わかりませんの理由
私は思いきって藤村君がずっと続けている謎行動について質問してみたのです。
「藤村、お前まだそれやってんのか」
日吉副部長も南君も呆れたように口を揃えてそう言います。
「ああ、そうだ。先生達には授業の腰を折るようで申し訳ないけれど、とりあえず続けてみるつもりだよ」
「それで頭の悪い馬鹿と笑われ、馬鹿に近づくと馬鹿になるって他の生徒が藤村君に近づきにくくするようなクラスの今の風潮が平気なんですか?」
「平気なのかと聞かれれば、それは『いいえ』だな。まあ、直接面と向かって俺にそれを言えない奴ばかりだから、気にしなければそれでいい」
「もし、直接それを言ってくるクラスメイトがいたら?」
「男子生徒ならぶん殴って分からせるかもな。まあ男子でコソコソやってるのは、クラスの中でもほんの一部で、彼等は別な意図を持って俺下げをやってるんだけどね。まあそれは置いておいて」
藤村君は授業中に頑なに「わかりません」と続けてる行動の理由をようやく私に語ってくれました。
「そもそも頭の良い奴悪い奴なんていない。学校にいるのは自分の目標に向けて頑張ってる学生達だけだ。そこに出来る奴だの出来ない奴だの持ち込むのは、目標大学に合格する為の合格ラインに到達させる為に生徒達に『勉強だけが全て』だって刷り込もうとしている存在があるからだ」
藤村君はその存在を『親』『塾の講師』『学校の教師』と分けて論じ、親はそれが自分の子供の為になると信じて、そして塾の講師は金銭を受け取り目標校への合格を請け負った企業責任を果たすために、学校の教師は高校のから有名大学や国立大学への進学率を上げる事が給料分のノルマの一つであり、それによって入学者数を増やす為にそれを行うのだと言います。
その為の最も簡単な方法が実際に受験を行う生徒を『勉強が全ての価値基準』という自分達の考えに染め下げ、それ以外の思考を奪い取ってしまうことなんだと。
だから周りは全て敵で競争相手、そして合格レベルに達しない連中は落ちこぼれの敗者になるんだという強迫観念を植え付けているのだとです。
「でも問題はそこじゃない。受験合格も生徒達の目標の一つなんだから、無理にでもそこにだけ目を向けさせようとする行為はある意味間違っていないと思う。でも、そこに大きな副次効果が現われてしまう。その実験をクラス内で行ってみる為に俺は『わかりません』をずっと続けてみた訳だ」
「実験ですか?」
「そう実験。俺はその副次効果を非常に危険なものだと思ってね。その実験結果が思っていた通りのものになれば、この学校の一番トップである校長先生にもの申しに行こうと考えていたんだ」
「それで、その副次効果っていうのは?」
「高森さんも直接見たでしょう。俺が『わかりません』を続ける事で、あいつは馬鹿と笑い、馬鹿と親しくしたら馬鹿になるって距離を置いたり除け者の様に扱ったりする。
彼等は自分より下の人間がいることで安心し、俺だけを攻撃対象にする事で『周りは皆敵だ』っていう洗脳から辛うじて逃れて他の生徒達との関係を維持してるって感じじゃないかな。
でもそれってさ、世間一般的には『差別』や『いじめ』って言われている行為に等しい行動なんだ。それを無意識にやっているうちのクラスメイト達って危ういと思わないか?
