部屋にて2
「アンタ……それ、本気で言ってるの?」
ジルの顔は笑えない冗談でも聞いたように、苦笑いを浮かべていた。
俺はしっかりと間をとって、深呼吸をして、背筋を正して、一度目を閉じて、拳を握りしめて、声が震えないように気をつけて、ジルを見つめながら……言った。
「マジだ。大真面目だ。だから、すまないが……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! どうしたのよ急に! まさかあのバカ兄貴に何か吹き込まれたのね? そうなんでしょ」
ジルはベッドの上に座っていたが、ずいと身を乗り出した。さらにジルは続ける。
「大体、いきなり過ぎるわよ! こんな時季に! 学校はどうするのよ? 困るのはアタシよりもアンタなのよ! 学校の皆に色々と詰問されるんじゃないの!?」
「学校には……うまく、言っておく」
ジルは立ち上がって語気を強めながら、俺を攻め立てる。
「じゃ、じゃあ……そうよ! ご家族にはどう説明するのよ! いきなり帰るなんてどう考えてもおかしいわよ!」
「ウチの事は……お前が気にすることじゃない」
ジルは唸った。腹の底にある煮え滾る気持ちをぶつけたいのだろう。さらにジルは帰らないアピールを続ける。
もう、俺は決めたんだよ。
「うぅ……。と、友達だって……出来たのに。京子ちゃん、あずみさん、楠宮……」
決めたからこそ……俺は、こいつを--。
「三人には、ジルの正体を……明かした」
「え……?」
時が止まった。
何分? いや、何秒か。いいや、止まってはいない。感じただけ。--そう、感じただけだ。
俺たちが止まった間も、しっかりと時計の針は齷齪と動いている。カチ、カチ、カチと、一定のリズムを刻む時計の音がうるさい程に。
「どうして……」
ジルは愕然とした表情で、俺を見ていた。俺はジルの足元に目をやり、応える。
「どうしてって……。お前だって、あずみさんに自分の秘密を明かしてたんだろ?」
「そ、それは……」
「お前は、あの日--俺に言ってたよな? 『私が人魚だと知れるのは一人だけ』って。あずみさんに言ったって聞いた時は驚いたよ。……ああ、嘘ついてたんだコイツって、そう思った。
そう思うとさ、お前の言ってたことがどこから本当で、どこまで嘘か……分からなくなったよ」
「………………」
「やれ、人魚界追放だの。やれ、科学者になるだの。やれ、人魚姫だの……。挙げるとキリがないよな。どれが本当なんだ? 目的も無く、こんなところに居るくらいなら……」
ダメだ。なんか、止まらねー。ジルに、こんな事、こんな風に言いたいわけじゃ無いのに……。
「とっとと海に帰っちまえよ!!!」
「…………っ!」
ジルは俺に言い返すことも無く、下唇を強く噛み、ズボンの横をぎゅうっと握りしめていた。下を向き、髪で顔が隠れていたが、やがてポタリ、ポタリと部屋の絨毯が濡れていく。
「…………うっ、ぐ」
ジルは泣いていた。俺は、自分が言い過ぎた事に遅ればせながら気づき、取り繕おうとジルに話しかける。
「あ……ジ、ジル……」
が、刹那。ジルは部屋を飛び出し、外に出ようとしていた。それを見た俺も、椅子から飛び上がり、廊下に出る。今度は逃がさない。しっかり話して、出て行ってもらう。それがジルの為なんだ。
「おい、ジル! まだ話は終わってないぞ! また逃げるのかよ」
廊下に逃げ出したジルの腕を掴み、逃がさないように捕まえる。か細い腕……右手で捕まえたその左腕は、少し力を入れると折れてしまいそうな程、弱々しく、儚い。
ジルは俺の手を振り払おうと必死に暴れていた。
「バカ……バカバカバカバカバカバカ!!! 離してよっ!!! もうアタシは要らないんでしょ! 帰るのよ! 帰ってやるのよ! アタシは……あの、地獄に! もうアタシに構わないでよっっ!!!」
俺はジルの左腕を引き寄せ、ジルの身体を回転させた。同時に暴れている右手を見事に受け止め、俺とジルは正対する。
「離し……てよ。もう……分かったわよ。帰るから。海に帰るから……」
ジルの目からは大粒の涙がこぼれていた。顔をくしゃくしゃにして、人目を憚らず泣いていた。どこか諦めたような、一つの命が終焉を迎えたような虚無が、その言葉に詰まっていた。
「俺は、本当の事を知りたい。どうして、お前はここに来たんだ。どうして俺だったんだ」
「うぅ……。それ、は……言わない。絶対に言わない」
「何だよ! お前は最後の最後まで、何も本当の事を言ってくれないのか! お前にとって、俺は何だったんだ! ただのホームステイ先の同級生か?! ただの助手だったのか!?」
「無理、なんだって……」
「………………」
俺の身体から力が抜け、ジルを拘束していた両手を解放した。ジルはもう、暴れなかった。
俺たちは無言のまま固まっていた。俺たちに動きを取り戻したのは、迷惑千万この上ない、夜十二時のインターホンの鐘の音だった。
「俺が出る」
短くそう言って、俺は鍵を開け、ドアを開いた。そこには憎たらしい程ひょうひょうとしたジルの兄が立っていた。
「やぁや! そろそろ結論は出たかな? 少年。待ちくたびれたよ」
「なんで!? なんで、バ……アンタがここに!?」
「ダグ……さん」
俺は、大体予想がついていたから落ち着いていられたが、ジルは違ったようだ。明らかに狼狽している。
ダグ・トールボットは無駄な話を一切する事無く、ストレートに言い放った。
「さぁ、愛する妹よ。帰ろうではないか! オレ達の海へ」