みなと祭りの日
お昼休み三人組との夜のメール会議で私のゴールデンウィークの予定を聞かれました。
尾道でその時期にある祭典と言えば『尾道みなと祭り』です。
担任の奥田先生は「中間試験が近いから連休といえど羽目を外さず勉強しておくように」なんてクラスの皆に注意していましたが、元宗さん、大福さん、相見さんの三人は今年の連休は広島市内にまで足を伸ばして同時期に開催される規模の大きなお祭りである『フラワーフェスティバル』の方を楽しみにいくのだとか。
「二学期からは受験に集中する事になるだろうから、この連休は最後のハメ外しかな。しっかりと楽しんで中間試験は玉砕するつもり。それで、高森さんも誘おうと思ったんだけれど、予定はどうかな?」
「生物部の方で『みなと祭り』見学を兼ねての何か活動があるみたいで、そっちに参加してみようかと思ったんですけれど」
「生物部の活動って、もしかして例の部外活動ってやつかな?」
「そうですね。渡されたプリントには今回は済法寺と千光寺を回って、その後で『みなと祭り』見物って事になっていますね」
「あいつら、いつまでもガキみたいなことやって。また妖怪がどうとか言ってるんでしょ」
「でも面白そうじゃないですか。私はまだ尾道の事を全然知らないし、この機会に少しでも色々な場所を見ておきたいですし」
「まあ、高森さんがそれで良いならいいけれど。いちおう『みなと祭り』は花火大会ぐらい賑わう風情あるお祭りだからそこそこ楽しめるとは思うよ。私達が行く『フラワーフェスティバル』に比べたら規模はかなり小さいけれどね。じゃあ帰ってきたら、互いに報告会って事でよろしく」
そうこうしているうちに五月の連休、ゴールデンウィークはやって来るのです。
その日は朝から町の方で祭りの開催を知らせる空砲が上がり、ドンドンという音が内地にある我が家の方まで聞こえて来ます。
動きやすいカジュアルな服装でと指定されたので、大きめのTシャツにジーンズ姿、髪もくノ一ポニーテールに縛り上げての参戦です。
生物部の皆さんとの待ち合わせ場所は尾道駅東の踏切横にある高架橋の上。まずは松岡団地口のバス停からバスに乗って尾道駅前のバス停まで移動。そこからは徒歩で東に線路沿いを歩き、ああ、あそこですね。尾道に来た日に家族で歩いた高架橋。もう皆来ていますね。
通り過ぎる人達は皆中央商店街のアーケードの中を通り『みなと祭り』のメイン会場である市役所前の通りを目指して移動していくようです。
「お待たせしました」
「じゃあ全員揃った所で、移動しようか」
私達は祭りに向かう人々の流れに逆らうように移動して、尾道駅北口方面にある三軒家町へと入って行きます。古い家並みの風情ある道を進み、酒屋さんの側を右折して山手の方を目指していきます。古い住宅地の中をしばらく歩くと目の前には何段もある石段道が現われ、それが目的地である済法寺境内への入口です。
この済法寺の元住職にかつて物外不遷という風雅を愛する方がいて、物凄い怪力だったという逸話が残されているのです。
そして藤村君、いえ今日は藤村部長ですね。彼等『都市伝説調査隊』の主張はこうです。
「そんな怪力の人間はきっと人ならざる存在である怪異や妖怪の類いに違いない。彼等の寿命は人より長いため、この現代でもまだ姿を変えながら生き延びて人に化けて隠れ潜んでいる」のだとです。
そしてそんな怪異達は『祭り』の様な喧騒が大好きで、そういう時にはついうっかりと人前に姿を晒したりするんだとか。
境内に入ってすぐ右手にある大きな石の手水鉢。
『げんこつ和尚』とも呼ばれた物外不遷がこれを持ち上げたというのです。その巨大さを見れば、それが人間の所業であったとは確かに思えません。
ちなみに私は妖怪とか幽霊とか、海外ものでは吸血鬼とか狼男とかは実在するって信じる派です。だって私自身が…、いえ何でもありません。
だからこれは当たりかもしれませんね。
「僕達はここの今の住職が怪しいと睨んでいるのです。だから距離を置いて彼を観察しましょう」
お寺の本堂の西側には広大な墓地があり、私達は少し高台の墓石の影に潜んでお寺の庭の掃除をしている住職さんにカメラを向けます。携帯のカメラでは望遠はきかないので日吉副部長持参の一眼レフで彼を狙います。
ずっと息を潜めて住職さんを見つめる藤村部長、日吉副部長、南君、そして私。えっと、いつまでこうしていればいいのでしょうか?
