第九話 ~自称闇の陰陽師を救え~
八月一日蛍が、突如として
いなくなった。
改めてその知らせを受けた女生徒達は、
事前に知っていた数人を除き、驚きを
隠せないと言いたげな表情になっていた。
その知らせを教えた男性教師、案栖誠一郎は
まるで苦虫を噛み潰したかのような顔
だった。
「蛍……っ! やっぱり、あの子まだ家に
戻ってないの……?」
やはり、一番衝撃を隠せないのは彼女の
親友で、いつも彼女と一緒にいる、西園寺翠
だったのかもしれない。
桜色の綺麗な色目の着物に、小豆色の袴を
合わせた彼女は、華やかな着物とは正反対に
暗い表情になっていた。
桜色の飾り紐で結われた二つ結びの黒髪も、
どことなく元気がなさそうに見える。
「げ、元気を出して、ください」
薄桃色にも見える赤の洋装を着た、黒髪を
後ろで一つに結わえた、天屯巴が
慰めるが、ありがとうと返事は返るのに
彼女は落ち込んだままだ。
「止めておけ、巴。大切な友達がいなく
なってしまったんだ、落ち込んで
しまっても無理はないだろう?」
「はい……」
巴に声をかけ、紺色の着物を凛々しげに
着こなした、桂紫子は結わずに
垂らした黒髪を揺らしながら、彼女を席へと
戻らせた。
たしなめられた巴が、どこか悲しそうに
しゅん、となって座る。
「また事件が起こってしまうなんて……
怖いですわ」
「た、確かにこれで全部で三度目の事件、
ですものね……」
「あたしも、今回に限っては『事件だ、
つっきー!』って浮かれるような心境
じゃないなあ」
「浮かれなくていいんですよ、神無月さん!
ってか浮かれないでくださいね、絶対に!
しかもつっきーじゃないですってば!!」
橙色と白の格子模様の着物を着た、まがれいと
と呼ばれる輪っか状に髪を結った、氷名月瞳子、
紺と白の矢絣の着物に、おかっぱ頭の比賀谷月穂、
純白の着物に少しだけ短めの緋袴を着た、
垂らした黒髪の、神無月梓も神妙な
顔だった。
瞳子と月穂はともかく、いつもは真っ先に
『事件だ――!』とはしゃぐ梓も今回ばかりは
そんな気持ちにはなれないようだ。
私はつっきーじゃないとか、事件だって
はしゃがなくてもいい、というか絶対に
はしゃがないで、と月穂が言っているが
聞いていない――。
今日の家庭科の授業は、前掛けを作るという
内容だった。
赤や黄色や色とりどりの布が広げられ、女
生徒達は慣れた手つきで裁縫をしていく。
母親や侍女や乳母などに習っている生徒が
多いので、ほとんどの者は裁縫に手馴れて
いるのだ。
月穂は母親が裁縫上手なので習っていて、
梓は旧家の生まれで厳しく育てられたので
裁縫は上手く、瞳子は母親がそういう家事を
出来ない人なので練習したらしかった。
紫子と巴も裁縫するのに支障はないようで
すいすい針が動いている。
紫色の桔梗文様の着物を身にまとった、
紫色のリボンで髪を結い上げた、勘解由小路神菜
などはいとも優雅な仕草で縫い進め、その美しい
縫い目に見ていたほとんどの者がほうっ、と
息をついた。
神菜ほどではないけれど、淡い萌葱色の着物を
着た、桔梗の花簪で髪をまとめた、樹神菫も、
かなり綺麗な色目をしている。
それでも、神菜の作品の影に隠れてしまって
いるようであんまり注目は受けていなかった。
白に赤い花が散った着物を着た、黒髪を右側で
結わえた、松形咲良は、すでに
課題を終わらせてしまい、紫色の地味な色目の
風呂敷を縫っていた。
大切な人を思っているのだろう、その顔は
どことなく嬉しそうだ。
山吹色の無地の着物を着た、お下げに結った
黒髪の樋口環も、多少他の人達
よりは動作が遅いもののゆっくり綺麗に縫って
いるようだった。
しかし、何事にも例外はつきものである。
(裁縫なんて、出来なくても困ったりしない
わよ! 何なのよこれ! きい――っ!)
