1026 助けてください?
「ん?」
背後に気配を感じた。
スルッと後ろから抱きつかれたんですがね。
両腕が固定された状態だから回避する訳にもいかない。
殺気がなかったのでそのままにさせたが……
『左右どころか後ろからもかよ』
「うぉーい、誰だー?」
「さぁて誰でしょうか~」
クスクスと笑う声が耳朶をくすぐる。
『くすぐったいなぁ。
そして背中までやらかいぞ』
背中全面で至福の感触とか、どんな天国なんですかね。
変なフラグが立ちそうで怖いんですけど。
とはいえ夢のような感触には抗えそうにない。
「マリナミだな」
声で分かった。
あと、紺色の髪が視界に入ってきたしな。
「正解で~す」
またしてもクスクスと笑う。
おっとりさんが妖艶な雰囲気を醸し出すと破壊力満点である。
『両手に花どころではないんですがね』
そして目の前に無表情さんと眠そうなタレ目さんが来た。
クノミカとユリノエである。
「前からもかっ!?」
『しかもダブルでっ!』
2人がムニュッと抱きついてくる。
「おいおい、理性は何処に行った?」
「……関係ない」
「よく分からない。
でも、いい気分」
無茶苦茶な理屈である。
もちろん背後から抱きついているマリナミも含めて[恍惚]状態だ。
「俺にどうしろとっ」
「「「「「それはもうバンジージャンプですよっ」」」」」
全員そろって元気よく。
そしてケタケタと笑う。
『あー、ダメだこりゃ』
ほぼ酔っ払いのテンションである。
身動き取れない状態なのに、どうやってバンジージャンプしろというのだろう。
仮にジャンプする足場の所まで辿り着いたとしても離してくれそうにないし。
『この人数で一緒に飛ぶつもりか?』
恐ろしくて聞けない。
聞いたが最後、本当に全員でそろって飛ぶことになりかねないからな。
重量的には象が飛び降りても耐えられるようにしてあるけど。
頭数の多さには対応していない。
『1本のロープでは1人分のハーネスしかないぞ』
これでは同時に飛び降りるのは無理だ。
が、彼女らは──
「ちゃんとしがみついているから大丈夫ぅ」
とか返答しそうな気がする。
『シャレになってねー』
ほぼ、そのテンションではなく完全に酔っ払いと考えるべきかもしれない。
『どうするんだよ、これ』
振り払って逃げるのも一苦労だろうし、できればそうしたくない。
引き剥がそうとすれば抵抗するのは目に見えている。
『中身が酔っ払いだもんな』
そうなると怪我をさせかねない。
敵や悪党が相手なら何とも思わないんだが。
国民となれば話は変わってくる。
『俺、大ピンチ』
それ以前にヤエナミたちはどうするつもりなのか。
俺にしがみついたまま動こうとしないし。
『ホントにバンジージャンプはどうするつもりだよ』
ヤエナミたちの意図するところが分からない。
しがみついているだけだからな。
俺にバンジージャンプしようと誘いかけていたのではなかったのか。
が、下手に聞くと強制連行されそうな気もする。
だから迂闊に動けないし喋ることもままならない。
『触らぬ神に祟りなしとは言うけどさ』
既に触っているし。
触られていると言うべきかもしれないが。
『困ったものだ』
こうなりゃクールダウンするまで待つしかないかもしれない。
バンジージャンプで飛ばなければ脳内分泌物が出続けることもないだろう。
そうすれば酔いが覚めるように正気に戻るはずだ。
問題はどれだけ時間がかかるかである。
『ベリルママを待たせることになるよなぁ』
それだけが気がかりだと思っていたのだが。
「ん?」
不意に怒気を感じた。
殺気さえ込められていそうな凄まじいものだ。
『げっ!?』
咄嗟にヤバいと思ったさ。
それほどのプレッシャーを感じたのだ。
『まさか、またベリルママが!?』
埒の明かない状況にベリルママが痺れを切らしたのかと考えた俺である。
だが、それは間違いであった。
視界の片隅に捕らえたベリルママはニコニコと笑っている。
怖い笑い方ではない。
微笑ましいものを見るときの感じだ。
