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チャールズ・マギア・ルノワール、十九歳。ルノワール王国第二王子である彼は、王国きっての秀才である。決して表舞台に顔を見せることはなく、いつも研究室である自室にこもっている。「絶対に邪魔しないでくれ」召使いにそういいつけ、誰も彼の自室に入ったものはいないという。社交界や庶民の間ではさまざまな噂が立っており、怪しげな人体実験をしているとか、自らの身体に改造手術を施しているなどという噂は絶えない。彼の父である当代のルノワール国王、セドリックは言う。
「彼奴の動向は私にも分からない、ただ言えることは彼奴が人間を人間と思っていないことだ」
彼の兄のフィリップは。
「あいつの部屋の前に行ってドアを叩いてみたが返事が来なかった。あいつと最後に会ったのは娘が生まれたときだから、もう三年も会ってないよ」
三年も外部との接触を絶っているなんて想像もできないと、フィリップは言う。
そんな彼だが、実は一部の貴族の女性たちに人気がある。誰も顔を見ていないのだが、兄のフィリップ皇太子が美男子であるからかっこいいはず、ミステリアスな感じがいいとの声が大部分だ。
さて、彼は今何時も通り研究室にいる……わけではない。
「チャーリー、こいつ持ってきな!」
「おっと、ありがとおっさん!」
「がんばってな!」
チャーリー……もといチャールズは、八百屋の親父からベルツリーの実をもらい、市場を駆け抜けていた。目指すはトレジャーギルドである。
「こんちはー!」
「おお、チャーリー今日も薬草かい?」
「決まってんじゃん!」
今日もチャールズは薬草採取の依頼を受け、森へと向かった。
チャールズはまごうことなき天才である。三歳の時には四則演算をマスターし、五歳の時には王宮内の本をすべて読破、七歳の時にはすでに新しい魔法陣を完成させた。十歳の誕生日に魔道具を作り始め、十二歳には薬草学の論文を発表して学会を震撼させた。誰もが彼の才能を羨んだ。
それでもまだ彼の探究心、好奇心は満たされない。彼は自室にこもって、研究していた。いつしか彼は自室にこもっているのが馬鹿らしくなった。
(こんな外と隔離されたところで研究していて外の事が分かるはずがない、自分の目で見て自分の肌で感じなければ)
だが彼は王族である、無闇に外に出られるはずがない。そこで彼は妹のエリザベスに協力を仰いだ。
「外に出たいんだがどうすればいい?」
「そんなの簡単ですわ、お兄様が研究室から出てこないということにしておいて、窓から出ればいいんですのよ」
「そんな簡単にいくか?」
簡単にいった。皆はチャールズが研究室にこもっているのだとばかり思い込み、だれもチャールズがいなくなっていることに気がつかなかった。幸いと研究室の下の部屋は空き部屋で、窓から降りても大丈夫だった。
「でも、そんなことまでしなくても、お父様に言えば外に出してくれると思いますよ?」
「無理だよ、あんな頑固親父が許可を出してくれるはずがない、そんなこと言ったらあのゴーレムみたいな力でひねりつぶされる。あれはもはや気性の荒いゴーレムだからね」
その会話の一部を通りがかったセドリックに聞かれているとも知らずに、チャールズは意気揚々と外の街に出かけていった。
「あいつは自分の親のことをゴーレムだと思っているのか!? 」
外に出たチャールズは街の風景に感動した。
(こんなに多くの人がにぎわっているなんて)
チャールズはトレジャーギルドで登録することにした。王宮育ちのチャールズはトレジャーギルドの汚さに驚愕した。ぐっちゃぐちゃ、もうぐっちゃぐちゃである。だがこんなことでくじけてはいけない、むしろ外のことをまた一つ知ることができた気がした。
チャールズは身分を隠すために、チャーリー・アボットとして登録した。初めて受けた依頼は薬草採取である。自分が扱ってきた薬草がどのように繁茂しているかを知っておきたかったからだ。その依頼を達成したときの感動は計り知れなかった。もらった依頼料はチャールズにとってはした金同然だったが、その達成感は論文を完成させたときのものとは違っていた。
(外に出てきてよかった)
それから毎日外に出るのが日課になっていた。チャールズの行動を知るものは、妹のエリザベスしか知らない。
その日、チャールズは何時ものように外に出るために窓から身を乗り出していた。だが一つだけ何時もと違うものをチャールズは感じていた。
(下に、誰かいる!)
やばい、この脱走は下の部屋に誰もいないからこそできていたのだ、人がいては無理である。
(だれだ、だれなんだ?)
と、思ったそのとき、足がすべり、下の部屋のバルコニーに落ちてしまった。バルコニーにおいてあったテーブルに背中から落ちた。
「がはっ」
息ができない、背骨に強烈な痛みが奔る。急に気持ち悪くなり、チャールズに吐き気が襲った。
(俺、このまま死ぬのかな)
そんなわけはないのだが、強烈な痛みの前では冷静に判断ができない。
「い、いててて」
やっとの思い出起き上がると、部屋の中から黒髪の少年がこちらを見ていた。
(……まずい)




