第二十一話 ~女性剣士は想いで勝ち取る~ 中編
「行こう……」
凛々しげな少女の声が響く。桂紫子様の声だ。
今日もまたいつもと同じ白い着物と紫の袴ではあるもの
の、洗濯を仕立ての一番いい物を着て来ている。
「はい、紫子様」
その手を取りながら呟くのは、天屯巴である。
さすがに今日は女装はしておらず、青い着物と袴を纏っ
ている。
それでも、少女のような見かけはあんまり衰えては
おらずまるで男装をした少女のようにも見えた。
「……私より、よほど君の方が女装をしていなくても
女っぽいな」
「ひ、酷いですぅ!?」
拗ねたような声音に巴はあうぅ、と小さく呻いた。
女性ならば言われたら嬉しいだろうが、男である巴に
とっては女っぽいと言われる事はあまり好ましくない。
「あ、すまない……」
「いいんですけどね」
自分だって男っぽいと言われたら困る。
少しからかい過ぎたか、と思って申し訳なさそうな顔
になった紫子様に巴はくすくすと笑う。
「冗談です、怒ってなんていませんよ、紫子様。いた
っ!?」
ちょっと気持ちを和らがせるために言った冗談は、
結構高くついて紫子様にしっかりとぶたれてしまっ
た。
もちろん手加減はされていたけれど――。
「ただ今、帰りました……父様、母様」
紫子様が堅い声で出迎えた両親に挨拶した。
悲しげに母親の紅子様がお帰りなさい、と告げ、父親
の孝三様が久しぶりだな、と言うのが巴には悲しかっ
た。
生意気ながら、この親子達は不器用なのだ、と思う。
子供の頃からそうだったけれど、今も関係は変わって
いないようだ。
「紅子様、孝三様、巴です……」
聊か硬くはあったが、にこりと微笑みあえて割り込
むように声をかける。
無礼だと思われても仕方なかったけれど、親子達
の表情に浮かんだのは安堵の色だった。
「大きくなったな君も!」
「元気そうでよかったわ、巴。もっとよく顔を見せ
て」
「はい……」
ありがとう、と小さく紫子様が囁いたのが聞こえ
て来て、気づかれないように巴は首を振る。
と、孝三様の視線が紫子様へと向いた。
再び紫子様の表情が硬くなる。
「それにしても、お前はちっとも変わっていないな。
少しは母様に似て来てかと思えば、娘らしく着飾り
もせんのか」
「……あなた、そんな言い方は」
紅子様の表情が悲しげに曇る。紫子様はきっと
孝三様を睨みつけた。
「これが私ですから」
「紫子! いつもお前は親に逆らって――!」
「父様こそ、居丈高にすれば言う事を聞くと思っ
たら大間違いですよ」
「あなた! 紫子、止めて……」
「止めてくださいっ」
巴が声を張ると、いつもはそんなに気の強い方
ではない(一応何年も自分をやっているので自覚
はある)ので紫子様も孝三様も驚いて口を閉じて
しまった。
どこか罰が悪そうな感じになっている。
さすがに怒られてしまうかな、と不安そうに眉を
寄せていると、孝三様がすまない、と口にした。
「ふえ!? こ、孝三様!?」
「お前のおかげで助かった……。いかんな、つい
年を取ると気が短くなってしまって。すまなかっ
た、紫子。私はこういう事が言いたかった訳では
なかったのだ」
「い、いえ私も言いすぎました……」
よかった、と巴は泣きそうになった。
この親子は、長年すれ違っていた。互いに不器用
だったのだ、幼い頃紫子様を女らしくないと孝三
様が叱責したあの日から。
あれ以来紫子様は孝三様に対して頑なな態度に
取って意固地になったし、孝三様は負い目と傷つ
いた心からさらに紫子様に厳しい態度を取るよう
になってしまっていた。
でも、まだ間に合う、と巴は泣きそうになりな
がら思った。
「やり直そう……紫子。私達はまだ、やり直す事
が出来る……。私は、お前を愛しているのだよ
……」
「父様……っ、私もです……っ。でも、父様が愛
しているのは『私』ではなく『少女らしい』令嬢
なのかと思ったら悲しかった……っ」
「すまなかった、紫子……!」
抱き合う親子を見ていると、自分も兄達とやり
直す事は出来るのではないか、と強く思ってしま
う巴だった――。
