【エピローグ】「またあの子を優先するのですか?」と言うのをやめた日の後
こちらの短編のファンエピソード的な後日譚です。
本編未読の方は、先に下記をお読み下さい。
「またあの子を優先するのですか?」と言うのをやめた日
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私は伯爵ロシュフォールの娘、アニエス・ロシュフォール。
オーギュスト・ラフォン子爵令息の茶会に招待されていた。
当日、マリベルとともに青いドレスで馬車を降りる。
ラフォン家の庭は、王都の屋敷にしては広く、植え込みの間に細い石道が続いていた。
整いすぎていない配置が、かえって歩きやすい。わざとらしく見せる庭ではなく、人が使う庭だった。
「お嬢様、遅れずに着けましたね」
「遅れる理由がないだけよ」
「それが一番でございます。お嬢様は昔から少々お尻が重たいですので」
門の先で、オーギュストが待っていた。
今日は淡い色の上着で、夜会の時より柔らかく見える。だが、目の奥の笑い方は変わらない。
「ロシュフォール嬢、お待ちしておりました。空席のない席をご用意しております」
「それは助かります。話しかける相手に困らずに済みますので」
「では、逃げ場のない配置にしておきましょう」
「逃げる必要がありますの?」
彼は短く笑い、私たちを庭の奥へ案内した。
白いテーブルクロスの上に、茶器と菓子が並んでいる。
招かれているのは数人だけで、互いの距離も近い。
席に着くと、風が一度だけテーブルを撫でた。
葉の影が揺れ、カップの縁に光が乗る。会話は自然に始まり、無理に広げる必要がない。
誰かが話せば、誰かが返す。
黙れば、そのままでも許される。
マリベルは少し後ろに控え、私の様子を見ている。
必要以上に口を挟まないが、目はしっかり動く。
この距離が一番落ち着く。
「ロシュフォール嬢、こちらの菓子を。見た目より酸味が強いものですが、お好みでしょう」
「前にも似た説明を聞いた気がします」
「覚えていただけて光栄です」
一つ取って口に入れる。確かに甘さは控えめで、後から少しだけ酸味が来る。
舌に残りすぎない味だ。
「悪くありません。長く残らないところがいい」
「では、もう一つ勧めてもよろしいでしょうか」
「勧めすぎると、逃げ場がなくなります」
「なくなっては、お困りですか?そうでなければ嬉しいのですが」
そのやり取りに、周囲が小さく笑う。
笑いは広がらず、すぐに収まる。
この場は、誰か一人のために傾く場ではない。
しばらくして、他の招待客が席を外し始めた。
散歩に出る者、日陰へ移る者。庭の中で、ゆるやかに人がほどけていく。
テーブルに残ったのは、私とオーギュストだけになった。
マリベルは少し離れた位置に下がり、背を向ける。
完全に離れはしないが、会話には入らない距離だ。
カップを持ち上げる。二杯目の紅茶の香りは、少しだけ濃くなっている。
時間が進んだ証だ。
「今日は、静かな茶会でしたね」
「賑やかな場は、すでに経験されているでしょうが、賑やかでも止まってしまえばつまらないものです。今日は、話が止まる事は無かった」
「空席のある場は、止まってしまいますから」
「ええ。空席があると、会話がそこで止まります。私は、席を空けるつもりはありません」
私はカップを置いた。音は小さく、しかし確かに響く。
「いつもいて下さった方が、安心出来ます」
「同感です」
少しだけ間が空く。
沈黙は訪れない。ただ、次の言葉を選ぶための間があるだけだ。
オーギュストは一度だけ視線を外し、庭の奥を見る。
それから、こちらに戻した。
「ロシュフォール嬢、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「内容によりますが、それはお断りも出来る事ですか?」
「話す前から手厳しい。しかし、あんな事があれば疑うのも仕方ない。大丈夫、答えるのも答えないのも自由です」
「では、聞きましょう」
彼は椅子に深くもたれず、少しだけ前へ体を寄せた。
声は低く、周囲に広がらない。
「あなたは、横の席に誰かを座らせる予定はありますか?」
「ありません」
「では、知らぬ誰かを待つ予定は?」
「もっとありません」
彼はうなずいた。
それで十分だという顔だった。
「それを聞いて、安心しました」
「安心はしないでください。いつ誰が座るか予定はありませんが、見つかってしまうかもしれませんよ」
「それは大変だ」
彼はカップを持たず、そのまま言葉を続けた。
「私は、あなたの横に誰かを座らせるつもりはありません」
「大胆なお声がけですね」
「ええ。隠し立てはいたしません」
その言い方に、少しだけ笑いそうになる。
遠回しに言いながら、もう決めている声だった。
「では、確認は済みましたか」
「ええ。もう一つだけ」
「欲張りですね」
「多少のお時間は、許していただきたいかと」
彼は一度だけ息を整えた。
大げさではないが、軽くもない動きだった。
「ロシュフォール嬢。いや、アニエス」
名前で呼ばれ、少しだけ視線を上げる。逃げるつもりはない。
「先のある交際を、申し込ませていただけますか」
言葉は短い。余計な飾りも、条件もない。
ただ、先という言葉だけが残った。
すぐには答えない。
カップを持ち上げ、少しだけ口をつける。冷めかけた温度が、舌に残る。
「先、ですか」
「はい。あなたの横に座り続けたい」
「途中で席を立つことは?」
「必要があれば去ります。ただし、私から去る事はありません」
「誰かに呼ばれたら?」
「優先順位は、常にあなたが上です。あなたが許さぬ限り、どきません」
私はカップを置いた。今度は、音がはっきりした。
「先に許しを請うと?上辺で許しても傷ついている事もありますのよ」
「後からでは遅いことを、学びましたので。そして出来るだけ、お心を察するようにいたします」
その返しに、わずかに息が抜ける。
笑いは出ないが、固さが一つほどけた。
「では、条件があります」
「承ります」
「常に私の隣で」
「もちろんです」
「空席に話しかける趣味はありませんので」
「それは、私も同じです」
彼はわずかに口元を緩めた。目は変わらない。
少しだけ考える。過去を引きずる必要はない。ただ、同じ形を繰り返さないための線だけ引く。
「では、お受けします」
言葉にすると、思ったより軽かった。素直な気持ちで答えられたからだろう。
オーギュストはすぐには何も言わず、一度だけ深くうなずいた。
それから、初めてカップを手に取る。
「ありがとうございます。やっと、あなたの隣に座れます」
「逃がす気はありませんわよ」
「それは嬉しいお言葉です」
庭の奥で、風がまた葉を揺らした。影がテーブルを横切り、光が戻る。
マリベルが、遠くでこちらを一度だけ見た。
何も言わないが、分かっている顔だ。
カップの中の紅茶は、もう半分ほど減っていた。時間は確かに進んでいる。
だが、置いていかれる感じはない。
「次は、どちらの庭にしましょうか」
「横にあなたがいるなら、どこでも」
「では、選ぶ楽しみが増えましたね」
「一人で待つより楽しみです」
「ええ。一人にさせないよう努めます」
そのやり取りで、ようやく笑った。今度は扇で隠さず、そのまま。
テーブルの上には、まだいくつか菓子が残っている。
酸味のあるものも、少し甘いものも。
もう、何を取るかは決まっている。
リュシアンとセリーヌ嬢が、遠い他国の療養地に旅立った事を後に聞いた。
私の横の席は、もう空いていない。
完。
よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。
よろしければ、長編もお読みください。
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