暗黒彼氏
部活動の朝練をする為に天道円歌は始業時間より一時間ほど早く学校の玄関をくぐり、靴箱の前で上靴に履き替えていた。
そこを突然誰かに腕を掴まれ、グイグイと引っ張られる。
「ちょっと、行き成り何ですか!?」
「いいから来て!早く!!」
引く手の先を見れば女子生徒が小声ながらも強い口調でキョロキョロと周りを警戒しながら足早に進む。
たどり着いたのは人気の無い中庭。
女子生徒が腕を掴んだままこちらに振り向く。
歩いている途中で気付いていたが、知っている顔だった。
円歌より一学年上の先輩だ。知っていると言っても、数回話した事がある程度だが。
「真門君の事よ」
そう切り出した言葉は円歌の予想通りのものだった。
(あー…嫌な予感がする)
話題の彼、真門音夜は円歌の幼馴染みだ。
そして最近この女子生徒は彼と親しくしていた。
その彼の事で呼び出される用件は二つ予想される。…そのどちらも円歌には歓迎出来ない事態だ。
一つは彼から離れろという警告。もう一つの方は――。
女子生徒はチラッと円歌の顔を見たが、直ぐに俯いてためらいながらも話し出した。
「…夢に、彼が出てくるの」
(……夢。これはどちらの用件なの?)
もう一つの方でなければいいと円歌は願う。
「毎日…毎日…彼が私の夢に現れて…、彼の掌が…わ、私の首に触れてきて…」
俯いて体を震わせながら話す彼女はその夢を思い出しているのか、空いている手が自身の首をなぞり呼吸を乱す。
「私…苦しくて…もう耐えられない!」
掴む指の力が強くなり腕が痛みを覚える。
「お願い!真門君と仲のいいあなたなら何とかしてくれるでしょう?」
必死の形相で腕にすがりつく彼女の首筋を見た時、これはもう一つの用件の方――助けを求められていると分かった。
宥めようとした時、此処にいる筈の無い男の低い声が現れた。
「何をしてるの?」
声に驚いてそちらに振り向けば一人の男子生徒が。
無駄な肉の無い細身の体、鴉の濡れ羽色の髪、白皙の美貌と言われる顔には切れ長の目に漆黒の瞳。スッとした鼻筋、薄い唇はキュッと締まっている。
思い違いでなければ、彼はこの女子生徒の思い人の筈だった。
「真門君!?」
だが彼女は彼の登場に喜びを見せるどころか円歌の蔭に隠れる様に動いた。
「……君、何をしているの?」
再び問いかけられた女子生徒は顔を蒼褪めさせて首を横に振りながら後ずさった。
「待って!!わ、私もう近付かないから!お願い、もう許して!」
音夜は問い質す。
「許す、って?」
「わ、私を呪い殺そうとしているんでしょう?止めて!真門君だって人殺しにはなりたくないでしょ!?」
女子生徒の言葉に円歌は心の中で呻いた。
(やり過ぎなのよ…)
呪い殺す――普通なら正気を疑う言葉だが目の前の男がそれを出来る事を円歌は知っている。
「何を言っているの?…人殺し?呪い殺す?……意味が分からないな」
とぼける言葉を言った後、音夜は口角を上げニッコリと笑った。
「でも、知ってる?……呪いで人が死んだって訴えても、取り合ってもらえないんだって。証明する事が出来ないからね」
言外に自分が罪を問われる事はないと言う彼に、女子生徒は蒼白になった顔からポタポタと涙をこぼしながら地面にへたりこんだ。
「許して…助けて…」
うわごとの様に言う女子生徒、それを笑う彼。
二人のやり取りで両者の関係は最悪の状態だと理解した円歌は掌を振り上げた。
「こらぁっ!!」
ベシィッ!と派手な音と共に音夜を怒鳴り付ける。
「痛ぁっ!?」
その声に女子生徒も大きく体を震わせて顔を上げた。
「あんたは!何を!やってるのよ!」
「痛い!円歌!?痛いよ!」
バシバシと音夜の頭を叩く円歌に女子生徒は呆然とした顔をした。
「先輩」
「は、はい?」
急な展開についていけない女子生徒は戸惑いながら円歌を見た。
「こいつがすみませんでした。ほら、あんたも謝って」
「…………」
そっぽを向く音夜。
「音夜〜?」
「……謝る必要なんて無い」
円歌は大きく溜め息を吐いて女子生徒の方に向き直った。
「とにかく、音夜にはこれ以上させませんから。……先輩も忘れて下さい」
女子生徒は円歌から音夜に視線を移し彼のまだ納得していない顔つきに体を震わせたが、急いで頷いた。
「わ、分かったわ」
長居は無用とばかりに女子生徒は立ち上がり、中庭の出入口に向かう。
その彼女の耳元に音夜の声がかかる。
「誰かに話したら、今度こそ殺す」
女子生徒は足を止めて振り返った。互いの距離は十メートルほど離れているのに、直ぐ側で聞こえた声に恐怖がぶり返す。
「ひっ…!」
言葉にならない悲鳴を漏らし、逃げ出した。
「音夜、今何かした?」
「…ちょっと口止めをお願いしただけだよ」
「はぁ…。本当にもう止めてよ?彼女の首、痣が出来てたじゃない」
「ああ。はっきりとしたものが無いとただの夢だって思われそうだったから」
「…何でそんな事したの?」
「……別に。気に食わなかったから」
(また私の事で何かあったな?)
