EP 25
精霊の水と、静寂の戒め
サバルテの城下町は、またしても異様な光景にざわめいていた。
水神飛鳥が、ふらりと散歩に出た。それだけなら良い。問題は、その背後だ。
「おい、見ろ……女王様とミーナ様だ」
「嘘だろ? お二人が、あの人間の後ろに付き従っているぞ」
「まるで従者じゃないか……何者なんだ、アイツは?」
好奇と畏怖の視線を一身に浴びながらも、飛鳥は涼しい顔で石畳を歩いていた。
その後ろを、レオナは腕を組んで堂々と、ミーナは周囲を警戒しながら歩く。この奇妙な隊列は、もはや街の名物になりつつあった。
そんな中、広場の噴水近くで、飛鳥は馴染みの小さな影を見つけた。
「あ、お兄ちゃん!」
犬耳族の少女、カナヤだ。今日も友達と石蹴り遊びをしていたらしい。
彼女は飛鳥を見つけると、ブンブンと尻尾を振って駆け寄ってきた。
「やぁ、カナヤさん。こんにちわ」
「お兄ちゃんも一緒に遊ぶ?」
カナヤの無邪気な誘いに、周囲の大人たちが「女王様の前でなんと不敬な!」と息を呑む。
だが、飛鳥はレオナの方を振り返りもせず、その場にしゃがみ込んだ。
「えぇ。……お言葉に甘えさせて頂きます」
飛鳥が指を鳴らすと、路地裏の時と同じように、青々とした琉球畳と茶道具一式が出現した。
野外が一瞬にして、静謐な茶室へと変わる。
「わぁ! またお茶会だ!」
「はい。では、お水を頂けますか?」
「うん! お家の水、持ってくるね! 待ってて!」
カナヤは手桶を持って、パタパタと走り去った。
飛鳥は畳の上に正座し、目を閉じて静かにその時を待つ。
レオナとミーナも、少し離れた場所でその様子を見守った。
やがて、カナヤが戻ってきた。
「お待たせー! 重かったけど、こぼさなかったよ!」
「ありがとうございます。では……」
飛鳥が柄杓を手に取ろうとした、その時だった。
「ふふふ。……待ちなさい、小娘」
派手な宝石の音と共に、肥満体の男がぬっと姿を現した。
ゴルド商会会長、ゴルディである。
彼はピカピカに磨かれた(しかし趣味の悪い)革靴を履き、勝ち誇った顔で、透明なクリスタルの瓶を掲げていた。
「そんな井戸水では駄目だ。飛鳥殿の茶が泣くというもの」
「え……?」
「見よ! これぞ『精霊水』! 北の霊山から、我が商会の精鋭が命がけで汲み取ってきた、金貨百枚の価値がある有難い水だ!」
ゴルディはドヤ顔でカナヤを見下ろし、飛鳥に向かって瓶を突き出した。
「さあ、これを使え! ワシからの『敬意』の証だ! これなら文句はあるまい!」
ゴルディは確信していた。
前回は「敬意(=最高級品)」が足りなかったのだと。だから今回は、最高の水を持参した。これで自分も茶室の客になれるはずだ、と。
カナヤは自分の手桶と、キラキラ輝くクリスタルを見比べ、シュンと耳を垂れてしまった。
「……ごめんなさい。私、ただの水しか……」
その瞬間。
飛鳥の目が、スッと細められた。
「――ゴルディさん」
静かな、しかし凍てつくような声。
「お静かに」
「な、何……?」
「今、この場の『和』が乱れました。……貴方の大きな声と、その無粋な振る舞いによって」
飛鳥はゴルディを直視した。
「子供が一生懸命運んできた水を『駄目だ』と断じること。……それは、最も恥ずべき無作法です」
「なっ、ぐ……!? ワ、ワシは良かれと思って……高価な水を……」
ゴルディが狼狽える。
また拒絶されるのか。やはり、この男には金は通じないのか。
ゴルディが脂汗をかいて後ずさりしようとした時、飛鳥の表情がふわりと緩んだ。
「……まぁ、袖振り合うも多生の縁。何かのご縁です」
飛鳥は手のひらで、畳の空いている場所を示した。
「お座り下さい」
「……は?」
ゴルディは耳を疑った。
拒絶されると思っていた。怒られると思っていた。
なのに、招かれた?
「い、いいのか? ワシが……座っても?」
「えぇ。ただし、靴は脱いでくださいね」
ゴルディは慌てて、特注の革靴を脱ぎ捨てた。
そして、緊張でガチガチになりながら、カナヤの隣に正座した。
高級スーツが悲鳴を上げるほど窮屈だが、そんなことは気にならなかった。
ついに、念願の「茶席」に座れたのだ。
「では、カナヤさんが運んでくれたお水で、一服差し上げましょう」
飛鳥はゴルディが持ってきた『精霊水』には目もくれず、カナヤの手桶から水を汲んだ。
「えっ……あの、精霊水は……」
「おやおや、ゴルディさん。……水は値段ではありません。『誰が、誰のために運んだか』。それが味を決めるのですよ」
釜に注がれる水の音。
ゴルディは、隣で嬉しそうに笑うカナヤと、真剣な眼差しで茶を点てる飛鳥を見て、悟った。
自分が持ってきた「金貨百枚の水」よりも、この少女の「汗と笑顔の水」の方が、この場においては遥かに価値があるのだと。
(……分からん。まだワシには分からん……。だが……)
ゴルディは膝の上で拳を握りしめた。
商売の理屈が通用しない世界。
だからこそ、彼はこの空間にどうしようもなく惹きつけられているのだった。