(痛……っ! 指を、針でついて
しまったわ……)
この中で裁縫が出来ないのは二人だけ
だった。
蓮が描かれた紅の着物に緑の袴を着た、
薄桃色のリボンで髪を総髪に結った、
神服観音と、純白の白の
洋装を着た、お団子に結った黒髪を持つ、
黒葛原汐莉だけだ。
観音は完全に癇癪を起す寸前までいっており、
汐莉は痛そうに顔をしかめている。
いつもは『我は闇の呪術師だからうんぬん』と
叫びだす、不器用な蛍がいるのにと思うと翠は
やはり悲しくなるのだった――。
事件が始まったのは、白菜がふんだんに
使われた、鳥肉のシチューをお昼に全員が
食べた後の事だった。
ほくほくに煮込まれた馬鈴薯が、ほど
よく混ざったシチューのルーに絡んで口の中で
ほろほろと崩れていく。
鳥肉も口の中でとろけてしまいそうなほど
柔らかかった。
一口大に切られた野菜は甘味を感じさせ、
ほとんどの者が残す事なく平らげた。
観音と梓などは二杯もお代わりしたくらい
である。
その様子を見ていた、給仕を言いつけられて
いる百鬼悠翔が嬉しそうな顔に
なり、夏目真子が頬を膨ら
ませている。
咲良はその作り方を、料理人である相原太一に
聞いて彼を上機嫌にさせていた。
「……」
「あ、おらも手伝う悠翔!」
食べ終わった後の皿を素早く回収していく
悠翔に、真子が慌てて手を貸す。
彼は年上の少女達の前だと、多少調子に
乗ってしまう時があるので真子はこういう
時手伝うようにしているのだった。
以前、皿を重ねすぎて前が見えず、割って
しまって太一にこっぴどく叱られた事が
あったのだ。
その時は罰としてしばらく食堂への出
入りを禁止され、酷く落ち込んでいたっけ、
と真子は思い出す。
蛍が飛び込んで来たのはそんな時
だった。
「あ、八月一日様、お帰りなさいまし!
おら、今すぐ支度しますんで、座って
待っててください~」
蛍!と翠が彼女が入って来たのに気付いて
立ち上がる。
駆け寄って問い詰めてやろうとしたのだが、
何故か蛍はいつもの蛍とは違うような気がした。
翠の彼女に伸ばしかけた手が、寸でで止まって
引っ込められてしまう。
くすくすと妖艶に微笑む蛍は、いつもの夢
見がち過ぎる子供みたいな部分がある彼女と
同一人物には見えなかった――。
驚く真子や悠翔や他の女生徒達には構わず、
蛍はどこか怪しげな笑みを浮かべながら素早い
足取りで歩いて行った。
それを追いかけるように、翠、梓、観音、
そして誠一郎が食堂を出て追いかける。
「ほ、蛍! 待って、どこに行くのよ!」
「――危ないよ、みどりん。今のほたるっちは、
ほたるっちじゃないんだよ。何かに取り
つかれてる……」
「な、何かって……!?」
「妖怪、みたいな物だとあたしは思っているわ」
「やっぱり、妖怪なのか?」
「分からないわ、でも、それに近しい物のような
気はする」
梓は観音と誠一郎が話しているのを黙って
聞いていた。
その顔にはいつものふざけたような表情は欠片も
見当たらず、いつになく彼女は真剣のようだった。
「あんた達は残ってなさい、ここは、あたしと
せ――案栖先生が行くわ」
「あたしも行くよ、あたしは巫女だから多少は役に
立つと思う。式神だっているしね。でも、みどりんは
残ってた方がいい。危険な事もあるかもしれない」
「わ、分かったわよ……」
観音の残っていろという言葉に、翠は青ざめたように
黙り込み、梓は観音に口を挟ませないように早口で
自分も行く事を告げた。
妖怪探偵を名乗っていても、所詮は観音は素人だ。
むっとなりながらも観音はそれを認めるしかなかった。
「じゃあ、三人で行くか」
「――ま、待って、ください……!」
頷き合い、歩き出そうとする三人に、翠がいつもの
強気さが嘘のようなか細い震えたような声で叫んだ。
観音が舌打ちし、梓と誠一郎は翠を黙って
見つめる。
一度は残っていると言ったものの、翠はいても
経ってもいられなくなったようだった。
「わ、私も、行きます! 蛍は大事な親友なんです!