一時間程は粘ったでしょうか、藤村部長がここまでって時間を切って観察は終了みたいです。本堂前を通り石の階段を下って戻る道中で住職さんとすれ違いました。簡単な挨拶を交わして去る私達の背を見送る住職さん。
ふと気になって振り向いた私は見たのです。くわって目を見開いた彼の筋立ってしわくちゃに変化した顔を。それはとても人間のものとは思えない形相でした。
慌てて私の前を歩きながら会話している藤村部長達に駆け寄り「今、今私見ました。住職さんの顔がこう」って身振り手振りで説明したんですが、三人とも笑うばかりで相手してしてくれませんでした。
もう一度振り返るともう住職さんの姿は消えていて、見間違いだったのかな?
私達は済法寺入口の石の階段を下りて左折し、ほんの少しだけ生活道路を上り民家の間にある細道を山手に向けて進んで行きます。目の前に現われたのはずっと上の方まで続く斜面にある獣道のような登り道。木々と草木の間を縫うように頑張ってその道を登ると千光寺公園内にある尾道市営プールのすぐ側に出ました。この道は地元民しか知らない隠された抜け道の様です。
もう桜は散ってしまったけれど、花見シーズンは多くの人で賑わう園内の桜並木のメイン道路を歩きながら尾道美術館を通り過ぎて二つの分かれ道に到達。
上に向かうルートは展望台とロープウェイ乗り場、下に向かうルートを選べば千光寺へと辿り着きます。
「あれ? 千光寺へ向かうならこっちじゃないんですか?」
「そうですね。千光寺に表から入るにはそっちの道ですけれど、今日は裏手に用事があるから展望台側から行くんです」
日吉副部長にそう教えられ、私達はお土産屋さんが建つ芸術的な形状の展望台にまで上り、そこから更にロープウェイ乗り場方面へと歩を進めます。
藤村部長達三人はこの巨大な展望台を見上げながら「食堂が併設されていた展望台の方が懐かしいな」なんて話していました。
途中で『文学のこみち』と題した山道の表示が見えました。どうやらこの道を下って千光寺を目指すみたいです。緑に囲まれたのどかな山道、途中岩の間を縫ったりして歩いてなかなかに面白いです。
藤村部長の語りでは、昔この山道の側に尾道で最初の少林寺拳法の道場があったみたいで、お父さんや妹、藤村君が通う道場の先生である森先生は、そこで拳法の修練をしたんだとか。
『文学のこみち』の終わり、巨岩の埋まった山の斜面と建物の壁に挟まれた一人が通るのがやっとの細道、私達はどうやらもう千光寺の裏手にいるみたいです。
藤村部長が顔の前で人差し指を立てて静かにするよう皆に伝えると、左側の壁に手を掛けてよじ登り、顔だけを覗かせて塀の向こう側にある建物の中を覗き見ています。どうやらこの向こう側にお寺の住職さん達の住まいがある様で、そこを観察するのが今日の目的の様なのです。
背の高い南君が藤村部長と同じように壁にはりつき中を覗き、背の低い日吉部長は周囲に人の気配が無いかと注意を払います。
平安時代に建てられた千光寺には昔々、灯台のように海を明るく照らす光の宝珠が大岩に嵌まっており、それが夜の海を行き交う船の道案内をしていたのだとか。
中国宋の時代の商人がこの日本を訪れた際にその噂を聞き、宝珠を盗んで母国に持ち帰ろうと試みましたが、船に積もうとしたその時宝珠は海底深く沈んでしまったそうです。以降宝珠を失った『玉の岩』では篝火を焚いて夜の海の道標にしたのだとか。
『都市伝説調査隊』はこれを竜が常に片手に持っている『竜の玉』だったのではないかと推測、そうであるならばその玉の持ち主である竜が存在するはずで、寺の住職に化けて今も竜はこの寺に存在するに違いないというのです。
力尽きて壁から手を離して藤村部長と南君が地に足をつけます。
「人の気配を感じない。誰もいないみたいだな。今日はここまでかな」
そう言って三人とも千光寺の表の境内の方へと歩き始めます。私もちょっと好奇心に駆られて壁の向こうを見てみたくなったので、よいしょって感じで壁に手を掛け力を込めて体を持ち上げます。
顔だけ出して壁の向こうの建物の中を覗き込むと、丁度そこを通りかかったお寺の住職さんの一人とばったりと目が合ってしまいました。
そして突然、その住職さんの両目が青くビカーッって光ったんです。
「きゃああああ」
驚いた拍子に私は壁から落ちて尻餅をついて倒れてしまいました。私の声を聞いて慌てて戻って来た三人に助け起こされる私。
「高森さん、危ないよ」
「今、今、目がビカーッって」
「あははは、大丈夫だよ高森さん。何の成果も無かった俺達にそんなに気を遣ってくれなくてもさ」
「いえ、そんな。あの」
