9話 今後
「これって腐ってませんか?」
黒いつやと膨らみを強調したご飯のようなそれに指を差して俺は言った。お節に出てくる黒豆をそのまま米の形にしたような感じでテレビでしか見たことないキャビアのような輝きでさえ放っている。すると、アントワンヌさんは一瞬怪訝そうな素ぶりを見せた後あ〜、と何かを納得したかのように手をポンと叩いた。
「そうか、かずや君は始めてだったか……。異世界から来たら当然だな。配慮が足りなくて申し訳ない。これはご飯と言ってな、私たちの主食だ。専ら君はパンが主食だったんだろう。残念ながらパンはあまり食べないな。まあ、とにかく口に合うかは分からんがどうぞ食べてみてくれ」
ご飯という食べ物は普通の日本男子なら知っているものだけど、黒いものは食べたことない、というか日本では黒いご飯なんてまず馴染みがないだろう。俺は恐る恐るスプーンのようなものでご飯を掬うとそのまま思い切って口に入れた。
「あれっ?美味しい」
口の中に入った途端に広がる自然な甘さ。釜で炊いた時のようなあのしっかりと味わいたくなる歯ごたえ。一粒一粒手間隙かけて作られたと分かるぐらいくっきりとした米の形はその念入りさを味で指し示している。ご飯だけでご飯三杯いけます、とか言ったらアントワンヌさんに笑われた。ガツガツ食べる俺を微笑ましい様子で見つめながら彼女は俺に声をかけた。
「そんなにお腹が減ってたんだな……。そんなに急いで食べるとむせるぞ……ああ、言わんこっちゃない」
ゲホゲホっと咳き込む俺に静かにお茶の入ったコップを差し出すアントワンヌさん。それを勢いよく飲み込むとまたむせた。呆れた様子で苦笑するアントワンヌさんを見て俺は恥ずかしさに縮こまってしまった。今度は喉に詰まらないようにしっかりと噛んで食べる。俺がちょうどご飯を食べ終えるところを見計らってアントワンヌさんは話を切り出してきた。
「先ほどの話なんだが……」
俺が異世界から来た、という話だろう。頷きながら返事を返すと真剣な眼差しで俺を見ながらアントワンヌさんは話し出した。
「私の話し方って変か?ちょっと分からなくてな」
…………。あっ、異世界じゃないのね。想像していた内容どころかこのタイミングで予想を大きく外れる質問をされたおかげで俺は言葉がすぐに出せない。少し焦った様子の俺を見て肯定と受け取ったのかアントワンヌさんは自身の話し方について説明し始めた。
「普段はこんな感じに話すんだ。もちろん敬語も使うし人を罵る言葉も使う。まあ、立場上仕方がないんだ。だからもし私の言葉遣いが変わったら何かの対応している時だと思ってくれ。たまに冗談で他も使うが、まあ君もいろいろと対処してくれ」
なるほど。とりあえず納得したことを伝える為に頷く。アントワンヌさんもそんな俺を見て嬉しそうに微笑んだ。だけど俺が知りたいのはそんなことじゃない。確かに飯も美味いしアントワンヌさんみたいにいい人にもあった。でもやっぱり俺が知りたいのはこの世界から帰れるかどうかだ。だから聞いた。……アントワンヌさんの表情が変わる。いつの間にか静かになった部屋の中で俺は返事を待った。一秒が一分に、一分が一時間に感じられる長いようで短い沈黙が続いた後アントワンヌさんはゆっくりと口を開いた。
「無理だ。いや、正確にはまだ分からない。唯一分かっているのは君がとある洞窟から出てきたことだけだ。その洞窟もつい最近まで認識されていなかったし、古い文献に載っていたことから情報自体が定かじゃないんだ。力になれなくて申し訳ない」
済まなそうに頭を下げるアントワンヌさんに俺はなんと声をかければいいか分からなかった。本当に俺は帰れないのだろうか。もう日本に帰って家族にも会えないのだろうか。沈んでいく気分に逆らえずにガックリと項垂れる。視界が真っ暗になった気がした。アントワンヌさんはまだ頭を下げたままだ。何かを言いかけようとするも言葉が詰まる。ますます消沈する俺。そんな俺の様子を見て意を決したようにアントワンヌさんは顔をあげ俺にとって希望となる言葉をかけた。
「もしかしたらの話だ……それにまだ確証はない。帰る方法は分からないが君が出てきた洞窟のことならこの大陸にある遺跡を周れば分かるかもしれない。何故ならその文献が記された時期が完全にではないが遺跡が建造された時期と重なっているからだ。もちろん可能性は限りなく低いが」
俺にとっては朗報だが、その裏を含んだ言い方に疑問を覚える。その疑問を解消する為に尋ねると案の定返ってきた答えはあまり望ましくないものだった。
「この大陸には魔物が多く住み着いていてな……遺跡を住処にしている魔物も多いんだ。フーガ村の近くはあまり出てこないが、基本的に魔物はそこら辺にうじゃうじゃいる。つまり一つ一つの遺跡を周るのには大きな危険が伴うんだ」
衝撃的な内容に萎縮してしまう俺だったが帰れるかもしれないと分かった以上このまま引き下がる訳にもいかない。魔物の危険性よりも異世界から帰還出来るかもしれない将来の期待が高まった俺は次の情報を得る為に質問を交えて話の続きを促した。
「魔物ってどんなものですか?それにここから一番近い遺跡はどこなんでしょうか?教えてください」
真剣な顔をした俺とその迫力に若干後ろに下がるアントワンヌさん。俺の勢いに飲まれたのか一瞬たじろいだ後に口を開いた。
「一概に魔物が何かとはいえないけど、定義としてある程度の魔力を持つ生き物とされている。まあ、そんなこと言ったら人間も魔物になるから実際はよく分からないんだ。一番近い遺跡といったらここフーガ村から早馬で半日から一日くらいかかるオカリナ遺跡だな。すでにいろいろと調査されているから君にとって有益な情報は得られないかもしれない」
そうですか、と相槌を打ちながら言われた内容について考える。多少リスクはあるけど今後のことを考えると無駄じゃないなと思った俺は行きたいという気持ちを伝えた。俺を見て納得したアントワンヌさんは今日はもう遅いという理由でまた明日話し合おうと言い俺もそれに同意した。
◇◇◇
その後案内された部屋は一人で使うには勿体無いぐらいの豪華なものだった。とはいってもこれまた和風だったのだが。俺は疲れが溜まっていたのか布団の上に倒れ込むとそのまま熊のように寝てしまった。
静寂に包まれた部屋の中、男のいびきが木霊する。それに混じって開いていたふすまの隙間から小さな無声音で誰かが囁いた。
「明日が楽しみだな」
スーッとふすまが閉まりスタスタと足音が遠ざかっていく。部屋に残された男の口からは幸せそうな涎が垂れていた。




