1027 怒気とムニュン
アスカミの顔が真っ赤になっていた。
地雷を踏んだも同然の状況と言えるだろう。
とはいえ猶予はあるようだ。
どうにか踏み止まってくれていることがうかがえる。
ただし、迂闊な言動は回避すべきだろう。
ジッとしてれば何もないが、動けばドカーン。
そんな状況だと思われる。
『爆弾処理班ーっ!』
そんな者はいない。
自分でどうにかしないといけないのは分かっているさ。
『だけどさぁ、これって俺が悪いのか?』
己の不始末なら仕方がないと思うのだが。
どうにもやりきれない。
俺が何かやらかしたとは思えないんだが。
そのあたりが未だに分からんしな。
ズルいと言われたけど。
それだけではサッパリ訳が分かりません。
「私の入る余地がありませんっ!」
ガウッと噛みつかれそうな感じで吠えられた。
いや、アスカミは犬じゃないけどさ。
なんか猛犬を彷彿させる感じだったんだよ。
普段が大人しいから余計に怖く感じるというか。
俺としては困惑するしかない状況だ。
『入る余地って言われてもな』
ますます意味不明なんですが。
そこを踏み込んで聞きたいところだったが。
「……………」
どうにか堪えた。
現状で聞き返すのはマズいだろう。
それだけでも爆発を引き起こす刺激になりかねない。
『考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろっ!』
余地ってのが何か分かれば突破口になる気がする。
だから聞かずに考えた。
そりゃもう必死ですよ。
涙目の女の子を前にして俺の罪悪感ゲージはレッドゾーンに入ったままだからな。
ただね、思考が回らんのですよ。
何故かって?
『あっちこっちムニュンムニュンでやーらかくて至福の感触だからですよっ!』
思わず力説してしまいたくなるが自重する。
ここで俺が吠えたら収拾がつかなくなるぞ、きっと。
とにかく至高の全周囲攻撃によって思考を妨げられているのだ。
……念のために言っておくが駄洒落ではないぞ。
至高と思考が被ったのは単なる偶然だ。
『あー、ダメだ。
集中できんぞぉ!』
考えようとすればするほど感覚が鋭敏になる。
そうなると程良い感触が頭の中へ溶け込んでくるのだ。
『思考だ思考っ!
とにかく考えろ!』
お題は余地とは何かである。
『余地って言われてもな』
余裕とかゆとり的な意味合いだよな。
あるいは……
『何だっけ?』
考えるたびにムニュンが頭の中に飛び込んできて至高を麻痺させる。
そう、まさに至高なのだ。
『じゃなくてっ!』
やらかいオールレンジ攻撃が至高なのは確かなんだが違うんだ。
違わないけど違うんだ。
『ええーい、ややこしいっ』
自分でも分からなくなってきたぞ。
『ピンチだっていうのに極楽って、どういうことよ』
自分で自分にツッコミを入れてもな。
特に今は思考が回らない。
『せめて両腕だけなら』
まだ何とかなったと思うんだが。
やらかいオールレンジ攻撃は伊達じゃない。
前後左右で逃げる余地もないからな。
『俺にどうしろと?』
考えるために逃げたいのに逃げられないし。
『ん?』
いま何か頭の片隅でやらかいものが、じゃなくて!
何か引っ掛かったぞ。
『何だろう?』
思い出すのも苦労するんだよ。
そういうときはログをチェックだ。
『…………………………………………………………………』
チェックするのも一苦労である。
恐るべし、やらかいオールレンジ攻撃!
戦慄している場合ではない。
引っ掛かりの原因が分かった。
余地だ。
俺は前後左右で逃げる余地もないと考えた。
そして、この余地はアスカミの言う余地と合致すると思われる。
アスカミから見ても入り込む余地がないからな。
『なんで、こんな所に入りたがるのかは分からんが』
それ以外に余地に関連するものがあるだろうか。
あったとしてもお手上げだ。
故にこの推測で押し通す。
間違っていたら盛大に自爆ってことになるだろうが、その時は仕方あるまい。
ひたすら謝って許してもらうさ。
「アスカミは俺の背後に回れ」
言いながら背中から抱きついているマリナミを理力魔法で少し押し退ける。
「あんっ」
『なんて声を出してんだ』
おまけに背中側のムニュンが押し退けるときの具合でより明確に感じてしまう。
相乗効果で増幅された至福に襲われてしまったさ。
悪魔の誘惑とも言うべきムニュンに耐えつつジワジワとスペースをこじ開ける。
「嫌なら元に戻すが?」
この一言で身動きせずにいたアスカミがシュバッと回り込んできた。
そして新たなムニュンである。
『あら、凄い』
わたし脱いだら凄いんです的な、やーらかさがありますよ?
