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EP 19

一輪の白花と、流血なき勝利の誓い

サバルテ王宮は今、かつてない喧騒に包まれていた。

ボルゾフ男爵の発案による「御前試合」の開催が決まり、国中の腕自慢たちが昼夜を問わず筋肉をぶつけ合う音が響いているのだ。

誰もが目を血走らせ、殺気立っている中……。

中庭の片隅、茶室『水鏡庵』の躙りにじりぐちが、コトりと開いた。

「飛鳥。……入っても良いか?」

顔を出したのは、親衛隊副隊長のミーナだ。

彼女の手には、道端で摘んできたばかりの、一輪の白い野花が握られていた。

「ミーナさん。お待ちしておりました」

「これ……任務の帰りに見つけてな。飛鳥の茶室に良いかなと思って」

ミーナは少し照れくさそうに、その小さな花を差し出した。

名もなき野花だが、可憐で凛とした白さが、ミーナの涼しげな瞳によく似ていた。

「まぁ……。ありがとうございます。とても素敵なお花です。早速、生けさせて頂きます」

飛鳥は嬉しそうに花を受け取ると、竹筒の花入はないれを取り出した。

鋏を入れず、葉を少し落とすだけの手直し。

そして、スッと竹筒に挿す。

ただそれだけの動作なのに、野に咲いていた時以上に、その花は生命力を輝かせたように見えた。

「ささ、お座り下さい」

「うむ。お邪魔する」

ミーナは慣れた手つきでブーツを脱ぎ、定位置となった座布団に腰を下ろした。

畳の感触に、張り詰めていた神経が解けていく。

彼女は床の間に飾られた、自分が持ってきた花を見つめた。

「……不思議だな。ただの雑草だったのに、飛鳥の手にかかると、こんなに綺麗になるのか? 凄いな、飛鳥は」

「ふふ、買いかぶりですよ」

飛鳥は釜の湯を茶碗に注ぎながら、優しく答えた。

「花が美しいのは、元からです。そして何より……『綺麗な花だな、飛鳥に見せたいな』と思って摘んで来てくれた、ミーナさんの真心が、この花を輝かせているのですよ」

「――っ」

ミーナの頬がカッと朱に染まった。

直球すぎる感謝の言葉に、尻尾がパタパタと畳を叩いてしまう。

「あ、甘い……。菓子を食べる前から甘すぎるぞ……」

「おや、お菓子もどうぞ。今日は小豆あずきを煮て作った『きんつば』です」

差し出された四角い焼き菓子。

ミーナは誤魔化すようにそれを口に運んだ。

薄い皮の中に詰まった、粒あんの素朴で力強い甘さ。

「んぅ……美味しい……」

続けて、抹茶を一口。

苦味と甘味のハーモニー。

「幸せだよ、私……。外の暑苦しさが嘘みたいだ」

「喜んで頂けて嬉しいです」

ミーナは茶碗を置き、ふと思い出したように口を開いた。

「そういえば飛鳥はさ、御前試合が有るって知ってる?」

「えぇ。レオナ様から聞きました。街の方々も随分と張り切っているようですね」

飛鳥の表情が少し曇った。

「私はただ、怪我する人が出ない事を祈るだけです。武を競うのも結構ですが、傷つけ合うのは……」

「まあ、サバルテの祭りだからな。多少の流血は付き物だ」

ミーナはあっけらかんと言ったが、飛鳥の沈んだ顔を見て、言葉を飲み込んだ。

この男は、心底「争い」を悲しむのだ。

「ねぇ、飛鳥。……一緒に行こうよ」

「え?」

「私の試合、見て欲しいんだ。一番良い席を用意するから」

ミーナは身を乗り出した。

自分の強さを、一番見てほしい相手に見てもらいたい。純粋な願いだった。

しかし、飛鳥は困ったように眉を下げた。

「困りましたねぇ……。お気持ちは嬉しいのですが、私は血を見るのが苦手でして」

「血が?」

「はい。痛そうな音や、傷つく姿を見るのは……どうも、茶の心が乱れます」

やんわりとした、しかし明確な拒絶。

飛鳥は来ない。

その事実に、ミーナの猫耳がシュンと垂れ下がった。

だが、次の瞬間。

彼女の瞳に、戦士としての、いや、恋する乙女としての炎が宿った。

「――じゃあ、こうしよう」

ミーナは力強く宣言した。

「私が、一滴も血を出さずに、出場した相手を全員倒してあげる。……それなら、良いでしょ?」

「……はい?」

飛鳥が目を丸くした。

獣人同士の戦いだ。打撃戦になれば鼻血も出るし、剣を使えば切り傷もできる。それを「無傷ノーダメージ」ではなく、「相手を傷つけず(ノーブラッド)」に制圧すると言うのか。

それは、相手を殺すよりも遥かに難しい、圧倒的な実力差が必要な「峰打ち」の極致だ。

「貴女が傷つくのも、見たくありませんよ?」

「任せておけ。サバルテの黒い風、ミーナの実力を甘く見るなよ」

ミーナはニカッと笑い、自信満々に胸を張った。

「誰も傷つけず、誰も流血させず、綺麗な勝利を飛鳥に捧げる。……だから、見に来て」

その真っ直ぐな瞳。

そこには、野蛮な闘争本能ではなく、飛鳥への「敬意」と「想い」が溢れていた。

飛鳥はしばらく彼女を見つめ、やがて深いため息と共に、観念したように微笑んだ。

「……やれやれ。困った御方ですね」

飛鳥は茶筅を置いた。

「分かりました。そこまで仰るのなら……お茶の用意をして、応援に参りましょう」

「! えへへ、やった! じゃあ決まりだね!」

ミーナの尻尾が、ブンブンと激しく振られた。

こうして、血生臭い御前試合の中に、一つだけ「平和」なルールを課した戦士が誕生したのである。

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