EP 29
三帝会談、聖域ヴァルハラにて
中立地帯にそびえ立つ、大陸最高級の迎賓館『ヴァルハラ』。
ここは、どの国の法律も適用されない聖域であり、各国の要人が密談を行うための特別な場所だ。
大理石の床、黄金のシャンデリア、そして一流の給仕たち。
そんなきらびやかな廊下を、サバルテ獣人国の一行が進んでいた。
「……飛鳥。ここ、すごい殺気だね。私、ちょっと怖いかも」
「おや、ミーナさんでもですか?」
「うん。だから……離れないでね?」
親衛隊副隊長であるはずのミーナが、上目遣いで飛鳥の袖をギュッと掴んでいる。
本来なら彼女が守る立場なのだが、彼女は最近、飛鳥に対する「甘え方」を完全に学習していた。
「怖い」と言えば、飛鳥は優しく寄り添ってくれることを知っているのだ。
「分かりました。私のそばにいてください」
「えへへ、うん!」
飛鳥はそんなミーナの計算になど気づかず、「慣れない場所で不安なのだろう」と解釈し、優しくエスコートしている。
後ろを歩くガエン将軍だけが、「……あの『黒い風』と呼ばれたミーナが、猫のようになりおって」と呆れ混じりに苦笑していた。
『ヴァルハラ』最上階、特別会談室。
重厚な扉が開かれると、そこには既に二つの巨大な力が鎮座していた。
円卓の三方。
一つは、無数の魔導書と護衛の騎士団を従えた、冷徹なる知性。
グランフェリア王国・賢王ダウルス。
もう一つは、禍々しい漆黒の大剣を椅子の横に立てかけ、ふんぞり返る圧倒的暴力。
ゾルディア魔王国・魔王グルシア。
そして、最後の席に、レオナが静かに腰を下ろした。
「……久しぶりですね。グルシア王、ダウルス王」
レオナの声は落ち着いていた。以前のような、肩肘張った気負いはない。
その余裕のある態度に、ダウルスが眼鏡の奥で目を光らせた。
「サバルテの女王か。……少し雰囲気が変わったな。以前はもっと、野獣のような焦燥感を纏っていたが」
「日々、学びを得ておりますので」
レオナが微笑むと、魔王グルシアが退屈そうに大あくびをした。
「おう、久方ぶりだな。……挨拶はもういい。三方とも揃ったことだし、そろそろ『見ない手』は無いかのぅ?」
「見ない手、とは?」
「決まっている!」
ドォン!
グルシアが拳でテーブルを叩くと、黄金の卓上がミシミシと悲鳴を上げた。
「我等の中で、決闘して生き残った者が覇者となる! それで良いではないか。ちまちまとした条約など、紙切れ一枚で変わるもの。ならば力こそが真実!」
魔王の体から、どす黒い闘気が噴き出す。
給仕たちが震え上がり、シャンデリアがガタガタと揺れる。
しかし、賢王ダウルスは冷ややかな視線を向けただけだった。
「……野蛮だな。それは戦乱の世が無ければ、叶いましょう」
「あぁ?」
「国家とはシステムだ。貴公が力でねじ伏せても、民衆の心と経済はついてこない。……これだから、脳筋の魔族は話が通じない」
「何だと……? インテリ風情が、俺の『刹魔』の錆になりたいか?」
ダウルスの背後に控える魔導師たちが杖を構え、グルシアの背後に控える魔族たちが牙を剥く。
一触即発。
開会からわずか数分で、会談は決裂寸前だった。
しかし、レオナだけは動じなかった。
彼女は二人の怪物を交互に見つめ、静かに口を開いた。
「そう、簡単な話では無いかと」
その声には、不思議な響きがあった。
声を張り上げているわけでもないのに、場の殺気をスッと透過するような「清寂」な響き。
「ダウルス王の言う通り、力だけでは国は治まらぬ。だが、グルシア王の言う通り、言葉だけの条約もまた脆い」
「……ほう? では、どうするというのだ?」
グルシアが興味深そうに身を乗り出した。
レオナは、部屋の隅で控えている飛鳥とミーナに、スッと目配せをした。
「全くだ。……我々は、互いに喉が渇きすぎている。言葉を交わす前に、まずは喉と心を潤すべきでしょう」
レオナはニヤリと笑った。
「私の『連れ』に、極上の一服を用意させております。……まずはそれを飲んでからでも、殺し合いは遅くないのでは?」
ダウルスが眉をひそめ、グルシアが怪訝な顔をする。
緊張と緩和。
大陸の運命を握る会談に、今、一人の茶道家が足を踏み入れようとしていた。




