激昂と考察
ぐるぐる。ぐるぐる。
となりやを出たのは六時を過ぎる頃だったように思う。辺りの街頭がぽつぽつと薄い光をつけ始めていた。俺と楠宮はとなりやを出てすぐに別れそれぞれ家路についた。
「遅いっ!」
玄関の扉を開けると仁王立ちした金髪人魚、ジル・トールボットがそこにはいた。激昂したジルはまだ靴を脱いでいない僕に向かってこう続けた。
「アンタはほんっとーにアタシを何だと思ってるわけ? 人魚よ人魚! 気高き人魚様を一人にしておくなんていい度胸よね。アンタは別に何とも思ってないかもしれないけれどね、アタシはアタシで困って困って困ってんのよ? 分かる?」
「………………」
何だか困っていることは伝わったけれど、俺は帰ってまだ一言も発していない。「ただいま」すら許されない程に激昂しているとは。
「聞いてるの⁉」
また怒られてしまった。ここでも使うべきなのか? 伝家の宝刀だんまり。伝家の宝刀を一日に何回も抜かなければならないとは……俺にとってだんまりはもはや常備刀のようなものになってきているな。しかしここではだんまりはやめておこう。黙って怒られるのは
体力を使うしな。
「ま、まぁ落ち着けよジル。時間は逼迫も切迫もしていないと思うぞ。最低でも卒業まで半年程あるわけだし、それまでに色々な事を学んでいければ良いんだろ? いつも気を張ってたら疲れるだろ」
「あー、うるさいうるさいっ! いいから調べるのよ。あのメモの事。あれは絶対に何らかのメッセージが……」
ううむ。困ったことになった。いや、元々こいつが原因で困り果ててはいたけども。勉強をする暇も無い程に責め立てられるとは思っていなかった。これは本気で解決しなければならないのだろう。
「分かったよ。分かった。出来るだけ早く解決するから、メモをよこせ。俺みたいな人間がその内容を解読できるかは保証出来ない。だけど、少し考えてみるよ」
それがこいつにとっても俺にとっても一番手っ取り早い方法なのだろうから。
俺の言葉に少し考えてから例のメモを取り出して渡してきた。ジルは唇を尖らせ少し不満そうに、しかしどこか照れながら俺から目を逸らしながら言った。
「……たっ、頼んだわよ」
時刻は深夜一時。
さて、人魚様から大変立派な使命を仰せつかった俺は少し考えてみようと思いメモをもう一度確認した。
574.86
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このメモが意味するところは一体何なのだろう。確かに分からない。だが、何処かで……。今までに……。確実に……。
「見たことが……あるんだよな絶対に」
ぐるぐると、考えを巡らせながら……。
ぐるぐると、考えを巡らせながら……。
回転椅子に座った俺は回り続けた。小学生の時から使っている勉強机。黒い電気スタンド。積み重ねたプリント。小説より漫画の方が多い本棚。古いベッド。野球選手が写っている大きめのポスター。母お手製の花柄をあしらった窓のカーテン。
右回りにそれらを順番に通り過ぎぐるぐると、ぐるぐると、回り続けた。
「ふぅ、明日も早いし眠ろう」
考え過ぎて頭が痛くなってきた所で俺は眠ろうと思った。明日も学校だ。
分かったような分からないような、やっぱり分かってはいないのだろうけれど。
俺は電気を消して目を閉じた。