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真夏の雪  作者: つむぎ舞
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真夏の雪②

「車を止めて」

 高森雪緒がそう叫ぶと、水原巡査部長は慌てて車のブレーキを踏んだ。

 藤村良介の指し示した大池の側、国道百八十四号線に架かる歩道橋の天辺が白い霧の様なもので覆われ、それがどんどん大きくなっていく。

「あれは一体何?」


「由季子の仕業でしょう。空気中の水分が凝固して小さな粉みたいになって舞っているの。あの中心に間違いなく由季子はいる。これから雪の渦、吹雪の渦といった具合にどんどん激しくなっていくはずよ。水原さん、あの歩道橋に誰も近づけないようにして頂戴」


「何とかやってみます。すぐに車を降りて下さい」

 水原巡査部長は国道を塞ぐ形で音を消しサイレンだけを点灯させた覆面パトカーを横にして停め、自身は歩道橋を挟んで反対側に走り、警察手帳をかざして停車させた一般車両を引き返させています。

 この現場から数百メートルしか離れていない新幹線尾道駅高架下の派出所からは由季子の父親が自転車に乗って応援に駆けつけて来ました。


「お婆ちゃんと生徒さん? これは何の騒ぎですか」

「あの歩道橋の上で由季子の力が暴走し始めている。このままだと由季子自身もこの周辺地域一帯も危ない」

「あれが由季子? まさか。お婆ちゃん、由季子を助けて下さい。お願いします」

「大丈夫、任せなさい。お前は水原さんを手伝って一般市民がここに近づかないようにして頂戴」


「ゆま先生、俺はどうすればいい?」

「藤村、君があの雪の渦の中に入っても凍え死ぬだけ。とにかくあそこには私が行くから、君はここで待機だ」


 どうする事も出来ずに立ち尽くす藤村良介をそのままに私は歩道橋の階段を上ります。この真夏の陽気の中で広域に雪を降らせるだけでなく、これだけの雪の渦を発生させ続けるとは凄まじい力です。雨や大雪の中だったなら既に周囲全てが凍りついているでしょう。しかもその渦はまだまだ勢いを増して大きくなっていくようです。

 こんな寒さの中でも『雪女』は凍ることは無い。それは由季子も私も同じ。


「由季子」

 歩道橋の中心で目を閉じ両の掌で胸を押さえつけて立つ高森由季子の姿が目に入った。彼女の名を呼び手を差し伸べるが、由季子は私の顔を見ても首を少し傾げただけで、すぐに首を横に振る。

 何かを自分に告げようとしているのでしょうか? 「来るな」という意思表示にも見えます。

 由季子は言葉も無くしているのかもしれない。もう強引に行くしかない。

 更に前に出ようとした私に向けて由季子は片手で横に空気を薙ぐ。危険を感じて体を伏せると歩道橋に取り付けられている鉄の標識が裂けた。

 無意識に『氷刃ひょうじん』を出せるとは、迂闊に近づけば真っ二つでしたね。

 雪の渦がより強くなって吹雪の渦と化していく。

 吹雪の中の歩道橋の外で口々に「高森さん」と由季子に呼びかけて叫ぶ声が聞こえてきます。連絡を受けた二年二組の生徒達が集まって来た様ですね。

 彼等の声に望を託してみるべきか、戸惑いながらも高森雪緒はその場を一旦離れる事を決断した。


          *          *


「あれが高森さんなの?」

 少しずつ広がっていく吹雪の渦、その中心にかすかに見える人影。高森由季子の今の姿に動揺の色を隠せない二年二組の生徒達、そしてまだ次々に自転車で乗り付けてくる他のクラスメイト達の姿。

「池田さん、どうしよう」

「ちょっと待って、こんな事は想定外だわ。私も今、頭の中が混乱してる」


 クラスのリーダー格っぽくなってきた秀才女子池田さんもこの状況に戸惑いを隠せない様子。遅れて到着したお昼組の三人の女子と生物部の部員達を見つけて池田さんが駆け寄ります。