ちゃんと目も笑っている。
ベリルママは怖くない。
『じゃあ、誰だ?』
視界に怒りの主は入っていない。
身動きが取れないので【天眼・遠見】を使って索敵する。
すぐに発見しましたよ。
髪の毛が逆立ってれば嫌でも分かる。
ズンズンという効果音が聞こえてきそうな感じでこちらに向かってきた。
そして怒りの気を身に纏ったまま俺の目の前に立つ。
間合いはそこそこ空いているのにビリビリした怒気が伝わってくるんですがね。
それでいて静かだ。
だから余計に怒気が強調される。
その剣幕は大荒れの嵐であるかのごとく。
その目を見れば──
『ヒイイイイイイィィィィィィィィィィッ!!』
炎を感じるほどの激情がそこにあった。
彼女の何処にそんな激しさが眠っていたのか。
普段の地味で物静かな姿からは想像もつかない。
『地味子さんじゃないですか、ヤダー』
いや、彼女の名前はアスカミである。
物静かな性格で地味な雰囲気だから勝手に俺がそう呼んでいるだけだ。
もちろん声に出して呼んだことなど一度もない。
たとえ呼んだとしても普段なら怒られたりはしないだろうけど。
今なら地味子なんて呼び方をすれば殺されると思う。
内心であるからこそ逆鱗に触れずにいるのだ。
それほどの怒りがそこにあった。
そもそも何故に怒っているのかが分からない。
「えーっと、アスカミさん?」
とりあえず無難に呼びかけてみる。
「……………」
返事がない。
ジッと上目遣いで見てくるばかりだ。
なんというか子供が恨みがましそうに見てくる感じである。
そのうち涙なんか溜まってきちゃったりしてですね。
『何ですとぉ─────っ!?』
俺、大パニックである。
「怒るか泣くかどっちかに……」
アスカミの頬が紅潮してもはや泣く寸前である。
「いやいやいや、泣くのは勘弁してくれー」
身動き取れぬまま必死の思いで懇願する。
『ドウシテコウナッタ』
頭の中は今も混乱中だ。
「ううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ」
とうとうアスカミが唸り始めた。
『サイレンじゃないぞ』
いや、混乱しているからってボケている場合じゃない。
どうにかしないと収拾がつかなくなる。
『つかなくなるんだが原因が分かんねえっ』
こんなの対処のしようがないだろう。
無理ゲーもいいところである。
ハッキリ言って誰か助けて状態だ。
だが、ここに味方はいない。
奥さんたちも子供組もトモさんたちとも別行動になったからね。
え? ベリルママがいるじゃないかって?
いますよ。
傍観者を決め込んでますが、何か?
「ハルトくんモテモテねー」
ニコニコ笑ってこんなことを言ってくれるのである。
本当に楽しそうだ。
助けを求めても──
「えーっ、どうして!?」
とか言われそうである。
「泣く前に理由を語れ。
訳が分からんっ。
不満があるなら口にしろ。
言わなきゃ、どうしようもないぞっ」
自棄クソで捲し立てた。
とにかく感情のままに泣かれる訳にはいかない。
どうにか考えさせることができれば時間稼ぎくらいになるかと思ったのだ。
「ズルいです……」
アスカミが呟いた。
「は?」
「ズルいですっ!」
今度は怒鳴られた。
フーフーと息を荒げている。
その様は喧嘩腰の猫を想起させた。
不覚にも可愛いと思ってしまったのは内緒である。
それよりも何だか一方的に叱られているような気分だ。
が、泣かれるよりは遥かにいい。
泣かれたら罪悪感の奈落へ突き落とされていた気がする。
「何がズルいのか言わなきゃ分からんぞ」
その一言は不用意だったのかもしれない。
アスカミの顔が真っ赤になった。
『うわ、ヤバッ』
とは思ったが、言ってしまった言葉を引っ込めることはできない。
アスカミが思考寄りから感情寄りへと再びシフトした以上はな。
前言撤回とか言っても通じないだろう。
せっかく話ができるようになったかと思ったのに。
『やっちまったー』
様子見もせずに踏み込んだのは失策だ。
読んでくれてありがとう。