1121 Sを動揺させたのはカーター?
じりじりと時間だけが経過する。
未だに王城の庭に残っている俺たち。
移動しようと言っておきながら動けずにいた。
憂鬱そうなカーターの気力回復を待っていたからだ。
全回復は望んでいない。
次の問題に直面した時に耐えられる程度で充分なんだが。
ダメージは思った以上に深かったようだ。
原因は俺の発言なので申し訳なく思う。
耐えて強くなってくれとしか言えないことも含めてね。
しかしながら、カーターも打ちひしがれたままではない。
己の中で消化して整理しつつあるようだ。
その表情が徐々に変化している。
復帰してくるのも時間の問題だろう。
ならば後は動くだけ。
『さて、ここからが問題だな』
特にベルたちの方が。
2人は未だに動き出していない。
いや、それは彼女らに失礼な言い方か。
ベルとナタリーの婆孫コンビはスタンバっているのだ。
極秘任務には条件2があるからな。
間違っても、いきなりシュバッと消えたりはできない。
2人が動き出すのは俺たちが決闘騒ぎの方へ移動を初めてからだろう。
周囲に上手く気配を馴染ませておいて動かない。
誰にも気付かれずに皆がその場を離れたら本格的に作戦行動開始だ。
これが意外に難しい。
スパイも移動するからな。
幸いにもスパイは辛抱強くカーターをマークしたままだ。
カーターが移動を開始すれば、間違いなく動くだろうけど。
そのまま追ってくるのか仲間と交代するのか。
そこは分からない。
ベルたちは、そこを読んで動く必要があるだろう。
先読みと連携を駆使して追う必要がある。
移動先が分からない上に誰かに目撃される訳にはいかないからな。
目的地に到着するまでに終わらせないといけないという制限もある。
『お手並み拝見といこうか』
できれば暴走しない程度にお願いしたい。
そのあたりは心の中で祈るしかないのだけど。
もちろん祈るだけではない。
それなりに難易度の高い任務をこなすことになった訳だからな。
指示を出したのは俺だし、フォローもちゃんと考えている。
何かあれば対処できるように斥候型の自動人形たちは配置したままだ。
ステルスモードだからベルたちにも気付かれていない。
任務完了までに気付かれるようなことがあればボーナスものだと思う。
『そう簡単にボーナスはやれないがな』
え? そこまでするなら最初から自分でやればいいのにって?
ごもっとも。
そうしていれば俺もミスしてナタリーからクレームを受けたりはしなかっただろう。
けれども、こういう作戦行動のノウハウを身につける機会を失うことにもつながる訳で。
2人が今回の任務において得たものを皆に伝えてもらうことも考えている。
ベルもナタリーも、その役を担うのに適しているんだよ。
ゲールウエザー王国の宮廷魔導師団で指導する立場だったからな。
人に教えるのは専門家だった訳だ。
作戦を実行する人選はレベルだけで判断したけどね。
でも、スムーズに教えられるなら、それに越したことはない。
そのあたりは帰ってからになるだろう。
『じゃあ、集中していこうかね』
【多重思考】でもう1人の俺を数人ほど呼び出した上で声を掛けた。
『おうよ』
『監視は任せろ』
『俺たちがいれば心配無用だ』
『大船でも泥船でも大丈夫だぜ』
『おいおい、泥船はやめておけ』
威勢のいい返事なんだが、微妙に不安がかき立てられる。
油断しているのは火を見るより明らか。
何人も呼び出したことで安心してしまったみたいだ。
他ならぬ俺のことだから間違いない。
俺自身が向こうの面子だったとしても同じだったはず。
『気を引き締めてかかってもらわないと困るんだが』
釘を刺しておく。
『『『『『分かってるさ』』』』』
返事が調子の良いことを言っているだけに聞こえてしまった。
気分は糠に釘である。
被害妄想がすぎるのだとは思うけどな。
『泥船は冗談だって』
『ホント、頼むぞ』
ここぞとばかりに念押しする。
糠だろうが何だろうが刺した釘が抜けなければ良いのだ。
『自分だけでやるなら、こんな心配はしないんだからな』
任務を遂行するのはベルやナタリーなのだ。
この2人の心配をしないのは良くない。
忘れている訳ではなくても、油断すれば同じことである。
『だから、分かってるって』
『調子に乗りすぎたな』
『油断は禁物だ』
『確かにそうだが、心配しすぎで面子を多くし過ぎたのもその要因だろう』
その点は否定できない。
耳の痛い話である。
だが、分かっていてもそれをしてしまうのが俺だ。
『そりゃ、しょうがないさ』
『そうそう』
『だよな』
もう1人の俺たちも理解している。
『『『『『だって[過保護王]だもんな!』』』』』
称号は伊達じゃないってね。
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カーターが覚悟を決めた顔になっていた。
