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罪な人魚の都落ち  作者: 闍梨
第三章
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黄色い統括者

「あなたは、それを訊いてどうするつもりなんですか?」



中間試験がようやく終わり、一つ山を越えたどこか清々しい気持ちなぞ生まれるわけもない。何故なら俺は受験生だからだ。

受験生と言っても勉強のスタイルは人それぞれ、様々、千差万別、十人十色ではあるのだが、俺は放課後の教室が一番落ち着いて勉強出来る場所であると感じる。勉強をする際に音楽を聴くという人間が少なくないように、俺はグランドに響くバットの金属音や掛け声、ブラスバンド部の管楽器の鳴り響く音、残っている生徒達の雑談などその他もろもろがいいように作用し、集中して勉強が出来るわけである。


そして今俺は教室に一人で居残り、勉強をしている最中だった。10月も後半という事もあり教室に吹き込む風は秋のそれであったが、日差しはまだまだ諦め悪く俺たちにさんさんと降り注いでいた。

俺はセンター試験対策の赤本を広げて国語、主に古文漢文を解いていた。


「ふぅ、少し休憩ー」と呟きながら席を立ち、飲み物を買うために俺は一階に降りた。

普段使われない方の階段、西階段を通ると踊り場にブラスバンド部の子が二人いて(楽器はフルートとクラリネットだった)、俺に構う事なく練習をしていた。その場所は俺が始めてジルと会話をした場所であった。まだ出会って一ヶ月くらいしか経っていないのにどこか懐かしく感じられた。


西階段を降りて左手に手前から事務室、校長室、職員室がある。その奥はなんだったか。そうだ宿直室だ。思い出したぞ。

西階段から降りて真っ直ぐ中庭を横切ると食堂がある。食堂の入り口近くに自動販売機は設置されている。俺は財布から小銭を取り出し自動販売機に投入し、ペットボトルのコーラを買った。一口だけコーラを飲み蓋を閉める。口に残る強い炭酸、甘ったる過ぎて歯が溶ける感覚。だが、それがいい。


俺はまた中庭を横断し、事務室前にたどり着く。そこで俺は現見の言葉を思い出した。「おばあちゃんは難しい人だけど……」不安が無いわけではないのだが、俺は意を決した。校長室に行ってみよう、と。


俺は校長室のドアの前まで歩き、ドアをノックしようとした。すると中から声が聞こえてきた。


「ーーーーていーーしょう? あなたはーーーーーー」


校長先生の声だろうか。よく聞こえない。

という事はもう一人誰かいるか、電話をしているかの二択だが、違う種類の声が聞こえてきたから前者だと分かった。

うむむ、盗み聞きは趣味ではないからな。中にいるのが女の先生であることは分かったのだが、先客が居るなら仕方ない。

俺は諦めて西階段を登ろうとした。すると、「失礼しました」と校長室から人が出てきたようだ。俺は半分ほど登っていた階段を降りて校長室へ向かった。中に居た女の先生はもう職員室に入ったのだろう。廊下は無人で水を打ったように静かだった。


俺は再び校長室の前に立つ。正式なノックの作法に少しばかり教養がある俺はドアを四回ノックした。すると中から「どうぞ」と帰ってきたので、横開きのドアを静かに開き中に入った。

校長室独特の張り詰めた空気に似つかわしくない、明るく眩しい黄色のスーツが印象的だった。校長先生は後ろの窓から部活中の生徒たちを眺めていた。立ち姿は歳を感じさせないなかなか格好良いものがある。しかし、黄色のパンツスーツは売れない芸人の様でもありやはり校長室にミスマッチである感は否めなかったのだが。


「あら、若いお客様ね。ソファにどうぞ」


「ありがとうございます。失礼します」


俺は革張りの豪奢なソファに腰を下ろす。フカフカではなくしっかりとした座り心地だが、サイズが大きく油断するとソファに食べられてしまいそうな感覚に陥ったので、俺は深く腰を降ろさずにいた。