教師達の中にもわざと俺の『わかりません』を利用して生徒達を使って俺を笑い者にして邪魔者扱いさせ自分の補習事業から出て行けって圧をかけてくる様な奴もいたしな」
「先生にもですか? それは酷い」
「先生は聖職者とか呼ばれるけれど、出来た人間ばかりじゃないって事さ」
「そもそもですよ。なんで藤村君はそんな実験をしようって思ったの?」
「ああ、きっかけは単純。高校入学当初は男子女子も関係なく皆『仲間』って感じで気さくに会話をしていたのに、二年生になるとだんだんそれが疎遠になり生徒達が受験に集中するからって他を拒絶する様になっていく姿を感じたから。
先生達が言うだろ。受験は戦争、周りは敵だ。協調性や社会性は大学へ、社会に出てから学べってさ。その言葉を真言の様に無条件に信じる生徒達もおかしいだろって俺は思った。ただ俺は先生達に比べて社会経験というものがまだ無いからその言葉の真偽を確かめる術が無い。
だから学校や家とは別な世界の人達、少林寺拳法の道場の先生やそこに通う社会人の拳士の人達にそれについて尋ねてみたわけだ」
「その答えは何だったの?」
「まず学校で『勉強だ』といわれている内容を社会に出て使う事はまずない。だからそれが全ての価値基準で世界の全てになっている高校時代は後々考えると悲惨な時期だったてね。
それに大学卒で評価されるのは一部の有名大学ぐらいで、あとは受験勉強を真面目にやったという『上からの言葉に対する従順』さが評価される事の方が多いって。そして社会性や協調性は既に立場や上下関係に縛られた社会に出て学ぶより、同じ立場の人間が何千と集う学生時代の方が色々な考え方を知り、馬の合わない奴ともどう付き合うかを格段に学びやすい環境だったなってさ。
その人達の意見も少数意見なのかもしれないけれど、俺は学校とは別な考え方に触れる事が出来た。そして今度は『わかりません』の実験結果と学外の人達の意見を校長先生の所へ持って行ったんだよ」
「藤村、お前そこまでやったのか。それは知らなかったが」
「ああ、それが目的だったからな。担任の奥田先生にお願いして校長先生に時間を作って貰ったよ。それで俺の意見を伝えてきた。
生徒を勉学に集中させるために教師達がやっている強迫観念の押しつけが差別やいじめといわれる温床をつくってしまている。だから集団生活での協調性や社会性の重要性についても生徒に認識させてプラマイゼロにした方がいいんじゃないかって偉そうに申し述べて来たよ」
「それで校長先生の答えは?」
「君の言いたいことは理解した。考えておこう。それだけだったかな。翌日の職員室の朝礼では何らかの話はあったみたいだけれど、その内容は教えて貰えなかったな」
それはつまり、藤村君の期待した様な解答は得られなかった事みたいですね。
「今日はちょっと個人的な事を話しすぎたな。それと高森さんにはこれを渡しとくよ。五月の連休の部外活動の予定ね。自由参加だから強制はしない。本当は文化祭に向けての出し物を話し合うつもりだったけれど、そういう気分じゃなくなったな。俺、これで今日は帰るわ」
藤村君が帰宅の途につき、部室に残された私達三人。特に会話も無く時間だけが過ぎていきます。
南君がその息苦しい空気に耐えかねて帰宅を告げて去ります。藤村君がいないとどうもぎくしゃくしますね。
私は姿勢を正して無口でちょっと苦手なタイプの日吉副部長に話しかけてみました。
「実験結果が出て目的も果たしたのに、藤村君は何故今も『わかりません』って続けてるんでしょうね」
「そんなの簡単ですよ。藤村がクラスの皆を好きだから。
お前等平然と俺を笑ってるのはなぜかその理由に気づけよ、考えろよって皆に訴えかけているんだと思いますよ。
ここからは僕なりの意見ですが、彼等が将来ふと立ち止まってあれが『藤村いじめ』だったって気付く時が来たとき、そんな高校時代の自分がいたことを否定したい気持ちになるんじゃないでしょうか。
そして高校時代は『なかった』事にして記憶から消してしまう。そんな高校時代の過ごし方って不幸ですよね」
ふむ、さすが日吉副部長。分かりやすい解答ありがとうございました。
部室の扉が少しだけ開き、顔を覗かせた元宗さんが私を手招き。そういえばずっと三人を待たせたままでした。物理研究部の部室に戻ると私は女子三人に囲まれました。
「では高森調査員、待ちくたびれた私達に報告をお願いします」
私は扉の前まで行くと彼女達の方を振り向いて姿勢を正して敬礼します。
「はい、何も申せません。全て秘密であります」
「秘密って何よ。ずるいぞ」
部屋を飛び出し部室棟の階段を駆け下りていく私。誰も追ってくる様子はありません。もう一度振り返った私に三人は二階から手を振ってくれていました。
彼女達はきっと初めからそんな事じゃないかと知っていたんですよ。だから教室の中でも藤村笑いに同調していなかったし、今日の事も私に藤村君をもっと知れって後押ししてくれたのかもしれませんね。
今日はなんだか良い一日、帰りのバスの中で私の携帯に女子三人からメールが次々に送られて来ました。内容はゴールデンウィークの予定について、今夜メール会議だそうです。
家に帰るともう一つうれしいお知らせがお母さんからありました。
「由季子、お婆ちゃんが六月にちょっと帰って来るって今日連絡があったよ」
「雪緒お婆ちゃん、久しぶりに会うなあ。ねえお母さん、お婆ちゃんどこから連絡くれたの?」
「何か今ヒマラヤの雪の中だって言ってたわよ。家に帰る前に交通事故で亡くなった大阪の柚木ちゃんの墓参りもしてくるって」
「四年前に亡くなった柚木おばさんか、三十五才独身はお姉ちゃんって言わないとダメだって怒られたなあ」
私達のお婆ちゃんは一年の殆どを日本中のみならず、海外にまで足を伸ばして過ごしているとても多忙な身です。具体的にどんな仕事をしているのかを私はよく知らないのですが、研究員として国の仕事に携わっているとか何とか、とにかくとてもパワフルな方なんですよ。