友達
「学校……行きたくねぇなぁ」
俺は出された課題に手をつけないまま、ベッドの上で考え事をしているうちに、深く誘われてしまった。
目が覚める。目が醒める、まだ一歩手前……そんな状態。
何が正解で、何が不正解なのか。そんな二つの答えの狭間で葛藤し、思考し、肯定する。自分の答えは正解だ、と。
事実、手を差し伸べると助かる命に手を差し伸べないのは罪だ。俺はそう考える。だって、そうだろ? 人は……そうあるべきだ。その対象が、例え人魚、元人魚でもだ。……そう。それが正解。だけど、本当に正しいのか? 正しく、正しいのだろうか。
学校、いかなくてもいいか……。
クリスマス、お正月を目前に、今更学校に行く理由も殆ど無い。何だったら学校よりも家の方が勉強に集中できるんじゃないのか。
そうだ。その方がイイよ。なんてったって俺は受験生だ。センター試験だって一ヶ月後に迫っているんだ。俺が今すべき事は勉強だろ! 学生の本分だろ! さぁ、起きろ俺! 起きて勉強しろ!
…………………………。
目を開けているのかいないのか、自分でも分からない。体が思う様に動かないのだ。まるで見えない鎖に縛られているかの様に、俺の体は動かない。金縛り? いや、違う。ただただ動かないのだ。動けないんではなく動かないのだ。勘違いしてもらっては困る。とは言っても……誰が勘違いするのか。今この家には俺しか居ないというのに。
……俺、しか……。
「腹減ったな」
俺は重い身体を起こし、冷蔵庫を漁る為リビングへと向かった。
壁に掛けた黒い時計は八時半を示していた。ああ、もう完全に遅刻だ。時計を見て、早い時間なら行こうかとも思ったが、やはり今日は学校を休もう。
そう思いながら俺はリビングへ向かう為、自室のドアノブに手を掛けた。
学校をずる休みし、見たいわけでもない朝の連続ドラマ小説を見ながらコーヒーを呑んでいると、誰かからメールが届いた。
俺はテーブルの上のスマホに手を伸ばし、その指でメールを開く。楠宮からか……。
『どうした? 学校来いよ! もう虐めないからさぁ』
いつ、俺がお前に虐められたんだよ……。メールの内容に心の中でツッコミをいれてやる。しかし、返信はしない。
そして、間髪を入れずにメールがもう一件届く。送り主は楠宮だったが、どうやら現見からの内容らしい。
『銛矢くん、大丈夫? 体調良くなったら電話して。伝えたい事があるの』
何だろう。伝えたい事って……。
俺はメールを返信する。楠宮宛てではあるが、あいつに宛てた文章にはしなかった。
『現見、ありがとう。でも、もう心配要らないよ。ジルの事は、ちゃんと解決したから。じゃあ、また学校でな』
スマホを床に置き、ソファに横になる。
そういや、ジルの奴も、よくここで横になってたっけ。
そんな事を思いながら天井を仰ぎ、俺はゆっくりと瞼を閉じた。そして俺はそのまま、浅い夢の中へ堕ちていった。
夢は、耳からの情報が物凄く関係していると思う。
こんな経験はないだろうか。昼間にテレビを付けっ放しにして、ついウトウトと昼寝をしてしまった時--例えば、甲子園なんかを付けっ放しにして--野球の夢だったとか、そんな感じの経験だ。
だけど、耳からの情報を主として夢が構成されるならば、俺たちの見る夢は、大半が『いびき』のような『音』に関わる夢になるのではないだろうか。そう考えると、いびきがうるさい人間は毎夜、疲れを癒せずにいるのではないかと、少し心配になったりする。
まぁ、だから、俺が夢と耳からの情報をいくら力説しようと、信憑性もなければ説得力もない事なので、そろそろ現実に戻りたいと思う。
