせて吠えるからだ。
「口先だけでまともに約束も守れぬのかと言っている」
言葉はもちろん、視線でも爺さん公爵の挑発は止まらない。
侮蔑が込められたことが分かる目で見られた熊蔵は怒りに肩を震わせていた。
それは爺さん公爵にも見えている。
だが、止まらない。
「その程度の約束も守れぬような輩が王の使者などと笑止千万!」
そこまで言い切って、ようやく止まった。
熊蔵の震えは止まらなかったが。
当然だろう。
プライドだけは高そうな輩を徹底して挑発したのだ。
「おっ……のぉ、れぇ……!」
時に怒りは痛みを凌駕する。
憤怒の表情を見せながら、ゆっくりと立ち上がった。
ブルブルと小刻みに震えているのは怒りのせいだけではない。
『やせ我慢かよ』
歯を食いしばる中に見え隠れする痛み。
「コ、ロ……ス、コ……ロス、コ……ロ、ス!」
憎しみに満ちた目で爺さん公爵を見ている。
『大事なことなので3回も言ってみましたって?』
お約束なら2回だろとツッコミを入れそうになったさ。
とにかく痛みに耐えながらも「殺す」を連呼する熊蔵。
その前に立ちふさがる者がいた。
「ぐっ」
熊蔵が呻きながらたじろいだ。
突き飛ばされた訳ではない。
間合いはもう少し余裕があったからな。
が、熊蔵が押し退けられたのも事実である。
威圧することで、それを為したのだ。
熊蔵の殺意を凌駕する気迫を一瞬だけ放ち止めた。
今の熊蔵は蛇に睨まれたカエル状態。
そして蛇は傭兵エクス・キュージョンに扮したビルである。
「一国の宰相を相手にそれを言うとは斬首ものだな」
木剣で己の肩を軽くトントンと叩きながら熊蔵に告げるエクス。
「だっ……黙れ、傭兵、風情……がっ」
「おうよ、如何にも俺は傭兵だが?」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らしながらエクスが応じた。
「だが、忘れてもらっちゃ困るんだよなぁ。
今はゲールウエザー王国の王太子殿下の護衛として雇われているってことを」
再びエクスが熊蔵を威圧する。
「ぐぅっ」
怯んだ熊蔵が表情を歪め歯を食いしばった。
苛立ちと痛みが、ない交ぜになっているようだ。
そこに殺意を振りまいていた時のような気迫はない。
完全に抑え込まれていた。
あるいは飲まれていると言うべきか。
「アンタが余所の国の貴族だろうが知ったこっちゃねえ」
『おー、言うねえ』
「殿下に刃を向けた時点でアウトだったんだぜ」
『あー、そりゃダメだな』
間違いなく国際問題だ。
「それどころか、殿下に殺意を込めて剣を振ったんだからな」
『完全に終わってるだろ』
「未だに殺意を残したままとあっちゃ排除しなけりゃならん」
もはや熊蔵に詰め腹を切らせるだけでは終わらない。
ラフィーポ王国はゲールウエザー王国に宣戦布告したも同然だからな。
無条件で向こうの王が謝罪しても戦争は避けられないだろう。
まあ、絶対に謝ったりはしないのは目に見えている。
姑息な手を使ってくる奴ほど無駄にプライドが高いものだ。
せいぜいが熊蔵を廃嫡して新伯爵に謝罪させるかどうか。
体裁だけ整えて幕引きをはかるって訳だな。
ゲールウエザー王国がそれで矛を収める訳がないことを承知の上でだ。
国力差は圧倒的なんだが、ラフィーポ側はその姿勢を崩すまい。
強気の理由は国境が隣接していないからだ。
以前に比べればバーグラーやその近隣の小国を併合している。
故に全体的に距離は縮まっているのだが。
それでもエーベネラント王国を経由しなければならないのは同じ。
旧スケーレトロ側からも向かえるようになったので警戒網は広げなければならないが。
ただ、向こうはゲールウエザー王国が友好国を巻き込むはずはないと読むだろう。
大国でありながら長らく戦争を避けてきたことを根拠にな。
決して間違いではないが、そうであるなら楽観が過ぎるというもの。
『しっぺ返しなんて言葉は知らないだろうしなぁ』
読んでくれてありがとう。