EP 32
黄金の継ぎ目、未来への契約
茶室『水鏡庵』の中には、釜の湯が沸く松風のような音だけが響いていた。
先ほどの『錦玉羹』の甘い余韻が残る中、飛鳥は静かに、三人の王の前に茶碗を差し出した。
それは、黒く、歪で、しかし何とも言えない存在感を放つ器だった。
「……うむ。見事な茶器だ」
賢王ダウルスは、手元に置かれた茶碗を手に取り、感嘆の息を漏らした。
一見して古びているが、そこにある「重み」は、新品の磁器にはない風格がある。
「……む?」
魔王グルシアが、茶碗を回し見ながら、鋭い視線を走らせた。
彼の武人の目は、その器にある「違和感」を見逃さなかった。
「うむ……いや、待て。この茶器は……一度割れ、欠けていたのを、継ぎ足したのか?」
黒い肌に、稲妻のように走る黄金の線。
それは模様ではなく、継ぎ目だった。
「はい。よくお気づきになられました」
飛鳥は穏やかに微笑み、説明を加えた。
「『金継ぎ(きんつぎ)』と言う技法を用いました。……割れたり、欠けたりした器を、漆で接着し、金粉で装飾して修復するのです」
「割れた物を、わざわざ直して使うのか?」
グルシアが問う。力ある者は、壊れたら捨て、新しいものを奪えばいいと考えるのが常だ。
「えぇ。……壊れた物でも、きちんと直し、その傷跡を『景色』として愛でれば、元の美しき茶器に劣らぬ……いえ、それ以上の味わいを持つ事が多くございます」
「傷跡を……景色として愛でる……」
レオナが、自分の手の中にある茶碗をじっと見つめた。
黄金の線は、まるで傷を隠すのではなく、「ここが傷ついた歴史だ」と誇っているかのように輝いている。
「不完全な物も……やり方次第で、美しくなる、か」
三国の関係も同じではないか。
一度は戦争で割れ、血で汚れ、修復不可能と思われた関係。
だが、こうして「茶」という黄金の漆で繋ぎ合わせれば……。
ズズッ……。
三人は同時に茶を啜った。
黄金の継ぎ目から伝わる温もりは、どこか懐かしく、そして決して離れない強さを感じさせた。
茶会が終わり、三人の王たちは『水鏡庵』を出た。
靴を履き、重い扉を開けて、再びヴァルハラの廊下へと戻る。
しかし、その表情は入室前とは別人のように晴れやかだった。
「……うむ」
グルシアが伸びをした。
「同じ時を得た……。そこには、立場も種族も関係無かったわ」
魔王としての威圧感は消え、ただの満足げな男の顔になっていた。
「ただの……茶飲み友達、よの」
ダウルスが眼鏡の位置を直し、珍しく口元を緩めた。
合理性や損得勘定を超えた繋がり。それを心地よいと感じている自分に驚いていた。
「えぇ。……同じ価値を得ましたわ」
レオナも頷いた。
茶室の中で共有した「美味しい」という感覚。それは、どんな高尚な条約よりも確かな共通言語だった。
歩きながら、グルシアがボソリと言った。
「戦事だが……俺は軍部に睨みを効かせるとしよう。……せっかくの茶の味が、血の味で消えてはつまらん」
「そうだな」
ダウルスも同意した。
「血気盛んなだけでは……世界はあの茶菓子のように、美味しくはならぬ、か。……寒天と砂糖と水。絶妙なバランスが必要なのだな」
二人の言葉を聞き、レオナは前を向いて力強く言った。
「劣っていても、優れていても……傷ついていても。あの茶器のように、見事な美しさを放つことができる」
レオナは、左右を歩く二人を見た。
人間、魔族、獣人。
決して交わらないと思われていた三本の線。
「我等もそう有りたい……いや、なれたのです。今日、あの茶室で」
「フン……違いない」
「否定できぬな」
三人の王は、顔を見合わせて笑った。
その笑顔には、黄金の継ぎ目のような、固い絆の輝きがあった。
その日、ヴァルハラの円卓会議室に戻った三か国の代表は、驚くほどスムーズにペンを走らせた。
怒号も、机を叩く音もなかった。
あるのは、静寂と、互いへの敬意のみ。
結果、三か国会議は無事に終了した。
停戦期間は「無期限」に近い大幅な延長となり、さらに文化交流(主に茶会の開催)を含む新たな条約が結ばれた。
歴史書にはこう記されることになる。
『ヴァルハラの奇跡』――その裏には、一人の茶人と、継ぎ接ぎだらけの茶碗があったと。