俺がアスカミを地味子さんと呼んでいたのは全体的に地味な感じだったからなんだが。
それには雰囲気だけでなく体型的な部分も含まれていた。
ナイスバディが多い人魚組にしては控えめだと思っていたら大間違い。
『実は着やせするタイプだったのか』
文句のつけようがない至福の感触である。
気になったので【天眼・遠見】を使って背後のアスカミを見た。
さっきまでの怒気が綺麗サッパリ消えていたのでね。
満足げに笑っている。
しかも妖艶な雰囲気すら漂わせているんですが。
『マジですか……』
地味子さんな部分が一切ないというのが恐ろしい。
よく見れば拡張現実の表示が[恍惚]ですよ。
要するにアスカミもバンジージャンプでおかしくなった口な訳だ。
『これ、どうやって抜け出したもんかな』
それが問題だ。
ムニュンのオールレンジ攻撃から抜け出す方法を考えようとするも至高が止まらない。
そう、至高にして至福の感触に歯止めがかからないのだ。
アスカミの怒気を受けていたときは危機感があったからか、まだ考える気になった。
だが、危機が去った現状は気力が湧いてこない。
『しかも威力が増しているからなぁ』
なおのこと抜け出す気になれなかったりする訳で。
天国のようで天国なのだ。
『うん、訳が分からんな』
地獄のような状況が何ひとつないと言いたいだけなんだが。
しかしながら、ひとつだけ危機的状況になり得ることがある。
ベリルママを待たせているということだ。
それを思い出せば、さすがに血の気が引いた。
『もたもたしてるとヤバい!』
今はニコニコしているが、いつ痺れを切らすか分からんからな。
『そうなったら……』
ラソル様のお仕置き宣告時の恐怖ふたたびである。
『勘弁してーっ!』
あれだけは御免被る。
それを思えばムニュンのオールレンジ攻撃にも耐えられるというもの。
というより恐怖が触感の伝達を塗り替える感じだ。
確かにムニュンはあるが、それが至福ではなくなってしまっていた。
残念ではあるが有り難くもある。
とにかく思考をフル回転させるのだ。
焦りで空転している気がしなくもないけれど。
それでも考えることができるだけマシである。
ムニュンのオールレンジ攻撃を受けている時は空転以前の問題だったからな。
『おっと、脱線している場合じゃない』
どうにかして抜け出さないといけないのだ。
人魚組に怪我をさせずにという条件がつく。
強引に抜け出して治癒魔法というのは却下である。
緊急時なら、それも選択肢に含めただろうがね。
『穏便に、穏便に、穏便に……』
そうは思うが良いアイデアが出てこない。
そのせいか、つい縄抜けの要領でとかアホなことを考えてしまう。
ちなみに調べてみたら【縄抜け】は一般スキルにありました。
取らないけどね。
スキルポイントが勿体ないし縄抜けの応用で脱出したりはしない。
脳内でシミュレートしてみたけど怪我をさせる恐れがあるし。
それなら脱出マジックに挑戦する方がマシである。
『まあ、アレはトリックがあるだけで本当に抜け出せている訳じゃないしな』
念のために調べたさ。
そしたら【脱出マジック】も一般スキルにありましたよ。
『……………』
もちろん取らない。
普通にトリックで脱出したように見せるスキルだからな。
どう考えても、この状況をどうにかできるスキルではない。
そんなことするくらいなら転送魔法でも使った方が……
『あ!』
何故、忘れていたのだろう。
転送魔法を使えば一瞬で抜け出せますよ。
脳内でシミュレートしてみる。
安全性の検証は必須だ。
『ちょっと危なそうだな』
【縄抜け】スキルを使うよりはマシっぽいけど。
急に俺がいなくなることでグシャッと押し潰すような感じになってしまうのだ。
全方向からの将棋倒しといった感じか。
ただ、圧は少ないので将棋倒しほどの危険性はない。
『それでも頭にたんこぶくらいはできそうだ』
きっと痛い思いもするだろう。
涙目になった人魚組の顔が目に浮かぶ。
『あー、ダメだ』
祭りの最中に痛い思いをさせたくない。
『いい感じだったんだがな……』
読んでくれてありがとう。