「本当にありがとう……巴。君のおかげで、父と
仲直りが出来たよ」
「僕は何もしてませんよ。孝三様と紫子様の勇気
があったから出来たんです」
巴と紫子様はとりあえず紫子様の部屋向かって
いた。荷物を置きに行く事にしたのだ。
持ちますと巴が言うと、律儀な事だな、と返さ
れてしまい苦笑する。
「そんな事はないよ……巴がいてくれたから、私
はいつでも勇気を出す事が出来る。君にいつだっ
て勇気をもらっているんだ」
「紫子様……っ!」
チッ、と忌々しげな舌打ちが聞こえたのはその
すぐ後だった。
巴の表情が硬くなり、紫子様の表情も厳しい物
になる。
「こんな所でべたべたしてるんじゃねえよ、お嬢
様に馬鹿弟」
「本当本当。嫌になるねぇ、いくら女同士にしか
見えないっつってもさぁ」
「兄様……っ。お久し、振りです……」
傷ついた表情になった巴をかばうように、さっ、
と紫子様が前に出た。
烈火のごとく怒りを宿した瞳に、さすがに兄様
二人は気圧されたように一歩下る。
「な、何だよ……俺達は本当の事しか言ってねえ
ぞ!?」
「巴! 女なんかにかばわれるなんてお前それで
も男かよ!? ……ひっ!?」
「その薄汚い口を今すぐ閉じろ、私が本気で怒る
前にな」
上の兄――聡兄様の言葉の最後が悲鳴みたいに
なったのは、紫子様ががっ、と音を立てて胸倉を
掴んだからだった。
下の兄――隆兄様も青ざめたように口をつぐん
でいる。
「ゆ、ゆゆゆ紫子様……っ、や、止めてくださ
い……」
「巴は黙っていたまえ。君がどう思っているか
は知っているが、私はどうしても彼らを許す事
が出来ない」
「……っ、お、女がしゃしゃり出……ぐっ」
「その女に、お前は今日負けるんだよ、聡!」
勢い良く紫子が手を離すと、悲鳴を上げた聡
兄様は尻餅をついて倒れ込んだ。
兄貴!と隆兄様が声を上げて駆け寄る。
「私は今日、父と母、そして巴の両親と話すた
めにここに来た。巴と――お前達の弟との今後
を話し合うためにな」
「「な……っ!?」」
「お前達に、二度と巴の事を悪くは言わせない!
私と勝負しろ!」
ぎょっとしたように目を見開く兄様二人に指
を突きつけ、紫子様が叫ぶのを巴はどうしたら
いいのか分からずに見つめている事しか出来な
かった――。
くるくると木刀を慣れた様子で回す紫子様に、
兄様二人は何でこんな事に、と言いたげな顔で
顔を見合わせていた。
巴は見届けてくれ、と言われたのでそこにい
るけれど実は逃げ出したかった。
兄様達が傷つくのも、紫子様が傷つくのも見
たくはないのだ。
「覚悟はいいか、聡、隆」
「チッ……やるぞ、隆! この生意気な女に今
日こそ一泡吹かせてやる! 二人がかりなら負
けないはずだ!」
「そうだな、兄貴……紫子は強いが、しょせん
は女だ!」
兄様達は紫子様を女と侮っている。
でも、紫子様が兄様達よりも強い事を巴は知っ
ていた。
巴個人としては、紫子様に勝ってほしいとも
思ってしまうのだが。
「どうした? ――かかって来ないなら、こち
らから行くぞ!」
紫子様の先制攻撃! 木刀を構え滑るように
移動しながら、聡兄様の獲物へと狙いを定めた。
悲鳴を上げた聡兄様が一歩身を引き、木刀で
受ける。かなり重い一撃だったのか、聡兄様が
よろけた。
思わず悲鳴を上げそうになるのを、巴はぐっ
と堪える。
明らかに戦況は紫子様の有利だった。
人数差と力差があるはずなのに、紫子様の実力
と軽やかな舞のような動きがそれを緩和させて
いる。
「やあぁっ!」
「ぐあっ! よ、よく、も……っ」
「あ、兄貴!? ひっ……!?」
……ついに、勝負がついてしまった。
勝敗は、やっぱり紫子様の完全勝利だ。
木刀が鋭い音と共に兄様達の手から叩き落さ
れる。まるで本物の剣であるかのように、紫子
様がへたり込んだ聡兄様の喉元に突きつける。
「私の勝ちだな、聡、隆」
微笑むその顔は、誰より増して美しかった。
痛みを堪えながら、巴が彼女に駆け寄ろうとし
た時の事だった。
紫子様がくるりと身を翻した瞬間、飛び起き
た聡兄様が木刀を構えて彼女に襲い掛かったの
だ!