激しいチャイムの音に驚き、俺は目を覚ました。時計は午前十時を指している。
誰だ。朝っぱらから……。玄関のチャイム鳴らし過ぎだろ。
仕方なく起き上がろうとした時、玄関がガチャリと開く音が聞こえた。バタバタと足音が聞こえる。一人の足音では無いという事は、なんとなく分かった。
ドアを激しく開き、リビングへ突入してきた人物はよく知っているあいつらだった。
「現見? 楠宮!? お前等、学校は!?」
息を切らしながら、楠宮は言う。現見は口を開かなかった。
「フケて来たんだよ」
「………………」
現見の表情はいつになく険しく、恐ろしかった。楠宮は……物凄く疲れているな。
現見は顔色を怒りのままに、俺の目の前まで来た。寝転んだ状態だと、現見の太ももと会話する様になると思い、気を使って起き上がった。
----刹那----。
「………………っ!?」
俺は、現見に平手打ちを食らっていた。自分の状況を理解するのに苦労した。寝起きだし、現見だし、平手打ちだし、寝起きだし……。とにかく、自分がどうして叩かれたのか、全く理解できないでいた。
「銛矢くんっ! 何で相談してくれなかったのよっ!!! 私じゃ、私達じゃ……相談相手にもならないって事!?」
「な……何を」
「分かってるんだから! 楠宮君にも色々と聞いたわ! 『解決したから』って何? ジルちゃん、海に帰したんでしょう!? 私、何も聞かされてない!!! いきなり『ジルは人魚だ』って打ち明けられただけじゃない! 相談があってもいいじゃない! 私は除け者なの!?」
「おい、落ち着け! うつ--」
「落ち着けって? 友達が居なくなったんだよ!? しかも何も聞かされずに! そんな状態で落ち着けるわけ、無いじゃないっっっ!!!」
現見は怒りながら、涙を流していた。現見の大きな目にはまだ涙が光っている。現見が瞬きをする度に、目尻から、目頭から、想いが溢れ出る。
「勝手だよ……。酷いよ……。私は、あの時、ジルちゃんが人魚って事を聞いただけでも驚いたのに……。でも、それを受け入れて、友達でいよう。私が一番の友達でいようって心に決めたのに……どうして……」
「すまない……現見」
俺は下を向き、顔を隠した。恥ずかしかったのだ。自分が、自分だけが、ジルを助けてやれるんだと信じ切って……。情けない。
俺は、なんて弱くて、惨めで、小さくて--忌々しいんだろう。
リビングに数分の沈黙が流れ、楠宮がようやく口を開く。
「んー。俺は未だに信じられねーんだがなぁ」
「どういう事だよ、楠宮」
楠宮は両手を頭の後ろで組み、飄々と答えた。
「ジルちゃんの事だよ。何でこの時期に兄貴まで出て来て、ジルちゃんを連れ帰ろうとするんだろうなぁ〜ってな」
「そりゃあ、海じゃないと……生きて行けないから……じゃないのか? ジルの兄貴もそう言っていたぞ」
楠宮は呆れたといった表情で俺を見つめ、ため息交じりに答えた。
「はぁ〜。人魚ってそもそも水陸両用だろ? 人足す魚だろ? ジルちゃんに何も変化が見られないんなら……」
「変化って? 何だよ」
「魚独特のエラ呼吸だったらさ、陸に上がった瞬間から弱っていくだろ? つまり、ジルちゃんは陸での生活に何も問題がなかったんじゃないかと……俺は考えるけどね〜」
そうなのか? だとしたら、ジルは……。どうして?
考えている俺を待たずに、楠宮は新たな問題を突き付けた。
「ああ、あとコレ! 郵便受けに入ってたよ。切手も、名前も無いけど……多分、お前にだよな?」
楠宮は人差し指と中指で封筒を挟み、俺にそれを渡した。いつになく真剣に、真摯に、誠実に、男らしく、楠宮は言う。
「まだ……間に合うんじゃないか」