人魚だろ
助ける。助ける。
「とは言っても……あいつを助けるってのは、海に返すって結論で間違いないよな」
肩で息をしながら、晴れ渡った空を見上げる。長い事走っていたと思ったが、まだ現見の家の庭だった。
「はぁ、はぁ、銛矢君……どうしたの、急に」
「悪い、現見。ちょっと……走りたくなってさ」
「どんなアスリート精神なのよ! 銛矢君、やっぱりおかしいよ」
「むぅ……」
確かに、おかしいよ。
俺は迷っている。
ジルを海に返さないと、ジルが危険だ。だが、そんな事を現見に言えるだろうか。答えはノーだ。ジルが実は人魚だなんて、言えるはずがない。
俺は現見を見て、静かに言った。
「現見に大切な事を言っておかないといけないんだ」
「えっ!?」
「現見。実は----」
楠宮御影は俺の親友である。これは間違いない。何故か。周りがそう言うからだ。だが俺は周りの意見に耳を傾けない男では無い。従って、この忌々しくも卑しく卑猥な猥談好きな友人を、俺の親友としておこう。
「海。お前が『となりや』に誘ってくれるなんて、珍しいな」
「そうだっけか? なんなら隣町のファミレスでも良かったんだが」
「んなっ! そりゃお前、あずみさんに失礼だろ」
カウンターを大袈裟にダンダンと叩く楠宮。ああ、こいつはいつも通り忌々しい。
カウンターの向こうから、あずみさんが飲み物を置きながら俺に言う。
「何よ、言うようになったじゃない。クソガキが。ほれ、飲みな」
「ありがとうございます」
あずみさんが俺達に提供したのは、アイスコーヒーだった。
「何故に、レーコーですか……」
楠宮が恐る恐るあずみさんに質問をする。あずみさんは「ふふん」と鼻で笑ってから、不気味な表情で楠宮に言う。
「お前らをカフェイン多量摂取で殺してやろうと思ってな……」
「…………!?」
場の空気が、コーヒーよりも冷たくなった。が、すぐにあずみさんはけらけらと笑いながらコーヒーについての説明を始めた。
「ビビり過ぎだ。二人共。これな、アイスで飲むのにいい豆なんだよ。グァテマラ産の豆でな……とりあえず、飲んでみ」
あずみさんはコーヒーの説明をする事無く、俺達にコーヒーを勧めた。あずみさんの満面の笑みと、差し出された両手が「うまい!」以外の言葉を言わせない。そんな威圧感を感じながら、俺と楠宮は恐る恐る、ストローに口を付けた。
「--う、うまい!」
思わず、というより素直に、このコーヒーのうまさに驚いてしまった。楠宮も「うめーぇ!」としきりに口にしていた。
「だぁろ〜? うめぇよなぁ! やっぱりグァテマラはアイスで正解だよなぁ! この深いキレとコク、嫌味にならないけど癖になる酸味! さっすが、私の弟子達だ」
あずみさんは心底嬉しそうにしていた。多分、自分で挽いた豆だからこそ、ここまで喜んでいるんだろう。
「俺は弟子じゃ終わりませんがね!」
「…………」
楠宮のジョークもコーヒーの旨さに隠れてしまったので、俺は敢えて何も言わなかった。
俺はもう一口コーヒーを口に含み、しっかりと喉を潤してから楠宮を見ずに話し始めた。
「なぁ、楠宮……。今日は大切な話があるんだ」
「ん? 改まってどうしたよ。気持ち悪い。なんだ? 告白か?」
楠宮は身体を俺に向けていたが、俺は前を向いたまま話を続けた。
「告白……ねぇ。まぁ、そうなるのかもな」
「マジかよ……。笑えねぇな」
楠宮はコーヒーを飲み干し、グラスに残った氷を口に入れ、ごりごりと大きな音をたてた。
「んで、なんだよ。笑えねえ告白って」
「…………」
楠宮はしっかりと待ってくれていた。何も言わない俺をじっと見つめ、唯々ゆっくりと俺の言葉を待ってくれていた。
俺はそんな親友の姿に、口を開かずにはいられない。素直に、そう感じていた。
「……あのな、実は--」
「ジルちゃんの正体の話か?」
俺は思わず固まってしまった。多分、顔に「どうしてわかるんだ」と書いている程驚いていたと思う。
「はぁ、やっぱりな……。にわかには信じ難いけど、ああ〜、そうかぁ……」
「いやいやいやいやいや! 一人で納得しないでくれよ! 俺の張り詰めた緊張の糸が!」
「緩んじまったか? ははっ! まぁ、唯の転校生ってゆーのも嘘臭かったし……。てゆーよりお前が二学期の始まりに話してただろ?」
そうだ。
俺は夏休みに人魚を見た。そう楠宮に話をしていたのだ。
「いや、待て! 待て待て待て待て! お前、俺の話聞いて笑い飛ばしてたじゃないか」
「ん〜。あん時はノリで」
「ああ! 忌々しいっ!」
俺は頭をぐしゃぐしゃと掻き、両肘をカウンターに付けた。
「まぁ落ち着けって……」
「落ち着けるか! 分かってたんなら早めに相談に乗ってくれよ。ったく、ジルが人魚だなんて--」
「はっ?」
「ん?」
「人魚? ジルちゃんが?」
こいつは何を言っているんだ。ふざけているのだろうか。
「ああ、さっきからその話を--」
「えぇぇええええぇえぇえ〜ーー〜〜ー!?!?」
「え!? ええっ?!」
待て待て、落ち着け。こいつはジルが人魚だって気づいていた。さっきそう言ったんではなかっただろうか。あれ? あれれ?
「ジルちゃん……どーみても人間じゃねーか」
「いや、そうなんだけど……そうじゃないんだよ。なんて言えば分かってもらえるんだろうなぁ〜……」
俺が頭を悩ませていると、あずみさんがカウンターの向こうで首を傾げながら口を開いた。
「は? ジルちゃんは人魚だろ」




