第四話 ~探偵事務所と悪戯妖怪~
「早くしなさいよ!」
紫と白の矢絣に海老茶袴をはいた
少女の怒声が響き渡る。
彼女は編み上げブーツを玄関で
脱ぐや、面倒そうに桃色のリボンを
解いて放り投げた。
神服観音はあくまで偉そうに、
垂らした黒髪を揺らして奥へと入って
行ってしまう。
「お、おい! こんな所に放置するなよ」
ムッとなりながら、男性用の洋装を
まとった青年、案栖誠一郎は
彼女のリボンを拾い上げた。
しかし、観音はそんな不満そうな彼を
一瞥もしない。
そんな彼に面白がっている半場、どこか
同情もしているような視線を向けながら
御霊も内部へと上がり込んでいる。
彼女の態度の悪さにもぎょっとしはしたが、
さらに彼が驚くのはこの後だった。
居間に入った彼の瞳が驚愕に見開かれる。
――汚い。居間は荷物が散乱していて本当に
酷い有様だった。
掃除は一切されていないのだろう、埃も
かなり溜まっている。
観音は、本当にここで暮らしているの
だろうか。
自分は担がれたのではないかと誠一郎が
思ってしまうほど、探偵事務所とやらは
大変な事になっていたのだった。
「うへぇ~、きったね――っ!」
御霊も顔をしかめて呻いている。
妖怪である彼が否定するくらいだ、本当に
最悪な環境なのだと誠一郎は再認識する。
「おい、観音! 本当にこんな場所に
暮らしてるのかお前!?」
「暮らしてるわよ! 悪い!」
彼女が消えて行った扉を強く叩くと、
返って来たのは今にも噛みつかんばかりの
怒声。誠一郎は本当に彼女がここに住んで
いると分かり愕然としながら、下心など
欠片もなく扉を開けた。
開けて、しまったのだった――。
「なっ……!?」
「ええっ!?」
「うっひょ~。やるな、兄さん」
その場に響き渡ったのは、観音の絶句
するような声と、誠一郎の驚いたような声、
そして茶化すような御霊の声だけだった。
誠一郎としては単純に彼女の入って行った
部屋が、どの程度掃除されているのかを確か
める名目だったのだが、今まさに観音は
着替え中だったのだ。
海老茶袴を脱ぎ捨て、矢絣の着物を脱いだ
彼女は、下着すらも脱いでしまっていて完全に
一糸まとわぬ姿だった。
誠一郎は慌てて少年のようにまったいらな
曲線を描く彼女の体から目をそらす。
「き、き、き、き……」
驚愕に見開かれた黒い瞳が、しだいに怒りの
色を宿していく。
白かった顔が一瞬で赤へと染まり、脱いだ
下着と着物を白く透き通るような肌に当てた
観音はまさに耳をつんざかんばかりの
絶叫を上げた。
「きゃあああああああ――っ!」
誠一郎が固まったように動けない中、
観音は目をわずかに潤ませながら部屋に
あった物を投げつけ始める。
部屋に散乱する着物や帯は大丈夫
だったけれど、どんどん観音は興奮して
仕舞い込まれていたブーツまで投げ
出したからたまらない。
「うわっ!? ――わ、悪かった!
今すぐ出ていくからブーツは止めろ!!」
「とか言いつつ、よけるんじゃないわよ!」
「よけなきゃ当たるだろ!?」
「うるさいっ!」
誠一郎には部屋から逃げ出す以外の
選択肢はなかった――。
「――すまなかった」
誠一郎が頭を下げると、観音はふんと鼻を
鳴らした。
でも、もうそこまでは怒っていないのかも
しれない。許さないとは言わなかった。
「まあそこまで謝るなら許してあげなくは
ないわよ。特別に許してあげる。これから
よろしくね、助手さん」
何で彼女はこう可愛げがないというか、
素直じゃない言い方しか出来ないのか。
そう誠一郎は思ったものの、悪いのは自分
なので口は出さなかった。
これから大変そうだな、と誠一郎はひそかに
思う。
あれから、観音の許しを得て部屋を点検して
見たのだが、どの部屋も物が散乱していたり埃が
