クローン裁判
彼は殺人事件の容疑で法定に立っていた。
正確には犯人として立っていた。
さらに正確には犯人として立っており、自分が殺人を犯した記憶もあるが自分の記憶ではなかった。
彼はその日とても酔っていて、些細な事で被害者と喧嘩になり、その際に手近にあったビール瓶で被害者の頭を叩いてしまい、結果として被害者は死んでしまった。
その状況が証言台に立つ被害者から細かく裁判官に説明される。
被害者の証言は自分の記憶ではないが、自分の記憶と一致しており、弁明をする気は彼は無かった。
無かったがやはり彼は腑に落ちず、納得しかねる情念が胸に渦巻いていた。
被害者は自分によって殺された。
そしてクローン技術によって再生された。
クローン法案が世界的に可決されたこの時代において、寿命、病死、それに近しい自然死においては遺族の希望によって再生しても可能なのだ。
そしてもう一つ。
事件性が認められる事件において、罪状を償うために、法定に立たせるために死亡した犯罪者を再生させる。
再生された人間は自分が死亡する寸前までの記憶を保持している。
彼は殺人を犯し、その恐怖から道路に飛び出しそのまま事故死した。
彼はその記憶を持っている。
だから彼は自分であった者の記憶を持っているが。
だからこそ死んだ自分の記憶を持っているだけのもう一人の自分であると理解している。
自分ではあるが別人。
他人であると感じている。
他者の人生をこのまま生きるのかと。
今後。服役したとしても家族を家族と思えるのか、友人をそのまま友人と思えるのかと考える。
自分のおかした罪を受け入れなければ、それらと同じ関わりをもつ事はできないだろう。
罪を受け入れるという事は自分を受け入れるという事なのだから、そう頭で理解しても彼を彼でいたらしめる人殺しという重みは彼には納得いかざるものがあった。
それを背負うには重すぎてしまう、昔の自分ではない自分の犯した罪なのではないのかと。
再生された自分の権利はないのかと、彼は思う。
不幸な過ちであり、事故ではあるが、被害者側も再生しているのだから、これはもう不問なのではないかという主張が喉まで出そうになる。
だがクローンが人間であると認められていなければこの裁判に意味はなく、それを否定しては自分もまた人間ではないと認めてしまう事になりそうで、その言葉はどうしても出せなかった。
それを否定してはいよいよ彼に居場所はなくなるのだ。
裁判長がガベルを振り下ろし、人間が長年の英知で形成した法によって、その人間の罪にふさわしい罪状を陳述する。
彼は腑におちないながらも、人らしくその罪なき罪を受け入れる。
受け入れてなお、被害者の目をみると思ってしまう。
思わざるをえない。
お前は他人のまま、自分になって何の疑問もないのかと。
そのまま塗りつぶすようにどうやら自分らしい、他人の意識を乗っ取って生きるのかと。
自分を演じ続けるのかと。
彼はうつむいてほくそ笑む。
俺は自分だがお前と違って他者となって自分として生きるぞと。
死んだ自分ではない、新しい命が彼の胸に芽吹く。
そして命を、生命を強く感じたからこそ、強く。
強く思ってしまうのだ。
殺してくれ、と。