23話 誘拐されたかずや
そわりと頬を撫でる暖かい風。
朝一番に鳴き始める小鳥のさえずりに耳と思考は徐々に研ぎ澄まされ、次第に俺の霧がかった視界までクリアになってくる。
無理な体制で寝ていたはずみか節々に痛む上体を叩き起こし、辺りを見渡せばそこには幻想的な世界が広がっていた。
颯爽に生い茂る木々に遮られる夜明けの暁。けれど溢れんばかりの温かな陽だまりは、葉や枝の間をくぐり抜けては自ら輝きを放つ水面を照らし出し、反発したかと思いきやふっと風が通り抜けた後に絡み合い、そして溶け合っていた。
中央の水面からポコポコと湧き出る湧き水はどこまでも透き通っていて、なのに色鮮やかに光を加えて宙を飛び回っている。
その美しさだけでハッと息を呑んでしまう光景はあまりにも神秘的で、荘厳で、なおかつ強調し過ぎない華やかさまで兼ね備えていた。
今なら風景写真を専門に撮るカメラマンの気持ちが分かる気がする。
そう。例えて分かりやすく言うなら、こう、恋に落ちた瞬間を一生とっておきたい気分と言うのだろうか。
昨日まで背の低い草木や砂ばかりを見ていた俺にとって、この嘘のような景色はズルいくらいに心にまで染み渡り、そして癒される。
まるで北欧神話のように自然が調和される神々しい情景に、俺は思わず自分の置かれた状況を忘れてしばらくの間見入ってしまった。
しかし、その状態も長くは続かなかった。昨日からあまり水分を補給していない俺はノドがカラカラではっきり言ってこの潤い溢れる泉とは逆に渇ききっている。
いつの間にかまたつけられていた拘束具に手こずりながらもその泉に向かう俺。
水が飲みたいと思ってそのまま泉の中を覗き込んだ俺は、水面に映った自分の姿に思わず仰天してしまった。
おそらく猿轡代わりにつけられたのだろう。
顔の下半分はスッポリと隠れる布で覆われ、更に鼻を中心線にして頭の真ん中の部分も包み込んでいる。なによりも驚いたのはこれが拘束用の布であるにも関わらず、目からこめかみの部分はスッポリと穴が空いていることだろう。
「いや、ちょっと待て。これってまさ…うわ!何か口についた!!ぺっぺ」
思わず俺が驚いてしまったのも無理はないと思う。
何故ならこの拘束具、皆さんがよくしるあのアイテムと同じだったのだから。
今も昔も全国の御父様に愛用される雪の如く真っ白な布に汗水を流し染み込ませた漢の真の勲章。
一回履いたら病み付きになって仕方がないであろうフォルムを持った伝説の巨匠、ブリーフパンツだったのだから。
「ぎゃー!!!」
何故ブリーフパンツが俺の頭に、とオロオロしながら考えていた矢先、誰かが俺の肩をグイッと掴んで爪を立てると、さっきまで感動したりビックリしたりとテンションが高かった俺が一気に青ざめるくらいに冷たい声で囁いた。
「何を騒いでイル。人間の男ヨ」
怖くて振り返ることの出来なかった俺は水面に映るそいつの姿を目視するとそのまま身体を思いっきり強張らせた。
いつの日か見た囚人。この世界に来た翌日に連れていかれた牢屋の中で突然蛇に変わった異国風のアクセントで話す男がそこにはいた。
そしてそいつの目を見た瞬間、俺の思考はフラッシュバックのように昨日の夜のことを考えていた。
◇◇◇
体内時計でおよそ六時間前。
バーチャマおばあちゃんに荷車の中で待つよう言われていた俺は、チャイの頭を撫でたりチャイの虹彩を月明かりに当てた時と当ててない時の違いを頭の中で記録したりしながら時間を潰していた。
「暇だな、チャイ」
「ニャ」
他愛もないそんな会話を交わしてからどれくらい待っただろうか。俺は長旅の疲れか段々と睡魔に襲われ、チャイもそろそろ俺と遊ぶのに飽き出してきていた。
はっきり言って電気も灯りも何一つない月明かりだけの暗闇の中で起きていろと言われるほうが難しいだろう。
睡魔に誘われるままに眠りにつこうとしたその時。微かな物音が外から聞こえはじめて、俺は嫌々神経を尖らせた。
バタ、バタ、と鳥が羽ばたくような音がして渡り鳥かなと思ってあまり気にかけないようにしていたのだけれど、なぜかチャイがソワソワと動きだす。
チャイの様子がおかしい。
そう思い始めた途端、突如扉がバタンと開いて、外から二人組らしき男が入ってきた。
そしてそのまま扉を無理矢理こじ開けるために使われたであろう鈍器や不自然に身をくねらせているシルエットが現れたかと思ったら、前動作も何もなく一気に俺に襲いかかってきた。
「!!!」
ヤバイ、と本能的に分かっていたつもりでも咄嗟の事に身体が言うことを聞かない。辛うじて伸びた腕はこいつだけは守ろう、とチャイをきつく抱き上げている。
そんな俺の様子などお構いなく鈍器を構えた男はただ俺の頭だけを狙って武器を振り下ろした。
俺の腰は抜けたままなのに何故だか視界だけが全てをスローモーションに塗り替える。
