表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/32

EP 26

黄金の涙と、八ッ橋の味

「よ、よし……やっと、座れるのだな」

ゴルディは緊張で強張った体を折り曲げ、恐る恐る青畳の上の座布団に腰を下ろした。

高級なスーツの生地が擦れる音がする。

しかし、いざ座ってみると、その座布団はゴルディの重量級の体を優しく、ふわりと受け止めた。

「な、何という座り心地か……」

まるで雲の上にいるようだ。

これまで座ってきた最高級の革張りソファとも違う、懐かしく、芯のある柔らかさ。

ゴルディの荒立っていた呼吸が、少しずつ整っていく。

目の前では、飛鳥が釜の蓋を開けていた。

使うのは、ゴルディが持参した「精霊水」ではなく、少女カナヤが手桶で運んできた井戸水だ。

(……何故だ? ワシの水は、王宮でも滅多に飲む事が出来ない名水だぞ? それを袖にして、泥のついた手桶の水を使うとは……)

ゴルディの内心には、まだ燻るものがあった。

しかし、飛鳥が茶筅ちゃせんを振り始めると、その疑念は白い泡と共に消えていった。

シャカ、シャカ、シャカ……。

心地よいリズム。立ち上る湯気。

飛鳥の手にかかれば、ただの井戸水が、至高の甘露へと昇華されていくのが分かる。

「お待たせいたしました」

差し出されたのは、鮮やかな緑の抹茶と、独特の形をした菓子。

三角形の生地の中に餡が入っており、肉桂ニッキの清涼感ある香りが漂う。

「『八ッやつはし』でございます。どうぞ」

「……頂こう」

ゴルディは作法も分からぬまま、見様見真似で菓子を手に取り、口に運んだ。

モチモチとした生生地の食感。そして鼻に抜ける爽やかな香り。

「ん……!」

続けて、抹茶を啜る。

「美味しい~! お兄ちゃんのお茶、やっぱり世界一だね!」

隣でカナヤが無邪気に声を上げた。

ゴルディもまた、心の中で叫ばざるを得なかった。

(う、旨い……。今まで飲んできた、どこの国の王室の茶よりも……旨い……)

「精霊水」の魔力などない。ただの井戸水だ。

だが、そこには温かさがあった。少女が運び、飛鳥が心を込めた「過程」の味がした。

ゴルディの頑なな心が、雪解けのように溶けていく。

「ほ、本当に旨い……」

「喜んで頂けて、嬉しゅうございます」

飛鳥の微笑みには、商売上の計算も、権力者への媚びもない。

ただ純粋に、目の前の客に喜んでほしいという願いだけがあった。

静かな時が流れる。

ゴルディはふと、隣で足をパタパタさせながら八ッ橋を食べているカナヤを見た。

(なんだ……この心が穏やかに、安らいでいく感覚は)

つい先刻まで、彼はこの少女を「貧しい平民の娘」と見下していた。

自分は選ばれた富豪であり、住む世界が違うと。

だが、今。

この四畳半にも満たない空間で、同じ高さの目線で座り、同じ茶を飲み、同じ「美味しい」という感情を共有している。

(ワシと小娘……雲泥の差が有ると思っていたが、茶を飲む前では同じなのだ)

金貨の枚数も、着ている服も関係ない。

ただそこに、「茶を楽しむ二つの魂」があるだけ。

「美味しかったー! ごちそうさま!」

カナヤが元気よく立ち上がった。

「またね、お兄ちゃん達! おじさんも、またね!」

カナヤはゴルディに向かっても、ニカッと笑って手を振った。

「おじさん」。そこに敬称も蔑称もない。ただの親愛の情。

「……あ、あぁ。またな」

ゴルディは思わず、自然に言葉を返していた。

自分でも驚くほど、優しい声だった。

カナヤは元気いっぱいに駆け出していった。

飛鳥はその小さな背中に向かって、畳に手をつき、深々と頭を下げた。

「また、お待ちしております」

一人の客として、最大限の敬意を持って見送るその姿。

それを見た瞬間、ゴルディの中で何かが弾けた。

(茶の前では……ワシと小娘は、ただの『茶飲み友達』なのだ。そこに上も下もない。……同じ道を行く、同志なのだ)

これまで彼が必死に積み上げ、守ってきた「プライド」という名の壁が、音を立てて崩れ落ちた。

後に残ったのは、晴れ渡るような清々しさだった。

ゴルディは、空になった茶碗を静かに置いた。

そして、その巨体を折り曲げ、畳に額を擦り付けるように、深々と飛鳥に頭を下げた。

「……先生」

震える声が漏れた。

「このゴルディ……貴方様に、人として大切な事を教わりました」

商人としての顔ではない。一人の弟子としての顔だった。

「先生。……どうかこれからも、茶を頂きに来ても宜しいでしょうか」

「はい」

飛鳥は顔を上げ、穏やかな春の日差しのような笑顔を向けた。

「何時でもお越し下さい。……私は誠心誠意、貴方様のためにお茶を淹れさせて頂きます」

飛鳥もまた、ゴルディに対して深々と頭を下げた。

互いに敬い合う、「和敬清寂」の姿がそこにあった。

「……うぅ……」

ゴルディの目から、一筋の涙がこぼれ落ち、畳に染み込んだ。

それは、彼が何十年も忘れていた、純粋な感動の涙だった。

(何と素晴らしい事か……。清々しい、晴れ晴れとした心だ。……ワシは歩んで行けるのだ。この御方と共に、この道を)

金の音ではない。心の音が聞こえる。

商売敵も、損得勘定もない世界が、こんなにも美しいとは。

広場の端で、その様子を見ていたレオナとミーナは、顔を見合わせた。

「……また一人、飛鳥殿に堕とされたな」

「ですね。しかも、あの大富豪が泣いてますよ」

「ふふ。……サバルテにとって、これ以上の利益はあるまい」

二人は温かい眼差しで、新たな茶飲み友達の誕生を見守っていた。

こうして、大陸一の強欲商人ゴルディは、水神飛鳥の最初の「直弟子(自称)」となり、後にサバルテの経済と文化を支える、頼もしきパトロンへと変貌を遂げるのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