あの子が、危険な目に遭うかもしれないのに、私だけ
安全な場所になんていられません!」
観音達は迷うように顔を見合わせたが、翠の一歩も
引かないと言わんばかりの視線を受けてしまっては断り
きれず、危ない事はしないという約束の元彼女と共に
蛍の向かった場所へと行った――。
蛍が入ったのは図書室だった。
目をぎらつかせた彼女は、次々と本を抜き出してびり
びりと破いて行く。
それは、全てが有名な作家の書いた作品だった。
鬼気迫るようなその様子に、四人は最初呆然として
しまっていたけれど、梓が一番先に我に返る。
「何で、本を破ってるんだろう? それも、あんな
憎々しいような表情でなんて……」
「そういえば、この前蛍が書いた原稿が入った封筒を
見つけたんです。その中に蛍の作品を酷評するような
用紙が入っていて、それが原因かもしれ
ません」
「それで、図書室に来ていたのか……」
「だからって、他人の本破ってどうするのよ……!?」
四人が話し合っている間も、蛍は本を棚から抜き
出しては破るという動作をやめていなかった。
紙吹雪がまるで雪のように舞い落ち、図書室の綺麗に
磨かれた床に積もって行く。
本が好きで毎日のように読みふけっていた彼女が、
その本を親の仇のように破って行くというのは悲しい
光景だった。
「蛍、止めて!」
翠が悲鳴のような声を上げて蛍を羽交い絞めに
した。しかし、蛍は止まらない。
「ジャマオ、スルナ……」
「きゃあっ!?」
「みどりん!」
蛍は翠の腕を振りほどくと、彼女を勢いよく突き
飛ばした。
翠はまさか蛍に抵抗されるとは思ってもみな
かったらしく、衝撃を受けたようによろめき、梓に
支えられる。
「あんた……いい加減にしなさいよ!」
観音が翠の様子など構いもせず、再び本を破ろうと
した蛍に怒鳴った。
うっとうしそうに蛍が睨んでくるが観音は叫び
続ける。
「少し酷い事書かれたからって、引きこもってるん
じゃないわよ! 人生にはいい事ばかりじゃなくて
悪い事だってたくさんあるに決まってるじゃない!
負けるんじゃないわよ!」
「八月一日、聞いてくれ。そいつは、君をただ利用
しているだけなんだ。君の傷ついた心を利用して君を
操っているんだ。だから、このままじゃ君は完全に
そいつに支配されてしまうぞ!」
「ほたるっち! あたし、あなたを信じてるよ!
負けたりなんてしないって信じてる! ほたる
っちはそんなに弱くないじゃない、頑張って自分の
書いた作品を投稿できるような強い子じゃない!」
「蛍! 元に戻って! 夢見がちなあんたでもいい!
頭のおかしい事延々と喚いたっていい、帰って
来てよ! こんなの、こんなの悲しすぎるよ……!
あんた、本を書くのも見るのも大好きだった
じゃない! いつものあんたに戻ってよ!」
観音、誠一郎、梓、翠の声が響き渡る。
蛍はううぅっ、と唸るような声を上げて後退して
いく。
翠はなおも蛍に向けて叫んだ。
「目を覚まして、蛍……っ!」
ぼろぼろと、真珠のような涙が彼女の瞳から
零れ落ちる。
蛍はもう本に目向きもしていなかった。
魅入られたように、泣きじゃくる翠に目を移して
いた。しだいに、蛍の目からも涙が零れ
落ちていく。
「――今だ!」
蛍の心が負の感情ではなく、親友の方を向いた
のに気付いた梓は、今が好機とばかりに符を取り
出して構えた。
虹のような眩い光を放つ符が蛍を取り
囲んでいく。
結界を張られた蛍――魔の者は、ぎゃああっ、と
いうこの世の物とは思えない悲鳴を上げて蛍から
離れた。
消滅したのか逃げたのか、そのまま、すうっ、と
黒い影は姿を消してしまう。
「ほたるっち!」
「蛍!」
糸の切れた操り人形のように倒れ伏す蛍を、梓と
翠が両側から抱き起す。
しかし、蛍は眠っているだけだと気づき、二人は
安堵の表情になった。
「よかった……」
観音も彼女の事は心配していたのか、心からの
笑顔を浮かべたので、誠一郎はこいつ、こんな顔も
出来るんだなと意外な気分でそれを見ていた――。
今回は蛍救出編です。
久々に授業シーンと、お料理
描写を入れて見ました。
次回は出来たら番外編に
しようかなと思っています。