第二十話 ~女性剣士は想いで勝ち取る~ 前編
桂紫子は、幼い頃からお転婆というか気が強い少女
だった。
両親のお小言もなんのその、自分の意見をはっきり
口にする、曲がった事が大嫌いなのは少女らしく成長
して来た今でも変わっていない。
たとえ家族といえど、他者の意見になど何の価値が
あるのかと紫子は常々思っていた。
女らしくない、もっとおしとやかにしろ、女性らし
い口調を心がけろ。
いつも言われて来た言葉だった。
確かに、自分は女性的とは言い難いのだろう。
それは自分でも分かっている。
でも、これが自分だ。誰がなんと言おうと、これが本
来の『桂紫子』なのだ。偽りの自分を演じる事に、何
の価値があろうというのか。
父も母も周りの人間も、間違っていると常々紫子は
思って来た。
自分が間違っているとは思ってはいないけれど、
たまにどうしても不安になる事がある。
同じ年の少女達と出会うと、自分だけが違うような
気がしてしまう事が幼い頃の紫子にもあった。
「他人と違う」という事は、多少なりとも勇気がい
る行動だったりするのだ。幼い頃なら、矯正しようと
する人も多いだろうしなおさらだったろう。
紫子もそういう事情はあったし、まだ当時はその勇
気もしぼみそうになる事が時折あった。
そんな折に、紫子に声をかけて来た少年がいたのだ
った。
「――紫子様は、紫子様のままでいいんですよ」
そう言ってくれた人が、実は幼き頃の紫子にも一人
だけいた。
――天屯巴だ。いじめられっ子で気弱だったけれど、
誰よりも優しい子だった。
「そう、かな?」
「そうですよ!」
最初に言われた時、紫子は驚いた。
巴はいつも兄達にいじめられたり、からかわれたりし
ている子で、大人しい印象だったからだ。
今まではいじめられっ子という印象が強かった少年
は、その時紫子の中で自分を唯一肯定してくれた男の
子、という特別な存在となった。
「僕は、そんな紫子様がとても凛々しくて、恰好いい
と思っています」
「そう、か……?」
凛々しいなどと言われたのは初めてだった。
少し頬を赤らめて問うと、はい!と笑顔で巴が頷く。
その目は嘘やおべっかではなく、本心から紫子を褒
めていると思わしき物だった。
「……でも、人は私にそれでは駄目だと言った。母も
父も周りの人達も、そしてお前の兄貴達も」
その時の紫子はいつになく弱気だった。
自分でも、その時の事を思い出すとその時の紫子はま
だ未熟だったのだと実感する。
だからといって、今の自分が成熟した大人だと思う
訳でもないのだけれど。
「……紫子様」
そう言い返された巴は、瞳をうるると少女のように
目を潤ませた。彼は子供の頃から、人のために涙した
り怒ったり出来る優しい少年だったのだ。
「何故君が泣く?」
「な、泣いてません! 僕男の子ですもん!」
「瞳が濡れているが?」
紫子は胸が温かい物で満たされていくのを感じた。
自分を認めてくれた少年がとても愛しく、かけがえの
ない存在に思えた。
少しからかうように言うと、巴はむぅと頬を膨らま
せた。小さく愛らしい唇が、不愉快さを示すように微
かに震えた。
当時の巴はまだ女装はしていなかったが、それでも
なお彼は自分より少女っぽく紫子には映っていた。
しかし、この時の巴は迷いが全くない真っ直ぐな表
情をしていて、少しだけどきりとなった。
自分より背丈が低く、線が細くてか弱そうに見えて
も彼は男の子なのだ。
「冗談だよ、ありがとう巴」
この時以来、巴は紫子の特別となったのだった――。
紫子は上質な布団の寝床から目覚めた時、いつにな
く気分が高揚していた。
白い着物の寝間着の胸に手を当て、しばし夢の余韻
に浸る。
「……巴」
あの時は紫子も巴も、まだ七つにしかならない幼い
年だった。当時から巴はまるで少女のように愛らしか
ったけれど、今でも紫子がつい嫉妬を覚えてしまいそ
うになるほど女装に全く違和感がない。
「巴……」
愛おしそうに、紫子はもう一度想い人である少年の
名を紡いだ。すっきりとした色白の頬に朱の色が差す。
誰もいないからこそ、出来る表情だった。
紫子は家から通っているのではなく、一軒家を借りて
そこで下宿していた。
家がかなり遠いのもあるけれど、過度に干渉される
家から離れたくなったという理由が大きかった。
大家はたまにしか顔を出さないので、今ここには紫
子しかいない。
そのはず、だったのだが――。
「どうかしたんですか、紫子様!?」
「……」
紫子はぴたりと動きを止めると、部屋に飛び込んで
来た少年に目を向けた。
きょとん、としたやや大きめの瞳。
今日は女学校がお休みだからか、艶のある黒髪が結わ
れずに腰のあたりまで垂らされている。
――巴だった。まごう事なき、巴であった。
いつもはしない事だけれど、紫子は一瞬彼が幻であっ
て欲しいと思い目をこすった。
もう一度目を見開いて凝視する。当然、幻ではない
らしい巴は消滅したりしなかった。
「巴……?」
「はい……?」
嘘だろう、と顔がさらに赤くなって行くのを感じ紫
子はぽつりと呟いたが、呼ばれたのだと勘違いした巴
が小首をかしげる。
どうしたんですか?と花が開くような笑顔になった
巴がじぃっ、と見つめながら距離を詰めて来たので危
うく紫子ははしたない悲鳴を上げる所だった。
「本当に、巴か?」
「ぼ、僕以外の誰に見えるって言うんですかぁ!」