たまっているという状態だったのである。
厨房にいたっては、食器は詰み放題でカビが
大量に生え、何年もほったらかした館のような
凄まじい事になってしまっている。
御霊に目を向けるが、おいらはごめんだと
ばかりに肩をすくめられてしまった。
観音はやる気がなさそうだし、これを掃除
するのは自分しかいないようだ。
誠一郎は警察の寮に以前は入っており、炊事
洗濯も大体は出来る。
よし、と気合いを入れるように呟くと、
誠一郎は掃除を始めた――。
やっぱりと言うべきか、御霊と観音は全く
手伝う様子がない。
誠一郎はため息をつきながら、物がぎゅう
ぎゅうに詰まった物置きからやっとの思いで
掃除用具を引っ張り出すと、はいたり磨いたり、
カビを落としたり皿を洗ったり、はては洗濯まで
こなしているうちにすっかり外は暗くなっていた。
部屋数だけは結構多い探偵事務所を掃除するのは
至難の技だった、と脱力しながら誠一郎は思う。
彼の尽力によって、ようやくこの場所は人が生きて
いくにふさわしい場所へと変貌を遂げたのだ。
「なかなか綺麗になったじゃない!」
自分が汚しまくった癖に、観音は誇らしそうな顔で
胸を張っていた。
自分の見込みは確かだ、と想っているのだろうが、
まるで自分が掃除をしたかのような胸の張り方だ。
少しも手伝わなかった癖に、と誠一郎はぼそりと
呟いたが、耳ざとく反応した観音に睨まれて
しまった。
反応しないでいると諦めたのか、観音は彼から
視線をそらす。が、少し経つとむくれたように
頬を膨らませながらまた視線を向けて来た。
「お腹空いた、助手、早くご飯作ってよ」
「俺、一応君の学校の教師なんだけどな」
「あら、それは学校での話でしょう? ここでは、
あんたはあたしの助手なのよ。助けてあげたん
だから、あんたが約束通りここで働くのは当然の
事でしょ」
文句を言っても無駄だと分かり、誠一郎ははい
はい、言いながらと磨き上げた厨房へと向かう。
ちなみに、観音は桜がたくさん散った可愛らしい
白の着物に着替えていた。
普通ににこにこしてれば可愛いのになあと思い
ながら見ていると、何を見ているのよ、とばかりに
観音が睨みつけて来たので、今度こそ誠一郎は
厨房に引っ込んだ。
外食ばかりをしていたのか、何も入っていない
ので買い物に出駆ける事にする。
家の中で待っているだけかと思いきや、観音が
面倒そうな顔の御霊を引きずるように、あたしも
行くと言ったので誠一郎は思わず目を
見張った――。
食料が並ぶ店がある一角へと誠一郎達は
やって来た。
しかし、観音の方は喫茶店の方をちらちら
見たり、着物が売られている店を凝視して
いたり、買い物をする様子は全くない。
はあっとため息をつきつつ、今日は肉
じゃがにするか、と誠一郎は呟いた。
じゃがいも・お肉・人参・玉葱などを
入れていく。調味料は一応あるらしいが、
全く使ってないと観音が言うので、一通り
店を回って買っていく事にした。
駄目になっていたりしないのか、と
聞いた時に、「調味料って駄目に
なるの?」と首を傾げられた事は誠一郎の
中でまだ記憶に新しい衝撃だった。
いや住んでいるはずの探偵事務所が汚
かったのも衝撃ではあったが。
「――あんたっ!」
と、店に展示されていた着物を夢中で
見ていたはずの観音が、ぐいっと
誠一郎の腕を掴んで来た。
誠一郎は困惑するような表情で、手に
取った醤油の瓶を一端戻す。
「あんた、じゃなくてせめて誠一郎って
呼んでくれないか? 案栖でもいいが……」
「妖怪が出たわ、さっさとしなさい
誠一郎!」
「ってこの買い物はどうするんだよ!?」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!
