1117 ちぐはぐなS
カーターが俺の問いかけに驚いたまま固まってしまっている。
俺たちが到着してから見られていることには気付いていたんだが。
物陰から様子を窺っているのは気配でバレバレだ。
が、丸っきり素人という訳でもなさそうなんだよな。
微動だにせず監視を続けるのは意外に難しいからね。
「……………」
カーターは何も答えない。
『ほほー、気付いているのか』
鑑定したら監視者はスパイで【読唇術】を持っていたのだが。
カーターがどうやって気付いたのかは興味深いところだ。
いずれにせよ、向こうに気付いていることを悟られたくないのは分かった。
ちなみに俺は背中を向けているから読まれることはない。
『さて、どうしてくれようか』
相手はメイドの格好をしている。
もちろん女だ。
もし、あれが女装した男であるなら元はかなりの美形だろう。
スパイは物陰に身を隠して微動だにせずこちらの様子を窺っている。
位置取りも上手い。
他の者たちから見つかる恐れの少ない場所に隠れている。
あれなら他のメイドに目をつけられることもないはずだ。
『仕事をサボって諜報活動に勤しむか』
素人が相手なら気付かれないだろう。
気配の消し方を知らないらしく、その点においてはスパイとして落第ものなんだが。
お陰で俺には最初から丸わかりだった。
『なんかチグハグなんだよなぁ』
スパイは険しい目でカーターを見ている。
そこに込められているのは悲壮感を漂わせた決意か。
少なくとも憎しみは感じられない。
いずれにせよ感情を押し殺せないのでは素人だ。
気配を濃厚にしてしまうからな。
『訓練を受けた立ち方してるのに台無しだ』
そのお陰でカーターたちは気付いたのだろうが。
とはいえカーター自身には、そういう察知能力はない。
気付いたのは近衛騎士あたりだろう。
それでスパイが捕まっていないのは泳がされているからだと思われる。
『ここで俺が直に手を出すのはマズいだろうな』
それでも、やりようはある。
【天眼・遠見】で御尊顔も拝ませてもらったし。
とりあえず斥候型自動人形を何体か張り付けておく。
仲間に接触すれば、即座に対応できるようにな。
『それにしても……』
しばらく顔を見せない間にエーベネラント王国にスパイが紛れ込むとは思わなかった。
色々あった上にスケーレトロを併合したばかりで、まだまだ大変な時だというのに。
面倒極まりない話である。
他国ならともかく、友好国ならスルーして終了って訳にもいかない。
『なんで厄介の種を蒔いてくれるかね』
もっと空気を読めと言いたいところだ。
いや、空気は読んでいるのか。
スパイを送り込んだ国が自国の都合に合わせた空気ではあるが。
向こうにしてみればエーベネラント王国は他国なのだし。
『他国の都合など考慮に値しない、か』
そう考えればスパイが潜入して当たり前の状況ではある。
隣国と戦争になりかけたのに何事もなく回避しているのだ。
そればかりか戦争を仕掛けようとした国を属領として併合したとあってはね。
警戒してスパイを送り込もうと考えるのも無理はない。
『それにしても【読唇術】持ちの奴隷を送り込んでくるとは……』
あまりに胡散臭く感じたのでフルで鑑定させていただきましたよ。
最近になって田舎から出てきたことになっている。
実際には隣国から国境を越えて来ているがな。
丸っきりウソという訳でもないので引っ掛からずに採用されたようだ。
越境については黙っていただけ、と……
『採用担当者は何やってんだよ』
突っ込んで聞いていれば、答えざるを得なかったはずだ。
事情は、ほぼ分かってしまったが厄介ごとになりそうで気分が重い。
彼女はウソはつかない。
意図的に情報を隠しはするけどな。
借金奴隷であることやスキルを持っていることは伏せている。
バレてもおそらく、こう言うだろう。
「聞かれなかったから」
巧妙である。
そういう訓練を受けたのかもしれない。
なんにせよ、借金奴隷を諜報員に仕立てるとは思わなかったさ。
こういうのは使いつぶしが利く犯罪奴隷がやるものだと思ったからね。
だが、よくよく考えれば犯罪奴隷よりも御しやすい。
この奴隷は家庭の事情で借金を抱えることになったようだしな。
そういうタイプは真面目に借金を返そうとするだろうし。
奴隷だから裏切ることはないにしても、真面目にやるかどうかは別問題だ。
犯罪奴隷なら命令に背かない程度に手を抜くことは充分に考えられる。
スパイなんて逃亡後ならともかく、現地で発覚したら殺されかねないからな。
いかに魔法的な縛りのある奴隷であろうと命に関わる時は縛りが緩くなる。
そこを逆手に取る訳だ。
成果次第で簡単に斬り捨てられる場合はそれも無理があるとは思うけど。
熊男が引き連れていた連中やバーグラーの時がそんな感じだろう。
ただ、長期にわたって潜入するスパイは監視の目も届きにくい。
あらゆる状況が生命を脅かすリスクとしてサボる口実にできるだろう。
知恵が回る奴なら、たまにそれなりの報告をしてサボりが発覚しないようにもするはず。
その点、借金奴隷であれば人選がしやすい。