「あんた達なら何か知ってるんでしょ。何が起きてるのか教えてよ」


 歩道橋を見上げた元宗さん、大福さん、相見さんの三人が、唖然としながら声に出す。

「あれが『雪女』、高森さん本当に『雪女』になったんだ」

「『雪女』って言った? 高森さんが…マジで」

「高森さんが『雪女』って、じゃあゆま先生も『雪女』なの?」


 少し離れた場所にいた私を注視する生徒達の視線。ここに至ってこの子達に隠し事は不要ですね。私は生徒達に近づきながら正直に話しました。


「そうです。私は『雪女』、そして由季子はあの事件の日に銃撃されて『雪女』の血に目覚めたの。でも今のままでは力が暴走して周囲に被害が広がるだけじゃなく、彼女自身が壊れてしまう。だから由季子を止めたい。皆の力を貸して」


 ざわめく二年二組の生徒達。池田さんはこの状況に頭を抱えて蹲ってしまいました。

「『雪女』って、高森さん本当に人間じゃなかったの? どうしよう」

 生徒達の中にもこの状況に関わるべきか迷うような声が聞こえてきます。

 しばらくの沈黙。

 生徒達の中央で突然立ち上がり「ああ、もう」って大声を上げる池田さん。


「間違ってるわ。人かそうじゃないかなんて括りで高森さんを見るのは彼女を知らない何処かの誰かよ。私達は高森由季子を他の誰よりもいっぱい、いっぱい知ってるの。だから私達は私達の価値観で彼女の事を判断すればいいの」


 池田さんはそう言うと、クラスメイト達一人一人に問いかけていきます。

「高森由季子さんはあなたの何?」

 そう問われたクラスメイト達が声に出して答えます。

「友達」

「仲間」

「憧れの人」

「ヒロイン」

「片思いの女性ひと

 出揃ったその答えを聞き、満足そうな表情で池田さんは皆に語りかけます。


「きっとこういう事は頭であれこれ考えちゃダメ、開き直るわよ。高森さんはクラスメイトで大事な友達。例え彼女が宇宙人だったとしてもそれは変わらないって、これまで何度もメールや口頭で話し合って来たじゃない。『雪女』なんて宇宙人に比べたらもっとずっと私達に身近な存在よ」


「そうだよな。俺達はそうするって決めたよな」

「『雪女』なんて可愛いじゃない。私ちょっと羨ましいかも」


 彼等のそんなやり取りを間近で見ていた高森雪緒は、安堵の溜息を漏らすと共に嬉しい気持ちに包まれた。

 全く、何て子達でしょう。そう、だから私は人間が、この日本人達が好きなの。

 この心の在り方が大好きなの。


「よし、みんな。声を合わせるよ」

 池田さんと元宗、大福、相見さんの四人を先頭に集まった二年二組の生徒達全員が歩道橋上の彼女に向けて声を上げ、『高森由季子』と彼女の名を呼びます。

 彼等の声に応えてあげて、お願い由季子。


 生徒達や高森雪緒の願いとは裏腹に雪のエリアはどんどん巨大化し、遂には生徒達の立つ辺りにまで吹雪で覆われてしまいます。危険を感じて水原巡査部長が生徒達全員を後方へと避難させる。


「ごめん、ゆま先生。私達の声、高森さんに届かない」

 何か方法は無いのか? 何とかしたいという生徒達の気持ちが伝わって来るも状況は更に悪化していく。やはり私が強引にでも突入して由季子を…。

「でも何で高森さんはこんな所にいるの?」

 一人の生徒が何気なく語った言葉、その答えを求める皆の視線は藤村良介へ。


「俺は高森さんがここに来たのには理由があると思っている。ここはかつては俺の特等席だった。でも引っ越してきた高森さんの特等席にもなったんだ。だからここには彼女の思い入れがあったんじゃないかな」

 

 そう真面目な顔で応える藤村良介。彼の説明を受けてしんと静まり返る二年二組の生徒達。そして彼等は一様に含み笑いを浮かべながら藤村に言葉を返します。

「この鈍感男」

「鈍いよ藤村」


「高森さんはあんたに惚れてるの。だからきっとここに来たのは藤村良介、あんたに会えると思ったからに違いないのよ」


 クラスメイトの言葉に戸惑う藤村良介、由季子の秘めた想いに気付いていないのはどうやら彼一人だけだった様ですね。お昼三人組の女子達も腕組みしながら「うんうん」って頷いています。