「いや、すまない。どうしてここに君がいるのか、っ
て思ってな」
「お会いしたくて、いてもたってもいられなくなって
しまったんです、紫子様に」
臆面もなくそう言ってしまえる巴に、紫子はつい
ずるいと思ってしまった。
顔を赤く染めて睨みつけると、照れているのが分か
ったのか巴はさらに笑みを深くする。
「――君には、かなわないな。全く、どうしてそんな
にためらいもなくそんな言葉が言えるんだ」
「だって、僕は紫子様の事を愛してますからね」
「少しはためらえこの馬鹿!」
ばしん、とこれ以上もないほど真っ赤になった紫子
に頬を張られてしまい、い、痛いですぅ、と涙目にな
ってしまう巴に紫子は少し呆れたような顔になったの
だった――。
そのまま共に朝食を、という事になったので巴は今日はいい一日に
なりそうだと思った。巴がまだ紫子の家にいた頃は、よく作ってもら
った物だけれど、ここ数年は彼女の手料理を食べる機会はなかった。
「いつも、食事は紫子様が作っているんですか?」
「ああ、大家は用事がない時はここにはあまり立ち入らないからね。
それに、私の料理の腕が悪くないのは君だって知っているだろう?」
悪くない所か、最高のお味です、と巴は思わず言いそうになったが、
また照れ隠しにぶたれるだけなので黙って笑顔だけを返した。
巴は紫子の料理は世界で一番美味しい、と考えているのだ。
それを口にしてしまえば、やはりぶたれるので言わないけれど。
しばらく待っていてくれ、と言い置くと、紫子は白い前掛けを手際
よく身に着けて料理へと移って行った。
巴がそんな彼女の後ろ姿を見守っている内に、次第にいい匂いが
漂い始め料理は完成していた。
今日の朝食は、黄色い沢庵と白いご飯と菜っ葉と若芽のお味噌汁。
そして大根のそぼろ肉あんかけとだしまき卵がおかずとして出され
ていた。
思わず、ごくりと巴は唾を呑み込んでしまう。
「まだ、簡単な物しか作れないんだが……どうかな?」
「と、とんでもありません! とても美味しそうです!」
「そうか? では食べようか」
「はい!」
いただきますを言うが早いか、巴は早速箸をおかずへと伸ばした。
甘辛い茶色い肉そぼろあんと、よく煮込まれた柔らかい大根がほど
よく混じりあってたまらない。
桜エビが入っただしまき卵は、ほんのり甘かった。
巴はとても手を休める事が出来ず、瞬く間にご飯粒一つ、汁の雫、
沢庵の一欠片に至るまで残さずに用意された朝食を食べ切った。
元々巴はそんなに食が太くはなく、朝は軽く済ませるだけなの
だけれど。
「気持ちのいい食欲を見せてくれたね、巴」
「え、あ、えっと……とっても美味しかったので」
まだ食事を続けながら、そう言った紫子に巴は真っ赤になる。
くすくすと笑いながら彼女はなおも続けた。
「でも、そういう風に美味しそうに食べてくれるのは嬉しいな。
君のためなら、いつでも食事を作りたいと思うよ」
「なっ!? え、あ、えっと……!?」
まさに火を吹きそうな顔色になってしまった巴は、さっき
僕を怒った癖にそういう事言うんですよね、とぼやくように
思ったけれど言わなかった。
同様のあまり、さっき言ったのと同じような言葉を口
走りながら巴はうつむく。
と、その手を紫子が取った。
「ゆ、紫子様!?」
「私はずっと君と共にいたい……だから、君にも私と共に
いる覚悟を決めて欲しい」
「僕は……」
真剣な表情と、囁くように告げられた言葉に巴はためらう
ように体を震わせた。泣きそうに潤んだ瞳が、彼の不安さを
語らずとも物語っている。
しかし、紫子はそんな彼の震える手に優しく力を込めた。
「ぼく、は……」
巴は確かに紫子を愛している。一生を共にする覚悟をしたい
とも思っている。
だが、それには一度家に帰らなくてはならなかった。
両親はともかく、あの兄弟達にも会わなくてはならない。
「――大丈夫だ、巴。私がついている」
「……行き、ます……。ここまで言われて、僕だって男です
から引き下がれません。確かに兄達と会うのは怖い……だけど
僕だってずっと紫様と一緒にいたい……!」
「巴……!」
巴は勇気を振り絞るように言葉を紡いだ。
紫子の手を、今度は自ら引いてそこに軽く口づける。
紫子は真っ赤になったけれど、今度は振り払ったり殴ったりは
せず愛おしそうに彼を見つめるのだった――。
「――うわぁ、なんか、面白い物見ちゃった」
紫子と巴は、前触れもなく紫子の下宿先に遊びに来ていた
巫女服を身にまとった長い黒髪の少女が玄関先に立っていた
事を知らなかった。
神無月梓は、いかにも仲睦まじい二人をどこか悪戯っぽそ
うな顔で見ている。
〝――主様、でばがめであります〝
〝な、なんとも刺激的な光景です……〝
双子の狛犬――姉の千早は咎めるように梓へと告げ、妹の
千鶴はぽっ、と頬を桃色に染めていた。
「硬い事言わない言わない! それにしても、ともちんと
ゆかりん様の仲がそこまで進んでたとは思わなかったなぁ」
聞いてしまったからには、ぜひゆかりん様のお家に行きたい
所だね、とにやにや笑いを浮かべる主に狛犬姉妹は呆れたような
顔になっていたそうな――。
今回は巴と紫子様のラブラブっ
ぷりに力を入れてみました。
今まで書いていなかったですが、
彼女は実は料理上手です。
元々は一話完結の紫子様のお話の
予定だったのですが、長くなりそう
なので二話構成にしました。