説明しようとしたけれど、びっくりしちゃって私の言葉もしどろもどろ。結局何も言えずそのまま本日の『都市伝説調査隊』の活動は終了。そのまま私達は千光寺下の道を下っていき『みなと祭り』で賑わう尾道市の市街を目指します。
でも藤村部長が言っていました。何も成果は無かったけれど。これでいいんだと。
「そもそも『都市伝説調査隊』の活動は机上で自分達の考えた尾道の怪異に関する仮説を論じ合うだけで完結しているんだよ。この野外調査っていうの現地に直に足を運んで現場の空気を感じる事、それで更に自分達の説を考えて論じる。まあ、その説が当たりで実際にその怪異に遭遇できればラッキーって感じだね。だから自分達の説を証明するためにカメラを仕掛けて盗撮したり、私有地に不法侵入したりといった法を犯す様な行為はしない」
「とてもライトな活動なんですね」
「ああ、趣味だからな。誰かに迷惑を掛ける様なものにはしたくない。それにだ。もし俺達の説が事実だったとして、その証拠を押えてもネットで公開して晒したり何てしない。なぜなら、怪異もまた人間社会に隠れ潜むのには彼等なりの理由があるわけだから、そこに干渉するべきじゃないっていうのもある。俺達はただ知りたいだけなのさ」
「高森さんの取り巻きに元宗さんっているでしょ」
「ええ、いますね。お昼休みの仲間です」
「彼女も一時期この『都市伝説調査隊』に加わっていたんだよ。もっとも活動内容が『子供っぽくてくだらない』って理由で抜けちゃったけどね」
「ああ、そうなんですね。今度話してみようかな」
「止めとけ。私の『黒歴史』があって言うだけだから」
「あはははは」
本通り商店街の二つ目のアーケードに入ると盛大なパレードが行われている最中でした。その行列を沿道を埋め尽くす人達が見物しています。
私達はお昼ご飯を屋台飯で済ますことになり、焼きトウモロコシとタコ焼きを郵便局前の広場に座って食べました。
「尾道だから有名なラーメンが食べたいです」って私は提案したんですけれど、今日は行列が凄いから止めとこうっていう話しに。ちなみにどのラーメン屋に入っても美味しいのですが、地元民ならやはり老舗って言われているお店に通いたいのだとか。
元々『尾道ラーメン』というものは存在せず、老舗のお店で出される味が美味しいから『尾道ラーメン』と呼ばれる様になって今がある訳で、老舗はだいたい『中華そば〇〇』て感じで店名が書かれているのに対し、新興店は『尾道ラーメン』を大々的に掲げているものが多いのだそう。
タコ焼きを頬張る私達のそばに座る二十歳ぐらいのカップル。『みなと祭り』デートらしき二人を私はちょっとチラ見しながら観察。
男性の方が女性の方に熱心に手に持つタコ焼きを美味しいからって薦めています。歯に海苔とかついちゃう食べ物とかデートの時に買っちゃダメでしょ。喫茶店とかレストラン行きなさいって。
「もうお腹一杯、食べられない」
なんて女性の方も、ちょっとそれを口にして戻してしまいます。絶対に嘘。彼女今日は家に帰ってカップ焼きそばどか食い確定ですね。
「高森さん。何一人でブツブツ言ってるの?」
「なっ何でも無いです」
小腹を満たした後はメイン会場となる海岸通りへ移動。特設ステージには有名な芸人さんが出演しているみたいで凄い人集りが出来ていました。
凄い数の人の波に圧倒されながらのお祭り見物。情緒溢れる静かな町って印象だった尾道の活気溢れる一面を見る事の出来た楽しい時間でした。
最後に市役所横の公会堂前で全員で記念撮影して解散。
私は近くの長江三丁目バス停を目指し、藤村部長達は自転車を停めている尾道駅北口へと向かいました。
家に帰ってから今日の出来事をお母さんと妹に話して聞かせます。
妹は私の出会った『げんこつ和尚』と『龍神』の話を目を輝かせながら聞き入り、お母さんも笑いながら私に言います。
「類は友を呼ぶって言うし、由季子に何かを感じたから姿を見せてくれたんじゃないのかな。尾道には古いお寺や神社が多いから、そういう仲間が一杯いそうよね。安心するわ」
そして夜にはお昼休みの三人組との互いのメール報告会を開催。
まずは集合写真を送り合って今日の出来事などを報告。彼女達は当然、私の不思議体験を冗談だと思って笑っていました。
「それで、藤村とはどこまで進んだの?」
「何も無いですよ。何も進んでいません」
「またまた」
なんてしっかり揶揄われてしまいました。
ちなみに元宗さん、大福さん、相見さんの三人は、広島市内で家族を連れた担任の奥田先生を目撃したみたいです。
「私達に勉強しろなんて言っといて、自分は家族サービスで『フラワーフェスティバル』に行ってるってズルいよねえ」
そんなメール会話でその夜は盛り上がりました。