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EP 8

春を告げる桜餅と、王宮への招待

地下牢の茶室(元・独房)に、また一つ、新たな香りが満ちた。

釜の湯が沸く音だけが響く静寂の中、飛鳥は懐紙に乗せた一品を、恭しくレオナの前に差し出した。

「どうぞ。お茶請けに『桜餅さくらもち』をご用意いたしました」

それは、薄紅色の餅が、塩漬けにされた緑の葉に包まれた、見た目にも華やかな菓子だった。

殺風景な地下牢に、そこだけ春が咲いたようだ。

「……桜、餅? なんと綺麗な菓子だな」

レオナはその愛らしさに目を奪われた。

無骨な肉や、飾り気のないパンばかり食べているサバルテの民にとって、これほど「愛でる」ことに特化した食べ物は未知の存在だ。

「春に食べるのが良きかなと思いまして。外の季節は分かりませんが、貴方の心に春風が吹けばと」

「春……か」

レオナは桜餅を手に取り、その香りを吸い込んだ。

甘い香りと、葉の少し塩気のある香り。

「私は……春が来た事も、春を感じる事すらも、忘れていたようだ」

常在戦場。王となってからの彼女の日々は、緊張と決断の連続だった。

季節の移ろいなど、作戦行動における天候の変化でしかなかった。花を美しいと思う余裕など、どこかに置き忘れてきてしまったのだ。

レオナは桜餅を口に運んだ。

もっちりとした食感。餡の優しい甘さを、桜の葉の塩味が引き立てる。

「……っ」

口の中に広がる、華やかな風味。

それは、かつて子供の頃に草原で感じた、暖かい風の記憶を呼び覚ますようだった。

続けて、飛鳥が点てた温かい抹茶をすする。

「美味しい……。本当に、美味しい……」

レオナはふぅ、と長く息を吐いた。

肩に乗っていた重い鎧が、見えない手によって外されたような感覚。

彼女は目を閉じ、じっくりと、舌の上で「春」を味わった。

「喜んで頂けて、嬉しゅうございます」

飛鳥の静かな声が、心に沁みる。

レオナは決意したように目を開け、目の前の男を見据えた。

「飛鳥、殿」

呼び捨てではなく、敬称を込めた呼び名。

「こんな牢屋では不便であろう。……いや、貴殿のような才人を、このような場所に押し込めておくのは我が国の恥だ」

レオナは居住まいを正した。

「王宮に部屋を用意しよう。そこで、茶を淹れては頂けぬだろうか。私だけでなく、疲れ果てた我が国の者たちにも」

その言葉に、後ろで控えていたミーナがパァッと顔を輝かせた。

「レオナ様! ……やったね、飛鳥! これで毎日美味しいお茶が飲めるぞ!」

「ふふ。ミーナさんが一番嬉しそうですね」

飛鳥は穏やかに微笑み、手をついて頭を下げた。

「有難き幸せ。お心遣い、感謝致します。……茶の湯の心が届くのであれば、何処へでも参りましょう」

「「「なんだ、あの人間は?」」」

サバルテ王宮、謁見の間。

そこに集まっていた国の重鎮たちは、ざわめきを隠せなかった。

筋骨隆々たる虎耳族の将軍、鋭い眼光の鷲耳族の参謀、巨大な体躯の熊耳族の大臣。

歴戦の猛者たちが並ぶ中、女王レオナに連れられて入ってきたのは、武器一つ持たない、線の細い人間の男だったからだ。

「静粛に!」

レオナの一喝が響き、場が静まる。

女王は玉座の前で振り返り、隣に立つ飛鳥を示した。

「紹介しよう。こちらは、サバルテ王国の『客分』として招いた、飛鳥殿だ」

「客分、だと……!?」

「人間ごときを、我らと同等の客として招くだと?」

「女王、ご乱心か! その男に何の力が――」

重鎮たちが色めき立つ。

無理もない。彼らにとって人間は「弱い種族」であり、力こそが正義のこの国で、敬意を払う対象ではない。

荒々しい視線と、威圧的な闘気が飛鳥に集中する。

だが。

飛鳥は微動だにしなかった。

殺気を受け流す柳のように、涼しい顔で一歩前へ出る。

「お初にお目にかかります」

飛鳥はスッと背筋を伸ばし、流れるような所作で、深々と頭を下げた。

「水神飛鳥と申します。……皆様に少しでも、美味しい茶を淹れさせて頂きます」

その一礼おじぎの美しさ。

一切の隙がなく、それでいて敵意の欠片もない「完全なる静寂」。

闘気とは違う、研ぎ澄まされた精神の在り方に、百戦錬磨の獣人たちが息を呑んだ。

(……なんだ、この男は)

(隙がない……斬りかかっても、空を切る気がする)

場を支配する静けさの中、レオナだけが満足げに口の端を吊り上げた。

「以後、飛鳥殿は私の『茶頭さどう』として遇する。無礼な振る舞いは許さんぞ」

こうして、武力の国サバルテに、初めて「茶道家」という異色の存在が誕生したのである。

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