彼は見た目だけでなく能力も優秀、そして家は裕福だ。
対して円歌は学業成績は良いが奨学生である。
この高校に円歌が入学したのは音夜が一緒の高校に通う事を希望したからだが、いわゆる“金持ち学校”と揶揄される此処に入るには円歌の家は少し経済面で苦しく奨学金を受ける事にした。
音夜の恋人の座を狙う女共から見れば円歌は音夜の後を付け回す目障りなやつと取られている。
彼に振り向いてもらえない女達からたまにある嫌がらせ。
それに気付いた音夜は報復をする。それはもう命を脅かすほどに。
お蔭で円歌は平穏無事に過ごせるのだが、時々二人を見て怯えた顔をして逃げ出す人を見てげんなりとする。
音夜は円歌以外の者を排除する傾向があり、円歌はそれを憂いていた。
「音夜…世界は広いんだから、色んな人がいるし、世の中は君を中心に回っている訳じゃないんだからね?」
もっと周りと打ち解けてほしい、世界を広げてほしいと円歌は思っている。
「うん…僕の中心は円歌だよ」
「いや、ダメでしょ!」
おでこにチョップ。
(全然分かってくれない!)
「円歌…痛いよ」
「愛の鞭です!」
「……愛」
額に掌を当てながら顔を綻ばせる音夜に円歌は溜め息を吐く。
「はぁ…。もう、顔色悪いよ?朝ご飯食べてきた?」
白皙の…などと言われているが、円歌から見れば血色不良に見える。
「朝は食欲なくて…」
「ダ〜メ!少しでも食べなさい。ほら!」
鞄からサンドイッチが入ったランチボックスを取り出す。朝練に出た後に食べようと思っていたがもう出る気は失せていた。
「これ、手作り?」
「そっ、パンも家で焼いたんだよ。まぁ、材料合わせてお釜にポンのやつで、音夜の家で食べてるやつとは比べ物にはならないと思うけど」
「食べる」
「じゃあ、そこのベンチ行こっか」
直ぐ側にあるベンチに腰掛け、サンドイッチを勧める。
「食べられる分だけでいいからね?」
「美味しいよ」
ゆっくり味わいながら食べる音夜に円歌の顔も綻びる。
「ありがと〜。はい、これ紅茶」
「うん」
マグボトルの紅茶をカップに注いで渡す。受け取るその手がヒンヤリとしていた。
「……手、冷たい」
普段から低い体温の手に円歌は顔をしかめる。
「うん…暖めて?」
「しょうがないなぁ〜」
音夜の空いている方の手を取り両手で包む様に持って優しく揉みほぐす。
「円歌は温かいね」
「基礎体温が高いんだろうね〜」
円歌の熱がゆっくり音夜に移ってゆく。
「円歌は僕の太陽だよ」
「……あんたはブラックホールの様だね」
円歌は思う。
幼馴染みの男の子。
彼がいわゆる“魔王”と呼ばれる存在だと気付いたのはいつだっただろうか?
生まれてくる世界を間違えた魔王。
――でも、それでいい。
「音夜」
「何?円歌」
「此処に生まれてきて、ありがとうね」
音夜は一瞬目を見開いた後、幸せそうに微笑んだ。