女の子の部屋ってなんでこんなにいい匂いなんだろう
現見の家は、街の外れにあった。車の通りも少なく、静かな所だった。大きな玄関の扉の前で、俺たちは車を降りた。そして現見はセンチュリーをガレージに向かわせる。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」
玄関を開けた所に居たのは、着物を着た校長先生だった。色は目に優しい明るめのグリーンで、足袋を履いているのが分かった。
「こ、こんにちは。校長先生」
「いやねぇ、休日くらい先生って事を忘れさせてよ。校長という役職になってから長いけれど、孫がボーイフレンドを初めて家に連れて来たのだから、一人のおばあちゃんとしてお話させてちょうだいよ」
気宇壮大な校長先生の器量にはただ頭を下げる他なかった。しかし、何か気になる事を言われた気がしたのだが、気のせいか。
「お、おばあちゃん! 私たち、今から勉強するんだから--。とにかく、邪魔しないでよっ」
現見はそう言って、俺のためにスリッパを用意してくれる。なんて出来た娘なんだろう。
「うふふ、可愛いわねぇ。でも、休日なのに制服なんて……。ガッカリしたでしょう、銛矢君?」
「う?! …………いぃ」
言葉にならない驚きを、どの様に表現すべきか迷っていると、現見が叫ぶ。
「おばあちゃん! 銛矢君も!」
太もも辺りのスカートを両手でぎゅっと握りしめ、こちらに叫ぶ現見はとても可愛かった。
「あらあら、ケンケン言ってるわね。じゃあ、後は若い者に任せて--」
「おばあちゃん!?」
休日でもパワフルな校長先生を振り切り、二階の現見の部屋までたどり着く。
二階建てとは、本当に立派な家をお持ちのようだ。確か現見の家系は代々教師になるとか聞いたっけか。教師って公務員だろ。こんな豪奢な家に住めるのか。
「さっきからキョロキョロしてるね。銛矢君。どうかしたの?」
「い、いや。少し緊張したというか、なんというか」
「そっかぁ、じゃあ落ち着けるようにお茶でも淹れてもらおっか。おばーちゃーん! ジャスミン茶二つおねがーい」
二階から、階段に向かって大きな声で注文を飛ばした現見に、俺は咄嗟に突っ込んでしまった。
「校長先生に頼むのか!?」
「え? 何かまずかった?」
「いや、何でも無い。ただ、少し……驚いて」
「……? まぁ、早く勉強始めようよ。時間がもったいないよ」
確かにそうだ。
今日は現見との初デートだ。俺が、勝手に決めたのだが。現見と二人っきりで勉強なんて、至福。口が裂けても楠宮なんかには言えないな。女子だけでなく、男子の評価まで悪くなると居場所がなくなる。
現見が華奢な腕で自分より重そうなドアを開く。部屋の中は現見らしく、整理整頓されている。女の子の部屋独特の甘い香りに、身体がふわふわと宙に浮いているように錯覚した。どうして女の子ってこんなにいい匂いがするんだろう。
「適当に座ってて。お茶持ってくるよ」
バタンとドアを閉める現見。
現見の部屋に一人で正座している俺。正座したまま、部屋を見回してみると、小さな勉強机、ガラステーブル、白いベッドがある。ベッドの上にはペンギンのぬいぐるみが二体置いてあった。本棚には様々な本が収納されている。文庫本、ハードカバー、雑誌、コミックス、実用書--。本そのものが好きなんだな。流石は現見。
「ん? これって……」
本棚の一番下の段に少し古い本があった。題名に惹かれ、手を伸ばそうとした所で、現見がドア越しに声を出したので、俺はびくりと身体を震わせ、ドアを見た。
「銛矢君ー! 開けてー」
その声にすかさず俺はドアを開ける。結構重たいドアだった。
「えへへ、ゴメンね。お盆持ってたから、手が塞がっちゃって」
お盆を持ったまま、現見はペロッと、少し舌を出した。現見のチャーミングな仕草に、俺の心臓が激しくエイトビートを刻んでいる。俺は現見からお盆を受け取り、そのままガラステーブルに置く。そして、肩から掛けていたバッグを降ろし、筆箱を取り出す。
「さて現見、何から取り掛かろうか」
「うーん。まずは無難に数学かな」
現見は机の上に置いてあった赤本をガラステーブルに移動させる。赤本にはピンクやオレンジの付箋がいくつもあり、使い古されているようだ。
「ああ、そうだな。あれ、現見もう赤本使ってるのか」
「うん。センター対策も同時進行だよ。センターまで、あと三ヶ月切ってるしね」
センターとはセンター試験のことだ。古い言い方をすれば、共通一次というやつだ。大学に受験するために、まず受験生が艱難辛苦を味わう試験だ。英語のリスニング問題は、去年もトラブルを起こしていたようだ。
「現見、センター何教科いるの?」
「うーんと、国語、英語、数学ⅠA、ⅡB、世界史、政経、生物かな。銛矢君も大体似たような物だよね」
「ああ、俺は政経じゃなく、倫理をとったからな」
なんともデートらしくない会話だと感じるだろうが、甘い。俺にはこの会話さえ、甘く尊いやりとりに感じるのだ。というより、デートデートと嘯いているが、もう考えるのをやめよう。
俺はピリピリと痛みだした足を崩して、数学の参考書の頁をめくった。




