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ルノワール城。ルノワール王国のシンボルともいえるこの城の玉座に、ある一人の男が座っていた。第七十九代ルノワール国王、セドリック・マギア・ルノワール。鍛え抜かれたその体を紅いマントで包み、顔に奔ったその傷が、幾多の修羅場を物語る。歴戦の勇将と謳われる男である。
そんな彼は今、神妙な面持ちで窓から町並みを眺めていた。街では子供たちが駆けずり回っている、そんな子供たちを優しい顔で見守る大人たち。
もうすぐ市場が開かれるので、みんな準備で忙しいらしい。今日も何事もなく活気付いている街を望み、セドリックは思った。
(できれば、失いたくないものだな)
その情報がセドリックの耳に入ったのは一週間前、バーク軍事連合の緊急会議でのことだった。バーク軍事連合とは、ルノワール王国のちょうど東に位置する〈バーク山脈〉周辺の三つの国が組んでいる連合である。
先の緊急会議では、なんとめったに姿を現さないはずのエルフ、それもその長が来ていた。そのエルフから告げられたのは、この世界を揺るがすほどのものだった。ーー魔王出現。
セドリックはすぐルノワールの各大臣を集め、会議を開いた。
「混乱を防ぐためにも国民には知らせないほうがいいですな」
「しかし、早く民にお触れを出して非難させたほうがいいのでは?」
「どこに避難すると言うのだね。王よ、それよりも軍備の増強が先決ではありませんか?」
「いつ現れるかわからないのなら、我々ルノワール軍も対策が立てようがないですな」
「そんなことでは困りますぞフィオベルツ将軍」
「……国民へは伝えず、このことも一部の信頼できる人間にしか伝えるな。軍備を整える、古くなった武具はすべて一新してできるだけ兵を集めろ、報酬は倍出すとな」
財務大臣は青い顔していたが、セドリックはこれでもまだ不安をぬぐいきれなかった。
魔王。セドリックは御伽噺の中の登場人物だと思っていた。圧倒的な力で世界を壊した魔王。その魔王を倒すために立ち上がった勇者が、数々の苦難を乗り越えながらも最後には魔王を倒す勇者の物語、セドリックが小さいころから慣れ親しんだ童話だ。
あの閉鎖的なエルフがわざわざ危険を知らせにくることが、ことの大きさを物語っていた。
しばらく魔王のことについて考えていると、突然扉を叩く音がセドリックの鼓膜を振るわせた。
「誰か」
「ガスパールにございます」
「入れ」
扉がゆっくりと開かれ、一人の老人が入ってきた。顔の半分が白いひげに覆われ、それに反して頭頂部は毛の一本も見当たらない。ガスパール・カルリエ、宮廷魔術師である。
「どうしたガスパール」
「準備が整いました」
「……そうか」
セドリックはガスパールとともに城の地下に降りていった。そこには複雑な魔方陣が描かれており、一人の男が立っていた。
「ご苦労だったなレオナール」
「はっ、ありがたきお言葉」
「ガスパール、始めてくれ」
「かしこまりました。レオル、始めよう」
おとなしく魔王にやられる気はさらさらない、生き残るためには何だってやる。セドリックは覚悟を決めた。
(最後まであがいてやろうではないか)
魔方陣が怪しげに、光りだした。