EP 7
揺れる獅子の尾と、苦労人の豹
鉄格子の前で、レオナは腕を組み、唸るように飛鳥を見下ろしていた。
(な、何なのだ、この男は……。魔力感知でも、闘気の気配でも、その力は皆無に等しい。だというのに……)
彼女の野生の勘が告げている。この空間の支配権は、完全にこの男にあると。
王である自分が気圧されているという事実。その戸惑いを表すように、レオナの自慢の黄金色の尻尾は、力なくダラリと垂れ下がっていた。
「レオナ様も、茶を飲んで行かれませんか?」
飛鳥が涼やかな声で問いかけた。
その瞬間。
ピクリ。ブゥン!
垂れていた尻尾が跳ね上がり、左右に大きく揺れた。
本人の意思とは無関係に、「待ってました!」と言わんばかりの反応だ。
「くっ……!」
レオナは慌てて尻尾を手で押さえ込んだ。
(馬鹿な! 茶を飲むだけだぞ? ただそれだけの事に、何故こうも心が揺らがねばならない!)
「如何なさいますか? ……お忙しいようでしたら、無理にはお引き止めしませんが」
「……いや」
レオナは咳払いを一つ。努めて威厳のある声を作った。
「分かった。……茶を頂こうか。(あくまで視察だ。この男の術の正体を掴んでやる)」
「ありがとうございます。では、靴を脱いでお座り下さい」
飛鳥が手招きすると、畳の上にふわりと新しい座布団が出現した。
レオナは重い革のブーツを脱ぎ捨て、ドカドカと……いや、畳の感触に驚いて少し慎重に、茶室へと足を踏み入れた。
そして、座布団の上に腰を下ろす。
「……ッ!?」
沈み込むような柔らかさ。
戦場の硬い地面や、執務室の木製の椅子とは比較にならない。まるで雲の上に座っているようだ。
「くっ、何という……気持ちいい感触だ……」
「お気に召しましたか」
飛鳥はにっこりと微笑むと、釜から柄杓で湯を汲んだ。
サラサラ……と湯が茶碗に注がれる音。
続いて、茶筅を振る音。
シャカ、シャカ、シャカ……。
一定のリズムを刻むその音は、地下牢の閉塞感を消し去り、清流のほとりにいるような錯覚を抱かせる。
(良い音だ……。張り詰めていた神経が、ほどけていくようだ……)
レオナは目を閉じ、知らず知らずのうちに深呼吸をしていた。
先程まで逆立っていた殺気が、嘘のように消え失せている。
「レオナ様は、王様でいらっしゃるとか」
手を動かしながら、飛鳥が静かに水を向けた。
「……そうだ。このサバルテ獣人国を統べる者だ」
「ご自身で前線に出られると聞きました。さぞかし、武勇がお好きなのですね」
「好き、か……。ふん、そう見えるか」
レオナは自嘲気味に笑い、揺らめく釜の湯気を見つめた。
「まぁな。……後ろで控えているより、前で戦った方が、部下の命は守れるからな。私の体は頑丈だ。私が一撃を受ける間に、部下たちは十の敵を倒せる」
それが彼女の王道だった。
自分が傷つくことで、群れを守る。獅子の王としての誇り。
「……それはそれは」
飛鳥は手を止め、真っ直ぐにレオナを見た。
「レオナ様は、本当にお部下思いの、お優しい方なのですね」
「よ、よせ。……当然のことをしているまでだ」
飛鳥の曇りのない称賛に、レオナは照れくさそうに顔を背け、鼻先を指で擦った。尻尾がまたパタパタと嬉しそうに揺れる。
いい雰囲気だ。王としての矜持が認められた瞬間だった。
しかし。
「飛鳥。こっちの身も考えて話をしてくれ」
横で茶菓子をかじっていたミーナが、ジト目で口を挟んだ。
「え?」
「レオナ様が後先考えずに前に出られるせいで、私達親衛隊がどれだけ大変か……!」
ミーナの愚痴の堰が切れた。
「『私が盾になる!』って突っ込んでいくのはいいですけどね、その度に陣形は崩壊するし、衛生兵は心臓が止まりそうになるし、城壁も壊すし! 私達はその後始末に走り回ってるんだぞ!」
「ミ、ミーナ……」
レオナがたじろぐ。
「昨日だってそうです! 『魔力反応だ!』って窓から飛び降りて……おかげで私は階段を全力疾走ですよ! 少しは王座で大人しくしていてください!」
「う、うむ……しかしだな、民が……」
「民も心配してます! 『女王様がまた猪と相撲してた』って!」
「ぐぬぬ……」
最強の女王が、副隊長の正論の前に縮こまる。
その様子を見て、飛鳥は「ふふっ」と声を漏らして笑った。
「な、何がおかしい!」
「いえ。……良い関係だと思いまして。信頼し合っているからこその言葉ですね」
飛鳥は点てたばかりの抹茶を、レオナの前に差し出した。
「さあ、どうぞ。……戦の疲れも、気まずさも、全て水に流してくれる一服です」
レオナはバツが悪そうに、しかし救われたような顔で、その茶碗を手に取った。