「この……調子に乗るんじゃねえよ、男女!」
「……えっ?」
まさか卑怯ともいえる手段で意趣返しをされ
るとは思わなかったのか、紫子様の動きが遅れ
た。
続いて、今なら勝てると思ったのか隆兄様も
木刀を構えて紫子様に襲い掛かる。
気づいたら、紫子様の木刀を奪うようにして
前に出ていた。剣道は苦手だったけれど、巴は
もう無我夢中だったのだ。
兄達の手ごと打つ勢いで木刀を振り回し、獲
物を叩き落す。
いつもは逆らう事のない巴に反抗されたから
か、馬鹿にしていた相手に負けたのが悔しかっ
たのか、聡兄様と隆兄様はその場に座り込んで
しばらく動かなかった。
「いくら兄様達でも、僕は紫子様を傷つける奴
は絶対に許さない!」
「巴……」
「行きましょう、紫子様」
「い、いいのか巴!?」
「……いいんです、これで。これで、いいんで
す……」
痛む思いをこられるように巴は、紫子様の手
を取って歩き出そうとした。
顔に出ていたのか、紫子様は自分も痛いよう
な顔をしていてそれが余計に巴には辛かった――。
これでいい、そう本気で巴は思った。
兄様達と分かりあう事など、自分には出来ない
のだ、と。
男らしい兄様達、女じみている自分。
あまりにも違いすぎる。だから、これでいい。
紫子様は――大切な女性は守れたのだ。
「巴――っ!?」
だから、紫子様が悲鳴のような声を上げて飛
びつくようにして抱き寄せなかったら巴はずっ
と後悔しながらも兄達との事を切り捨てて生き
ていたかもしれなかった。
「ゆ、紫子様ぁ!?」
巴には赤くなる余裕さえ与えられなかった。
目の前のイギリス式の噴水が、いきなり震えた
かと思うと決壊したのだ。
勢い良く溢れ出た竜のような水が、紫子様が
かばわなければあやうく巴に激突する所だった
と思われる。
「ひっ!? な、何なんだよこれぇ!?」
「あ、兄貴ぃ!」
はっとなると、兄達もまた水に飲まれそうに
なっていた。生き物のように縦横無尽に動き回
る水が、まるで食らおうとするかのように隆兄
様と聡兄様の方へ向かおうとする。
弾かれたように巴はつい叫んでいた。
「逃げろ! 早く逃げろよ!」
いつもは使わない乱暴な言葉が口をついて出
る。
兄達は巴のそんな言葉に驚いたような反応を
見せたが、腕を強引に掴んで立たせると抵抗は
せずに言葉に従った。
「――ともちん、ゆかりん様、よけてっ」
凄く聞き覚えのある声だった。
だから、巴も紫子様もその声に従う事に何の
抵抗も感じなかった――。
元々前後編にしようと思っていたのですが、
ちょっと文字数の都合で三部に分ける事になり
ました。
後編からは他のキャラクターも合流する予定
です。
今回は巴と紫子様の家族を出して見ました。




