勉強会
受験生である前に、高校生として、学生として乗り越えねばならないものがある。そう中間テストである。
俺は受験生として日々積み重ね勉強をしてきたのだ。だからこの時期に焦って勉強する奴らとは違い、テスト期間を意識する事もない。
「……なのに、何で俺はこんな所にいるんだろう」
後頭部を思いっ切り殴られた錯覚。頭が痛い。振り向くとしっかり拳を固めたあずみさんが俺の後ろに立っていた。ああ、分かったぞ。錯覚ではなく、しっかり殴られていた様だ。
「こんな所とはよく言ったもんだな、海。私がどんだけお前を世話してると思ってんだよ」
「そうだぜ。海。あずみさんの店に来る時だけが、俺の楽しみなんだぜ! あずみさんは僕の心のオアシスですよ。ありがとうございます」
こいつ、本当に調子良い奴だな。
忌々し過ぎる。
「えー。わかんない。わかんない。何がエックスがどうして、ど、ど、ん?」
「ああ、違うよジルちゃん。積分だからこの場合はねーー」
ジルは今数学と格闘中なのだ。そして我らが天使様こと現見京子が優しく優しく勉強を見てやっているのだ。
「ーーで、こうなるわけ」
「あー! 分からない……。原理が既にむちゃくちゃなのよね数学ってヤツは。ニョーンってしたヤツとか英語とか入ってるし……。こんだけ解かせておいて結局解はゼロとかになっちゃうし……」
「まぁまぁ、落ち着いて。この問題が解けたら中間は乗り切れる筈だから」
「そもそも『ゼロ』ってのが気に食わないのよ! 何? なんで掛けても割ってもゼロになっちゃうのよ? 何なの?」
ゼロ自体に文句を言い出したぞ。世も末だな。
「大体、4÷0=0っての考えてみてよ。四万円をバンって渡されて『ゼロ人で分けなさい』って言うじゃない? そしたら何? 四万円が消えてなくなるの? ……宇宙だわ。ゼロ=宇宙と言うことは数学から学べたわ。ありがとう数学。そしてさようなら数学。アタシに宇宙を教えてくれてありがとうございました数学」
ジルはそう言って教科書を閉じた。謎好きな癖に数学ニガテって……。まぁ、人魚だったし仕方ないのか。他の教科は総じて良い成績取れるくらいはわかってるんだよな、こいつ。
「あはは、確かにゼロって不思議っ子なんだよね。1÷0=0だけど、1÷0.1=10、1÷0.01=100、1÷0.001=1000……ってゼロに近づけば近づく程おっきくなっちゃうんだよね。昔先生に教えられたのは、『数学は空気を読む教科だ』って言ってたなぁ。ウフフ」
へえ、成る程本当だ。俺はゼロについて考えたことも無かったな。割っても掛けても無いものは無い。って割り切ってたもんな。この時はちゃんとゼロで割り切れていたってことか……。
我ながら最悪の駄洒落センスに自分自身を疑ったが、俺はすぐに考えを勉強に戻した。
「みんなやってる教科バラバラなの? 統一しようぜー」
楠宮はそう言ってソファに体重を預けてのけ反った。ジルは数学、現見は理科、楠宮は古典、そして俺は英語をしていた。見事なまでにバラバラだった。
「確かにそうだな。折角、天……いや、現見が居るんだし色々教えて貰おう」
珍しく良い案を提示した友人の意見を取り入れる。今の俺カッコ良いんじゃね?
「海、お前『今の俺カッコ良いんじゃね?』って思わなかったか?」
「人の心を読まないで下さいよ、あずみさん」
「っはは! 悪ぃなっ!」
「二十七歳が年甲斐もなくウインクとかやめて下さい」
「あずみさん! もう一回!」
「乗せるな楠宮」
結局の所、ジャンケンに勝った人の教科に統一と言う話になり、俺が勝った。つまりこれからこの店はアメリカになる。いや、イングリッシュだからイギリスなのか?
舐めていたわけではないが、現見はやはり何でも出来る人間だった。ジルもイギリス出身と銘打つだけあり相当ネイティブだったが、現見は歌うように英語を話していた。
「いやはや、長文問題も京子ちゃんにかかれば最早歌だよ。オリコン七週連続一位的なモノを感じちゃうな」
楠宮と意見が被ったのは腹立たしいがやはり周りにもそう聞こえるんだな。
「そんな、七週連続なんて……。良くてもオリコン八位が限界だよぉ」
「出版するのかよっ!」
しかも八位は取れると思ってるのかよ。
現見、どこからが冗談でどこまで本気なのか全くもって分からない。現見の言葉を借りるならお前も相当な不思議っ子だな。そう思いながら俺は喉の渇きを潤す為コーヒーを啜った。
一時間程、現見のオリコン八位を再生し続け自分の英語力が上がったと勘違いするレベルに達した所で休憩を取ることにした。
待ってましたと言わんばかりに楠宮は現見に話し始めた。
「ねぇ京子ちゃん。チョット聞きたいんだけどいいかな?」
「うん? 何かな?」
「ウチの校長先生、京子ちゃんのお婆ちゃんって噂、本当なの?」
「嘘だろ⁉」「嘘ォ⁉」
俺とジルは同時に驚きながら、現見の答えを待った。少し躊躇う様にもじもじとして、小さく頷いた。
「すげぇ!」「すごいわね!」
またも被ってしまった。ジルから睨まれてしまう俺。こんな事わざと出来ねぇよ。勘弁してくれ。
「お母さんの方の家系がね、みんな、殆どみんな先生になっちゃうんだ。私も先生になるんだろうなぁ……」
現見の表情に少し淋しい笑みを見た気がしたが、俺の気のせいだろう。
「現見なら良い先生になるんだろうな」
「ありがとう、銛矢くん。嬉しいよ。でもこのままで良いのかなとも思ってるんだ。私ははっきりとやりたい事決まってないから将来とか、まだ難しいんだ。だから勉強はしてるけど、だらしないんだ。未来に対して怠惰な自分が情けないよ」
今度ははっきりと、哀しい表情を見せる現見。
「京子ちゃん、暗い暗い! 人生一回だぜ? 楽しまなきゃ。まだ高校生だしな。時間はまだまだ沢山あるさ」
「そうだよね。ありがとう楠宮くん。少し、元気でたかも」
楠宮が良い事を言っている。明日は雨か、それとも雪か? 追加の飲み物がやって来て、あずみさんが飲み物とお菓子を置きながら言った。
「悩め、若人。自家製ポテチはオゴリだ。美味いぜ」
「ありがとうございます」
何故お前が礼を言うんだ楠宮。ここは現見の台詞だろう。
家庭の事情は千差万別。見えない重圧ってのもあるだろう。受験生として、俺も感じている事だ。まぁウチはあの母親だから月みたいな重力なんだけど……。
そんな事を考えながらジルに目を遣ると一人でなにやら考えている様だった。右手を顎に、左手を右肘に、正しく何か考えている仕草をしていた。また変な事考えてないといいのだが……。
そう思いながら、俺はあずみさん自家製ポテトチップスに手を伸ばした。運悪く俺が手に取ったポテトチップスは物凄く、塩辛かった。