「あらあら、緊張しているのかしら。ゆっくりしてもらって構わないのよ」


「いえ、校長先生とお話させて頂くのですからこれ位の緊張感では足りない位ですよ」


「あらあら、そう? 礼儀正しいのね銛矢君」


「どうして僕の事を?」


「京子から話は聞いているわ。『近いうちに友達が行くだろうから話をしてあげてね』ってね。さて、何を話しましょうか? 今日はこれといって仕事も無いのよ。ゆっくりお話が出来るわ」


そう言って校長先生もソファに腰掛ける。校長先生は俺と違い、ソファに食べられてしまった。飲み込まれた。


「さて、試験はどうだったかしら? 銛矢君」


「え? ええ、中々骨の折れる問題もありましたが各教科平均より二十点はプラスの筈ですよ」


「あらあら! 頼もしいのね。偏差値でいえば六十後半ね。うん。いいじゃない! 銛矢君は国公立志望だったかしら?」


「はい。偏差値でいえば合格率半分に満たないんでまだまだです」


「ところで銛矢君は古典は受けたかしら?」


「……? ……ええ。一日目に受けましたが」


「問五の漢文は私が先生に頼んで出してもらったのよ。出来たかしら?」


「ああ、非常に難しい問題がありましたね」


「あれは私の母校の過去問からとったのよ。嘉祐集の一節でね。なかなか難しい問題だったでしょう?」


確かに難しい問題だった。いつまでも訳の分からない文章が続いていた。木に幸や不幸の価値観があるのか? といった内容だったと思うが、思うまま選択肢を選んだ。


「うふふふ。私の母校、東京大学ですからねぇ」


「…………!」


ガタッと。俺は立ち上がってしまう。校長先生はまだ「うふふふ」と笑っている。


「まぁ、東大の漢文は比較的攻略しやすいですからね。解いてもらわないと困りますよ」


そうはいうが校長先生、なかなかブラックな茶目っ気のある御方だな。ん? ブラックな茶目っ気っていうのは違うな……。黒目っ気がいいな。良い言葉だ。

そう思っている俺を他所に、校長先生は華麗に話題転換をした。


「時に銛矢君は恋人は居ないの?」


「…………⁉」


「あらあら? 居ないの? 青春を謳歌していないのね。勿体無い。……そうね、京子はどうかしら?」


「…………⁈」


「あらあら! かおが赤いわね。若いわぁ。京子の事は嫌いかしら? 結構イケてるとは思うんだけど男の子と話をしないからね、あの子」


「嫌いじゃないです。むしろ逆ですよ。天使、そう天使! 貴女のお孫さんは僕たち男子勢のエンジェルなんですよ」


「あらあら! 流石は私の孫ねぇ。鼻が高いわぁ! あの子が天使なら私は大天使かしら? うふふふ」


「……ははは」


ああ、今俺はちゃんと笑えているだろうか。校長先生、あなたは大天使というよりイヴですよ。いや、無駄口だったか。

しかし、いつまでもこんな感じだと話が進まない。そろそろジェネレーションギャップの大きな冗談についていけなくなっていた所だ。俺は決意し、校長先生に言った。


「校長先生。お聞きしたい事が……あるんですけど」


「あらあら。そうだったわね。年を取ると時間を忘れて喋り過ぎて行けないわ。ごめんなさい銛矢君。どうぞ」


「僕が、僕がお訊きしたいのは……十二年前にこの学校で起こった事件についてです」


校長先生の顔が強張り笑っていた目が急に冷たくなった。それは夜の海に落とし物を探す様な絶望感に満ちた物の様に思えた。

校長先生の唇が微かに震えている。そして少しばかり間を置いて、ゆっくりと口を開き、俺に言った。


「あなたは、それを訊いてどうするつもりなんですか?」

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