EP 15
猛虎、茶室に屈する
王宮の回廊にて、レオナの挑発的な言葉がガエンの巨体を貫いた。
「ガエンよ、分からぬか? ……そうだな、百聞は一見に如かず。貴様も飛鳥殿の茶を飲むが良い。それを成長の機会とするが良い」
「な、何故!?」
ガエンは食い下がった。
戦場ならいざ知らず、何故あのような軟弱な人間が入れた茶を、将軍である自分が飲まねばならないのか。
「俺がこやつの茶を飲まなければならないのです! 毒が入っているやもしれませんぞ!」
「ガエン。……たかが茶を飲む、飲まない程度で心を乱すな」
レオナは冷ややかな、しかし試すような視線を向けた。
「それとも何か? サバルテ最強の将軍ともあろう者が、茶一杯に怯えているのか? ……貴様は、それほど『小さい男』なのか?」
「なっ……!!」
ガエンの顔がカッと赤くなった。
「小さい」という言葉は、誇り高き虎耳族の戦士にとって最大の侮辱だ。
「な、何を仰いますのか!! 俺は猛虎将軍ガエン! 恐れるものなど何一つありませぬ!」
「ならば証明してみせよ」
レオナに退路を断たれた。
そこへ、飛鳥が助け舟を出すように――あるいは追い打ちをかけるように、涼やかに声をかけた。
「ガエンさん。ここでは何ですから、茶室でゆっくりお茶を楽しみましょう」
「何!? ……ぐぬぬ、わ、分かった! 分かりましたよ!」
ガエンは鼻息荒く、飛鳥を睨みつけた。
「茶を飲むだけの事に、心を乱すわけないでしょう! 俺の喉を潤せるものならやってみろ!」
「ふふ、お手柔らかにお願いします。では、こちらへ」
飛鳥は微笑み、中庭の一角に設えられた『水鏡庵』へと案内した。
茶室の前で、ガエンは立ち尽くした。
そこには、彼の腰ほどの高さしかない、あまりにも小さな入り口――躙り口があったからだ。
「……おい人間。これは嫌がらせか?」
ガエンが低い声で唸る。
身長2メートルを超える鎧姿の彼に対し、その穴は猫の通り道にしか見えない。
「いいえ。茶室に入る時は、身分も武力も捨て、ただの人に戻る……そのための入り口です」
飛鳥は静かに諭した。
「ここに入る時は、靴と、その背中の大きな斧も、外に置いてきてください」
「なっ、武人の魂である武器を置けだと!?」
「ここでは茶碗が武器であり、茶筅が剣です。無粋な鉄塊は必要ありません」
「ぬぐぐ……!」
ガエンはレオナの方を見たが、女王は「早く入れ」という顔で腕を組んでいる。
観念したガエンは、愛斧『岩砕』をドスンと地面に置き、黒鉄のブーツを脱ぎ捨てた。
そして、巨体を折り曲げ、地面を這うようにして、その小さな入り口へと体をねじ込んだ。
窮屈だ。屈辱的だ。
だが、その狭い空間を抜けた瞬間――。
「……!」
空気が、変わった。
「な、何だ……この部屋は」
ガエンは呆気にとられた。
外の喧騒が嘘のように遮断されている。
聞こえるのは、釜の湯が沸く「シュンシュン」という静かな音だけ。
四畳半の空間は狭いはずなのに、なぜか無限の広がりを感じさせる。
「どうぞ、ゆっくりなさって下さい」
飛鳥に促され、ガエンは恐る恐る、用意された座布団にドカリと座った。
「……う、うむ」
座った瞬間、強張っていた筋肉がふわりと包み込まれた。
そして、鼻孔をくすぐる懐かしい香り。
「座り心地が良い……それに、この床から良き香りがするなぁ。これは……干し草か? いや、もっと清々しい……」
「『畳』と言う物です。イグサという植物を編んで作られています」
「タタミ……イグサ……」
ガエンは思わず、そのザラリとして温かい感触を巨大な掌で撫でた。
戦場の泥や血の臭いとは無縁の、植物の生命の香り。
虎の野生本能が、「ここは安全だ」と告げていた。
「気に入って頂けて何よりです」
飛鳥は釜の前に座り、柄杓を構えた。
その背筋はピンと伸び、一切の隙がない。
ガエンは武人として、その「構え」の美しさに息を呑んだ。
(……なんだ、この男。まるで達人が剣を構えた時のような……いや、それ以上の静寂)
「では、お菓子をどうぞ」
飛鳥が差し出したのは、竹皮に包まれた四角い菓子。
『特製・栗蒸し羊羹』だ。
「……黒いな。なんだこれは」
「羊羹です。中に栗が入っております」
「フン! 俺は甘いものなど……」
ガエンは言いかけて、止まった。
鼻が良い彼には分かってしまったのだ。その黒い塊から漂う、上品で濃厚な小豆の甘い香りが。
ゴクリ、と喉が鳴る。
実は無類の甘党であるガエンにとって、それは拷問にも等しい誘惑だった。
(くそっ! レオナ様が見ている前だぞ! だが……この香りは……!)
「毒見だ。……あくまで毒見として、食ってやる!」
ガエンは震える手で羊羹を掴み、口へと放り込んだ。
もっちりとした食感。
噛みしめると広がる、小豆の風味と栗のほっくりとした甘さ。
戦場の携帯食料のような暴力的な甘さではない。優しく、どこまでも深い甘露。
「…………ッ!!!」
ガエンの目がカッと見開かれた。
縞模様の虎耳が、ピーンと立つ。太い尻尾が、ビタンビタンと畳を叩いた。
(う、美味い!! なんだこれは!! 脳髄が溶けるようだ!!)
「お味はいかがですか?」
「……ふ、ふん! ……悪くはない! ……まあまあだ!」
口ではそう言いながらも、ガエンの手は無意識に次の欠片を探して空を切っていた(もう食べてしまったので無い)。
「では、お茶を」
絶妙なタイミングで出された、濃い緑の抹茶。
羊羹の甘さが残る口に、温かい苦味が染み渡る。
「…………ふぅ」
ガエンの口から、長い長い吐息が漏れた。
肩から力が抜け、鬼のような形相が、まるで日向ぼっこをする猫のように緩んでいく。
その様子を見て、レオナとミーナは顔を見合わせ、音を殺して笑った。
サバルテの猛虎が、一服の茶と羊羹の前に、完全に牙を抜かれた瞬間だった。