性根だけは訓練で変えられるものじゃないしな。
中にはいい加減な輩もいるかもしれないが。
けれど、犯罪奴隷のように端からサボろうとする者は見分けやすい。
どんな借金の仕方をしたか調べるだけで、おおよその見当がつくからだ。
人選が終われば後は技術を仕込むだけ。
その結果として、あのスパイは【読唇術】や【偽装】のスキルを得ている訳だ。
一般スキルでも得るのが難しいと言われているのに、どちらも上級スキルである。
『どれだけの奴隷を訓練した結果なんだろうな』
彼女の同期でさえ3桁に達するかもしれない。
過去に遡れば、どうなることやら。
それでもスパイとして仕上がるのは一握りにすぎないであろう。
スキル持ちは更に減るはず。
『気配の消し方に難があっても使いたがる訳だ』
【偽装】スキルを使えば奴隷であることを隠しやすいし。
【読唇術】スキルでより多くの情報を掴める可能性が高いからだ。
難点も承知の上で使うなら、やりようはあるってことだな。
怪しげな行動を見咎められても決定的な証拠を押さえられなければ良いのだ。
この時点で、このスパイの任務は機密情報などの奪取でないことが確定した。
実行させても逮捕されるのがオチだ。
もちろん何も盗み出せずに終わるだろう。
だが、盗み聞きをさせるだけなら使える。
そういうことに助けとなるスキルを持っているからね。
現場で捕まっても言い逃れはしやすい。
証拠など何も持っていないのだし。
そういうものは、すべて頭の中って訳だ。
場合によっては拷問にかけられる恐れもあるがね。
そうは言ってもエーベネラントは穏健な方だ。
よほどでない限り尋問はあっても拷問はないだろう。
『それを見越しているんだろうな』
スパイを送り込んできた相手の思惑が透けて見える。
ぶっちゃけると、舐められている訳だ。
お陰でちょっとキレそうになったさ。
『キレるのは相手のホームグラウンドでだけどな』
とはいえ、決定事項ではない。
エーベネラント王国に手を出そうとしているのか否かで決めるつもりだ。
単なる探りなら逆に監視対象にするだけで終わらせることもあり得る。
侵略ではなくても貿易などの交渉を有利に進めるための情報収集なら締め上げる。
要するに、カーターたちが不利になるようなことを目論むかどうかが判断の分かれ目だ。
企みがあるなら潰すことも辞さない。
『貴族とかの独断だったら楽なんだけど……』
その家だけ没落させて終わりだからな。
後始末も国がするだろうし。
まあ、十中八九そうはならないだろう。
借金奴隷を大量に仕入れて密かに訓練するのは一貴族では無理がある。
複数の商人がスポンサーということも考えられるが……
『普通は国家単位でやってると考えるよな』
こういうときに楽観主義は禁物である。
情報を集められるだけ集めて、どうするか決定しよう。
『まずは事情聴取からかな』
カーターたちに話を聞いて方針なども確認しておかねばならない。
「やはり、ダメかな?
残りのコレクションを見せてほしいというのは」
カーターは呆気にとられたように口をポカンと開けた。
すぐに監視している者の正体を問いかけた時のように難しい顔へと戻ったが。
これが芝居だということを察したようだ。
腕組みをしてもっともらしく考える振りをした。
目を閉じて唸る様は堂に入っている。
遠目にも悩んでいるのが分かるだろう。
それでいて、くどさは少しも感じさせない。
絶妙な芝居ぶりである。
あの妙なテンションも演技だったと考えれば納得がいく。
狙いは間違った認識を報告させることか。
あるいはスパイの油断を誘うためか。
『何にせよ、なかなか演技派じゃないか』
役者としても大成しそうだ。
まあ、一国の王が役者になることはないだろうけど。
充分に悩む素振りをスパイに見せつけてから、カーターは重々しく頷いた。
「他ならぬハルト殿の頼みだ。
秘蔵のコレクションをお目にかけよう」
「それは楽しみだね」
俺もカーターの芝居に付き合う。
でないと不自然に見えかねないからね。
こちらには【千両役者】がある。
対応するのは容易かった。
スパイには俺たちのやり取りが芝居だとは見抜けないだろう。
周囲に目を配っていれば、あるいは気付けたかもしれないが。
爺さん公爵が困惑して固まっていたのだ。
状況の急変に付いて来られなかったようである。
なんにせよ、スパイはカーターの口元を注視しているだけだから気付かれなかった。
『下手にスキルを持っているのも考え物だな』
「では、行こうか」
カーターに促され、俺たちは王城の庭を去ろうとした。
「ん?」
こちらに走り寄ってくる気配を感じる。
王城内で走るなど、ただ事ではあるまい。
『やれやれ……』
俺は内心で溜め息をついた。
気配が接近するにつれ嫌な予感が膨らんでくる。
やがて慌ただしく駆けてくる足音が聞こえてきた。
「どうしたんだい?」
「ほら」
俺はカーターの背後の建物を指差す。
ちょうど、そこから血相を変えた1人の騎士が飛び出してきた。
『スパイの次は何なんだ?』
読んでくれてありがとう。