頭の柔らかい人
非常に当たり前な事なのだが、眠い時や寝ぼけている時は思考が曖昧で、ぼんやりとしている。この当たり前を打ち砕くのは何か。コマーシャルでよく観られる眠気覚ましドリンク、タブレットだろうか。はたまた、顔を洗うのか。歯磨きをするのか。ブラックコーヒーを一気に飲み干すのか。--まあ、人それぞれだろう。
俺は十八年という短い人生の中で、何が一番眠気を打ち砕くのか、分かった気がした。『突然の死亡予告』だと。
朝の冷気をしっかりと肌に感じ、俺は目を瞬かせる。俺の目にはジルの変態兄であるダグ・トールボットが映っている。
「い、今……何て……」
力なく、宙に浮いている様な感覚だ。自分の耳を疑った。今は夢の中ではないかとも考えた。
しかし、しかし……。
「だ、か、らぁ……言ってるでしょうが! このままだと妹が死んじゃうんだって」
「確認、したいんですけど。その妹の名前って……」
変態兄は肩をすくめながら、首をふるふると振る。欧米人に似つかわしい『やれやれ』といったジェスチャーの後、彼は言った。
「ジルだよ。君とずっとここに住んでるでしょうが。冗談言ってないで早く妹を……オレの愛する妹を返しておくれよ!」
俺は、この人とジルが無関係であってくれと願っていたが、一パーセントに満たない切なる思いは届かなかったみたいだ。
そりゃ、そうだ。ラストネームが『トールボット』って時点で兄妹ってのは簡単に分かる。
俺は手を頭にやり下を向いて、どうすればいいか考えた。答えは出るはずもない。何しろ何が起こっているのかが理解できていないのだ。答えは出なくて当然だ。
俺は少し時間をとり、ジルの兄を真っ直ぐ見ながら提案した。
「外で話しましょう。ちょっと、玄関で待っててもらえますか?」
「話が早くて助かるね。では正面で待っているよ。--ああ、一つ頼めるかい?」
「何ですか」
「ジルのパジャマがどんなのか確認してきてくれな----」
俺は窓を閉めた。
「雑学クーイズ! 人間の血管を全て繋げるとどれくらいの長さになるか、分かるかな?」
まだ薄暗く寒い道を歩きながら、ジルの実兄、ダグ・トールボットは俺に問題を出す。
「それ、『妹系』の答え用意してますか」
「いいや、用意していないよ。さぁ、分かるかい?」
ダグ・トールボットは陽気にスキップしながら俺の前を跳ねる。
「腸の面積がテニスコートと同じだとかいう話は聞きますけど……。うーん。ヒントは有りますか」
ダグはこちらを見ずに、右手の人差し指をついっと上げて言った。
「仕方ないな。選択問題にしよう。一、一万キロ。二、十万キロ。三、百万キロ。四、千万キロ。さぁ、どれだい?」
変態兄のイメージしかなかったが、中々まともな問題を出せるではないか。
俺は少しだけ感心しながら、問題の答えを考える。受験生として、出された問題を放っておけないのは至極当然である。しかし、慎重に慎重を重ねた上で出した俺の答えは『一』だった。人間の血管がそんなに長い訳がない。
ダグは右手の人差し指をまだあげたまま、くるりと振り返る。
「ファイナルアンサー?」
「ファ、ファイナル……アンサー」
「ではこの七百万円には戻れません」
「…………」
ダグはポケットからくしゃくしゃのチラシを取り出し、縦に破いた。手配りの不動産屋のチラシが無残に散る。
物凄い緊張感とオーラを感じる。
間を取りすぎている。間を取りすぎているが故に産まれる、奇妙な静寂。俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ざぁぁぁんねぇぇんんん」
非常に腹立たしい表情だ。尖らせたくちびるをぐいっと右に寄せ、目を薄く開いて上を向いている。もう一度言おう。腹立たしい表情だ。
「ああ、違いましたかー。悔しいなー」
「思ってもいない事は言わないでおくものだよ! 少年!」
そして、ダグは指を二本立てながら快活に笑ってから言った。
「正解は二番だよ。人間の血管は約十万キロなのだよ!」
「へぇ、驚いたな。そりゃあ」
「ちなみに、十万キロっていったら赤道を二周半出来るのだよ! すごくね? 人間すごくね?」
「ハァ……」
確かに人間の血管の長さを知れて良かったとは思う。しかし、ため息が漏れてしまう。俺がこいつと話したいのはこんな事ではない。
俺たちは小さな公園についた所で歩みを止め、打ち合わせたかのようにベンチに腰掛けた。一言目を発したのは、もちろん俺だ。
「あの……。そろそろ聞かせてくれませんか」
「何を?」
「とぼけないで下さいよ。ジルについて話を……!」
ベンチに鉄拳を食らわせながら、俺はダグに詰め寄る。ダグは俺の台詞を遮って、明るくなり出した薄紫色の空を見上げて言った。
「オレは! まだ、君の名前すら知らない。まずは、君の名前から聞かせて欲しいものだね」
「…………俺はっ!」
「ああ! 待て待て。当てるから! 分かった。何も言うな少年」
「…………」
何だ。どういう事だ。そんな事が出来るのか。確かに、考えてみるとこいつはなぞなぞやクイズが好きだ。となると、頭の回転は確実に早いだろうし、頭が柔らかい筈である。それに、飄々としたような人間に多いといわれる、天才肌。まさか、こいつは天才なのか? ならば見透かされるのも当然か。こいつには本当に、あるのかもしれない。人の全てを見通す技術が--。
「ハルヒロくん!」
無かった。
やっぱり、と言うべきか。
無かった。
少し、期待したが。
無かった。
あって欲しいとは思ったが。
無かった。
「おや、ううん? 違っていたようだな。分かる! 確かにハルヒロくんと言うのは違ったな。うむうむ、やり過ぎた。そうかそうか、ふむふむ……。で? 何の話だったかな、銛矢海くん?」
「いや、だから……」
えっ?
「待て! 今俺の名前……」
「ふふふっ。楽しいね。本当に、君と話していると楽しい。ジルが君に惹かれるのも分かる気がするなぁ」
ダグは掌を天高く掲げ、空を掴むように拳を作る。そして、人差し指をピンと立て、俺に向けてついっと降ろした。
「ジルは君に惚れちゃってんのさ。忌々しい程に、ね」