「行けるか?」
「ああ、急ごう」
ようやく復帰してきたカーターが焦っている。
「その必要はないぞ」
「どうしてだい?」
焦れったそうに足踏みをしながら聞いてくるカーター。
こうしている時間さえ、もどかしいと言いたげだ。
「城内の気配に乱れがないんだよ」
ピリピリした殺気も、いつの間にかなくなっていた。
先程までは割と明確に感じていたんだけどね。
まあ、これについてはカーターでは感知できないだろう。
「え?」
短く問い返してきたカーターの顔には何を言っているのか分からないと書かれている。
「騒動が大きくなっているなら城内はもっと騒がしくなっているだろう?」
殺気は感知できなくても、そのような事態になれば必然的に騒ぎになるだろう。
喧噪が聞こえてくれば誰にでも分かる。
「……………」
カーターが足踏みを止め、ゆっくりと周囲を見渡した。
「っ!?」
偶々最初に向けた視線が、スパイの隠れている方だったのは偶然だ。
それが分からないスパイは大慌てで隠れていた。
カーターはスパイが身を隠したことには気付かなかったが。
見るというよりは音を聞き取ろうとしているかのような仕草だったしな。
とにかく、必死で聞き漏らすまいとしている。
スパイはスパイで大変なようだ。
見つかったんじゃないかという焦りを気配から感じるし。
殺気ではないがピリピリとした緊張が伝わってきた。
カーターの突発的な行動がそれだけ予測不能だったのだろう。
壁に背を押し付けるようにして隠れ、必死で息を押し殺していた。
『あの様子だと、しばらくは動けんだろうな』
緊張が収まらないことには、半ば金縛りも同然の状態だろう。
内心では『見られたかも、どうしよう?』が渦巻いているのではなかろうか。
そう簡単に動揺が収まったりすまい。
もっとも、カーターは違和感さえ感じていない様子だったがね。
向こうはそれを確認できる状態ではないから無理もないけど。
カーターが視線を向けた瞬間、咄嗟に覗かせていた顔を引っ込めたのだ。
今は完全に身を潜ませて様子を窺おうともしない。
本人的にはギリギリのタイミングだったのが動揺を拡大させているみたいだな。
『あまりに突発的すぎて冷静に対応できなかったというところか』
だから、壁に背をつけて微動だにしていない。
下手に動く方が最悪の状況に陥りかねないと判断したのかもな。
本当はどうなっているのか確認したくてたまらないようではあるが。
視線だけが忙しなく動き回っているのが、その証拠だ。
俺は【天眼・遠見】で監視しているので手に取るように分かる。
逃走経路や隠れ場所の確認という訳ではない。
どう見ても視線の先は壁とかだからな。
隠し通路や隠し部屋があるなら話は別だろうけど。
そういうものが無いのは分かっている。
視線の落ち着きのなさは、心もそういう状態であるからだ。
あの様子では心拍数が跳ね上がっているに違いない。
呼吸だけは無理に押し殺しているようだけど。
まるで、間近に追っ手が迫っているかのような緊迫感を漂わせている。
スパイ映画のワンシーンを見ているかのようだ。
『だから、気配が丸分かりだって』
スパイには悪いが苦笑を禁じ得ない。
変な人として認定されたくはないので表には出さないが。
とにかく、本物のスパイならこういう時こそ焦らぬように訓練を受けているはず。
彼女も本物ではあるのだが……
訓練が足りていないのは明らかである。
『これが借金奴隷をスパイにする限界か』
犯罪奴隷なら奴隷になる前の経験しだいで即戦力になり得る。
スパイとして送り込んだ場合、信頼性に疑問が生じることになるがな。
このスパイはその点において特に素人くさいのだけれど。
『いくらスキル持ちだからって、よく送り込む気になったな』
それくらいトラブルに対する対応能力が鍛えられていない。
こういう場合は特殊な呼吸法やら何やらで落ち着くことから教えると思うのだが。
動揺しないように鍛えるのは、それからだろう。
だが、落ち着くことさえできているようには見えない。
どうにか息が荒くなるのは堪えている。
何も教えられていない訳ではないようだ。
あとは、とにかく動かない。
こちらに顔を覗かせるのは悪手であるということだけは徹底されているようだ。
よく見れば、耳がピクピク動いている。
慌ただしくなるかどうかで自分のことに気付かれたかどうか判断するつもりなんだろう。
『妙なところだけ冷静だな』
それだけ必死なんだとは思うが。
一目散に逃げ出すこともない。
こういう時は体が強張ってドジを踏むことも考えられるからな。
よくあるのは、何かを踏みつけて気付かれるパターン。
『動揺している時に発見されるくらいなら落ち着く時間を確保するってことか』
おそらく落ち着くまでは隠れ潜むことだろう。
俺たちが移動しても、しばらくは動くまい。
読んでくれてありがとう。