EP 12
黄金の靴と、譲れぬ一線
路地裏の即席茶席で、釜の湯がしゅんしゅんと音を立てていた。
飛鳥は手元の「焙烙」と呼ばれる素焼きの器に、茶葉を入れた。そして、弱火でゆっくり、じっくりと揺らしながら煎り始める。
パチパチ……と微かな音が鳴り、やがて。
「わぁ……! すごく良い匂い!」
犬耳族の少女カナヤが鼻をひくつかせた。
先程までの爽やかな緑の香りとは違う、心の奥まで温かくなるような、香ばしい焙煎の香り。
飛鳥は煎りたての「ほうじ茶」を急須に入れ、褐色の湯を湯呑みに注いだ。
「さあ、どうぞ。お菓子はこちら、『羊羹』です」
差し出されたのは、黒く艶やかな直方体の菓子。
カナヤはそれを小さな手で受け取り、ぱくりと口に入れた。
「ん~~~っ!!」
小豆の濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。
甘さに驚いたところで、煎りたてのほうじ茶を一口。
「……ふはぁ。美味しいぃぃ……」
香ばしさが甘さをすっきりと流し、後にはほっこりとした温かさが残る。
「こんな美味しい飲み物、初めて! 体がぽかぽかするよ!」
「それは良かった。ほうじ茶は、心を落ち着かせるお茶ですから」
「ありがとう、お兄ちゃん! 凄く凄く楽しかった! またね、お兄ちゃん!」
カナヤは満面の笑みで手を振り、名残惜しそうに、けれど元気いっぱいに駆けていった。
飛鳥はその背中を、深々と頭を下げて見送った。
「はい。お茶を飲んで頂いて、ありがとうございます。……一期一会に感謝を」
その静謐な時間が、終わりを告げたのは直後だった。
カツーン、カツーン。
石畳に、派手な足音が響いた。
現れたのは、豪奢なスーツに身を包み、全ての指に宝石の指輪をはめた肥満体の男。
大陸屈指の富豪、ゴルド商会会長、ゴルディである。
「面白い兄ちゃんだな。魔法で出した茶道具に、見たこともない黒い菓子……」
ゴルディは値踏みするような爬虫類の目で飛鳥を見下ろすと、口の端を歪めた。
「どれ、ワシにもその茶を貰おうか。喉が渇いた」
言いながら、ゴルディはドカドカと歩み寄り――
ドサッ。
何のためらいもなく、革靴のまま、清浄な青畳の上に上がり込んだ。
「……!」
後方で見守っていたレオナとミーナが息を呑んだ。
飛鳥がどれほど場を清め、道具を大切に扱っているかを知っているからだ。それは、他人の顔を土足で踏みつけるに等しい暴挙。
だが、飛鳥は表情を変えなかった。
ただ静かに道具を片付け始めた。
「おい、聞いておるのか? 茶を出せと言っている」
「お断りします」
飛鳥の声は、氷のように冷たく、鋼のように硬かった。
作業の手を止めず、ゴルディの方を見ようともしない。
「な、何!?」
ゴルディの顔が朱に染まった。
生まれてこの方、金を払わずとも「出せ」と言えば、誰もが喜んで差し出してきた。拒絶などされた経験がないのだ。
「な、何故、茶を出さないんだ!? き、貴様、ワシを誰だと思っている!」
ゴルディは宝石のついた杖で、ガンガンと畳を叩いた。
「ワシはゴルディだぞ! 各国の王族や貴族なんぞ、ワシに媚を売って金を借りに来るのだぞ!? なのに……ガ、ガキには茶を出して、このワシには出さないとは何だ!」
激しい怒声が路地裏に響く。
しかし、飛鳥はゆっくりと顔を上げ、射抜くような瞳でゴルディを見据えた。
「……貴方からは、『敬』というものが感じられません」
「け、敬だと?」
「はい。茶道とは、主と客が互いに心を尽くし、敬い合うもの。……貴方は土足で踏み込み、名も名乗らず、ただ欲望のままに要求した」
飛鳥は視線を、泥で汚された畳へと落とした。
その悲しげな、しかし断固たる視線に、ゴルディは思わず後ずさりそうになった。
「私は茶道家。敬意には敬意で返す。……しかし、無礼には無を返す。それが私の流儀です」
「な……ッ」
ゴルディは口をパクパクと開閉させた。
金貨の枚数でも、権力でもない。
「敬意」という、彼が最も軽視し、換金できない価値観で拒絶されたのだ。
「りゅう、ぎ……? な、何だ……それは……」
「お引き取りください。貴方にお出しする茶は、一滴たりともございません」
静かなる宣告。
杖を振り上げたゴルディの手が、空中で止まった。
殴りつけようにも、目の前の男が纏う「気迫」が、それを許さない。
暴力的な強さではない。絶対に折れない信念の壁が、そこにはあった。
一部始終を見ていたレオナは、満足げに鼻を鳴らした。
「(……見事だ。金や権力に尻尾を振らぬ、孤高の魂。あれこそが、真の『強者』よ)」
路地裏の空気は、熱した鉄のように張り詰めていた。