御霊にも預けときなさい!」
ええっ、おいらかよ!?と嫌そうな顔の
御霊に買い物籠を渡し、誠一郎はブーツで
走り出した観音を追いかけた。
ちぇ――っ、とぼやいていたが、御霊は
観音が退魔の力をちらつかせると大人しく
従っていた。
やっぱりどこか飄々としている彼も
退治されたくはないらしい。
観音が立ち止まった場所の周囲を見回すと、
角を生やした子供がけたけた楽しそうに笑い
ながらお店の商品をひっくり返したり、甘そう
なお菓子を勝手に取り出して頬ぼったり
していた。
お店の人間には見えていないのだろう、
訳が分からないという顔だ。
「あれは?」
「小鬼ね」
「鬼!? って、凄い力を持ってるんじゃ
ないのか!?」
「馬鹿じゃないの。力を持ってるなら、こんな
悪戯なんてしないで人間を襲ってるわよ。悪戯
したりしてるのは、低級な妖怪の証拠よ」
そんなの、妖怪の事をほとんど知らない俺が
知る訳ないだろう。そう思った誠一郎だが、
理不尽にも「勉強不足よ、教師やっている
癖に!」と言われそうな気がしたので何も
言い返さない事にした。
「でも、これは好機だわ! あれなら、すぐに
捕まえる事が出来るわよ! まずは、
こっちに注意を向けないと、ね!」
観音は拾った小石を、角の生えた子供――
小鬼に向かって放り投げた。
見事に命中し、いてっ!と小鬼が声を上げて
涙目でこちらを睨んで来る。鮮やかな赤い髪を
持つ少年は、角さえなければただの異人の
子供に見えそうな容姿をしていた。
金色の瞳はぎらぎら光っているが、それ以外は
子供にしか見えない。
「やい、何するんだよ人間!」
「あんたこそ、こんな所で悪戯なんてするんじゃ
ないわよ! ――お仕置きしてあげるわ、大人しく
捕まりなさい!!」
「べぇ――っ、だ! やなこった!」
小鬼はぴょこん、とそこから降りてくると、舌を
出して自らのを古臭い着物の尻を叩いて挑発した。
かっ、となり観音が前に出ようとすると、彼は
観音の足を払うように走り抜ける。
「きゃっ!?」
「観音!」
倒れ込んで来た彼女を、慌てて誠一郎が受け
止める。
しかし、あまりな勢いで突っ込んで来た彼女を
受け止めきれずにその場に転んでしまった。
「い、てて……。観音、大丈夫か!?」
「……」
心配そうに声をかける誠一郎だが、帰って来た
のは真っ赤になった彼女の冷たい一瞥だった。
首をかしげた彼は、偶然にも自分の手が少女の
着物に包まれた胸元に触れていた事に気付く。
「あんた、もういい加減にしなさいよおぉ!」
「ちょっ、ちょっと待てこれは不可抗力だろ!?
うわぁっ!」
理不尽にも(観音としては当然の怒りだったの
かもしれないが)、誠一郎は脛をまたもや蹴られて
しまい苦痛に呻く羽目になった――。
その後も二人は小鬼の捜索を続けた。
やっぱり、放っておいたらまた同じ事をするに
違いないので、誠一郎達も簡単にはやめる事は
出来ない。
だが、小鬼は二人を小馬鹿にしたように翻弄し、
決して捕まらない。
だんだん観音は癇癪を起こし全く悪くないはずの
御霊を張り飛ばし、彼を涙ぐませてしまうという
暴挙に出てしまった。
観音には妖怪を捕縛したりする力もあるのだが、
相手の動きがあまりにも早すぎて当たらない。
どんなに強い力があったって、当たらなければ
意味はないのだ。
き――っ、と喚きながら観音はブーツの足で
地団駄を踏む。
うっかり足を踏まれないように、誠一郎は
御霊を抱えながらこっそり後退していた。
「もう、いい加減に捕まりなさいよ!」
「や~だよ~! ……ふえっ!?」
と、どこからか飛んで来た光のような物が
小鬼の足にぶつかった。
小鬼は態勢を崩し、その場に倒れ込んで
しまい誠一郎の腕から飛び出した御霊に
捕獲される。
実は、誠一郎と観音、そしてよそ見を
していた御霊にはそれは見えておらず、
小鬼がただ単に体勢を崩しただけだと
思っていたので誰かが小鬼に攻撃した
という事実を知らないままだった。
無事家に帰りついた三人(というか
二人と一匹)は美味しい肉じゃがを
たっぷり食べたという――。
「「よかったので、ありますか?」」
「ん~?」
小鬼を転ばせた犯人――長い結わずに
垂らした黒い髪に、巫女装束をまとった、
神無月梓は、お揃いの千早を
着た狛犬姉妹の言葉に振り向いた。
「いいんだよ、あれは様子見だから。
かののんの事も、ちょっと知っておき
たかったしね」
梓の表情はいつもの能天気な物とは違い、
多少影があるような表情になっていた。
何かを、たくらんでいるようなそんな
顔をしている。
実は、梓は誠一郎達が買い物に出掛けた
際に偶然見かけたのを好機とし、ずっと
二人と御霊を見張っていたのだった。
小鬼に苦戦していた彼女達を助けたのも、
梓の仕業だったのだ。
「あんな悪戯妖怪、滅してしまえばよろし
かったのではありませんか?」
「……不可解、であります」
千早は可愛らしく小首をかしげ、千鶴は
不満そうな顔だった。
梓はくすくすと笑いながら二人をなだめる
ように発言する。
「――今は、急いで妖怪退治にいそしむ必要も
ないからね。今日は勝ちを譲ったんだよ。
これから、長く会う事になるかもしれ
ないしね」
よろしくね、かののん。それと、先生。
梓が楽しげに囁いた声は、千早と千鶴という
名の式神以外には届かなかった――。
ようやく完成しました~! 今回は、誠一郎達が
帰った後のお話を執筆しました。今回はギャグ
中心です。
こっそりラッキースケベ事件を仕込み
ました。
次回はシリアスっぽいお話になると思います。
本編をそろそろ進めようと思っているので。