ゆっくりとしたモーションの中で唯一覚えていたのは俺の腕からすり抜けたチャイが鈍器に向かって飛びつく瞬間と、一瞬だけチラリと見えた男の歪んだ笑みだけだった。
意識を手放す瞬間に見えた真っ白な何かだけが強く印象に残っていた。
◇◇◇
「お母様!!大変です!」
遺跡から帰還して早々、城の仕事に復帰していたアミがアントワンヌの元へ駆け寄っていく。
あまりにも慌てていたのか、なりふり構わず夜の城の中を走ってきたアミはアントワンヌの部屋の状況を確認せずに入室すると、そのまま緊張した面持ちでアントワンヌに告げた。
「かずや君が……」
「アミ!今は……」
あちゃー、と眉間の皺を抑えるアントワンヌ。どうやら誰かと話していたらしいアントワンヌはかずやの名前に若干焦りを見せていた。
それもそのはず。何故ならアントワンヌの話し相手が偶然か否か情報発信源として知られたあのアカリだったのだから。
アントワンヌは必死にかずやの話題を避けていたらしく、お預けをくらっていたアカリはアミの報告に計らずも相好を崩した。
「かずや君がどうしたの、アミ!?」
やっちゃったと内心冷や汗を流すも、緊急事態なのは確かだったからか、アミは仕方がなさそうに溜息を吐くとそのままアントワンヌに緊急の件を伝えた。
「大叔母様とお父様が合流した後、かずや君が違法入国罪・国結界損傷罪などですぐに処刑される方向へと話が進んだようです。ですが、荷車の中で待機していたかずや君はいなかったようでした。代わりに残されていたのは国境線の盗賊団の置き手紙だけで、かずや君解放の交換条件として国庫の鍵、そしてお母様の身柄を提示したようです」
「!!!」
アカリが驚いている傍ら、アントワンヌは状況を整理しはじめる。
「…どうやら情報の行き違いが生じたようね。…一応入国させたのにアイゼンの中じゃまだ入国扱いされてないのかしら?…それよりもなんで国境線の盗賊団が……」
ブツブツと考えを巡らせるアントワンヌの前で、アカリがわーと騒ぐ。
「えっ?かずや君捕まっちゃったの?処刑って嘘でしょ?アミなんとか言って!」
アミの肩を揺すりながら叫ぶアカリにアミはされるがままだ。
アントワンヌはそんな二人のやりとりを無視しながら頭の中で必要なものをリストアップすると、アミにある確認をとった。
「アイゼンは私になんて……」
「はい。…アカリ、ちょっと落ち着いて……。お父様は一部条件を呑みこみ、カホ、マイ、マキと鍵保管要員一名に鍵を持たせて連れてくるように、とのことです」
一旦アカリを落ち着かせたアミは報告書の更なる項目を読む。その中に鍵保管要員という単語を聞き取ったアカリはキラキラと目を輝かせながらアントワンヌに迫ると鼻息を荒くしながら彼女に申し出た。
「はい、はーい!私!私が鍵保管要員に立候補しま~す!!!」
「はいはい。分かったから駄々をこねないで」
アントワンヌの服の裾を掴み、床を転がりながら頼みこむアカリに頭を抱えるアントワンヌ。
今夜中にアカリの噂という誤った情報が漏れるリスクと、この件にアカリを関与させて事実に近い情報が後で流される危険性を天秤にかけたアントワンヌは、機密がある程度管理できる後者の方を選択すると、幼稚に騒ぐアカリの口を手で塞いだ。
「アカリを鍵保管要員に任命します」
「本当⁈」
くぐもった声で嬉しそうに頬を朱に染めるアカリ。アントワンヌは仕方がなさそうに一つ頷くと、アカリはさらに笑みを深めた。
しかし、一旦関わってしまった上に、これ以上被害を受けたくなかったからだろう。
「じゃあ鍵の用意はしてくるからアカリは他の三人を呼んできてちょうだい」
「はーい」
アントワンヌは適当な理由でアカリを部屋から追い出すと、改めてアミを正面から見据えた。
そしてそのままあることを尋ねる。
「その三人が呼ばれて私が呼ばれてない理由は?流れでアカリを鍵保管要員に任命したけれど、私でも良かったのかしら?」
「いいえ。お父様はお母様は絶対に連れてくるな、と」
アミの真剣な物言いに事の深刻さと自分の役割を改めて確認したアントワンヌは、次の瞬間、緊張感を一気に緩めると、そのまま茶目っ気たっぷりにクスリと笑った。
「私だったら、そんな盗賊団返り討ちにしちゃうんだけどなー」
「いけません、お母様」
「もー、過保護なんだから」
アントワンヌの口調を注意するアミ。アミはその際、報告書に書かれてあったもう一つの項目をチラリと見ると、心の中で冷や汗を流した。
なぜならそこには、
『他の盗賊団が来る可能性あり。城含め村全体、及びアントワンヌの警護を固めておくように』
という注意書きが書かれていたからだ。
暗に国宝庫を狙うこと自体が囮だと示唆するような言葉にアミの手は無意識に、そして小刻みに震えていた。
次回は8月22日訳あって0時更新します。