「ゆま先生、どうやら俺が行くべきの様だ」

 進み出る藤村良介。でもあの吹雪の中に普通の人間である彼を近づけて良いものか…。

「藤村君、行って」

「行け。藤村」

 二年二組の生徒達の言葉に押されて走り出す藤村。吹雪で視界の見えなくなった歩道橋の階段を駆け上る足音だけが聞こえてくる。高森雪緒も慌てて彼の後を追った。

「冷てっ」

 吹雪の中を猛然と進む藤村良介。由季子を救いたいという皆の願いが彼を動かす勇気の源、そして自らの危険を顧みずにそれが出来る人は希です。

 由季子がこの勇敢な若者に対しておかしな行動を見せるのならば、私は彼を救うために非情な決断も…。


          *          *


「由季子」

 そう私の事を呼んだ長い髪の女。ここは私だけの場所、あなたの場所じゃない。だから来ないで。

 追い返そうと手を横に振っただけで鉄が裂けた。これは何?

 そして女の人は姿を消した。また私はひとりぼっち。

 私を呼ぶ沢山の人の声、でもその声はなぜか遠い。


 私を呼ぶ一つの声、現われたのは一人の男の子。

 ここは私の場所、誰も来ないで。まつ毛や髪の毛が白くなりながら進み来る男の子の顔には見覚えがある。ここはあなたの場所、あなたと私だけの場所。

 伝えなければならない言葉がある。伝えたい気持ちがある。こっちへ来て。 


 膨れ上がる想いが、感情が形になって体中から噴き出していく。周囲がより白く激しく濃くなって彼の姿を隠していく。

 さあ、早く来て。

「由季子止めろ。退がれ藤村、もう無理だ」


「高森さん」

 男の子の声、彼の両手が私の両肩を掴んですぐに手を離した。自分の両手を見ながら彼はとても苦しそうな表情に。大丈夫ですか、どうしたの?

 それでも彼は私に笑顔を向けてくれます。私だけに向けられる笑顔、私だけのもの。


 すき、言葉を絞り出しますが上手く言えない。もう一度頑張って声に出します。

「好き…です」

 男の子の体がそのまま私に覆い被さります。私の顔が彼の大きな胸の中に押しつけられて、背中にぎゅって感じが。

 胸の中心が飛び出し頭から突き抜ける様な衝撃が、全てが真っ白になりました。

 感じるのは彼の胸の僅かな温もりと小さな鼓動。


「俺を好きになってくれて、ありがとう」


          *          *


 渦巻いていた吹雪が一瞬で晴れ、歩道橋の中央で抱き合う二人の若い男女。

 彼女から手を離した藤村良介がまず崩れ落ち、立ち尽くす高森由季子が少し遅れて膝を着いてそのまま倒れた。


「水原さん、救急車を呼んで」

 そう叫び、高森雪緒はすぐに倒れた二人の元へと駆け寄った。

 両手の凍傷に蒼白な顔、全身性低体温症の症状が藤村良介に出て危険な状態です。対して由季子はただ眠っている様子。何とも満ち足りた幸せそうな顔をして、全くこの子は…。


「ゆま先生、痛くて寒いよ」

「良くやってくれた藤村。由季子はもう大丈夫さ」

「俺、彼女に告白されたよ。でも彼女の気持ちには応えられない。どうすればいいですかね?」


「それでいいさ。同情と愛情は違うもの、由季子も君の同情なんか望んではいないよ」

「そうか、この表現しにくい気持ちは愛情ではなく同情か、どちらも似ていて自分ではわかりにくいものですね」


「同情で付き合って側にいても、何処かで苦しさに襲われてぎこちなくなる。正直に気持ちを言えばそれは彼女を傷つける事にもなるだろう。だからそのままでいいのさ」


「わかりました。ゆま先生の言葉に従いますよ」

「由季子が君に『好き』とそう言ったのなら、由季子の心は壊れていないと思う。急激な体の変化に心がついて行かずに混乱しただけだろう」


「そうですか、でも『雪女』って怖いものですね。昔話の通りですよ」

「だからこそ人の優しさに触れ、『雪女』自身がやさしさを心に持たねばならないのさ」

「よく分かりますよ。でも彼女はとても良い子です。きっと良い『雪女』になれますよ」

「それを見定めるのは私の役目なのに、君に先を越されたかな」


 眠る由季子の顔を見ながら高森雪緒と藤村良介の二人は微笑んだ。


 救急車のサイレンの音、運ばれて行く高森由季子と藤村良介の二人。そしてそれを心配そうに見守る二年二組の生徒達。

 高森雪緒は一人歩道橋の上に立ち、大きく背伸びをした。雪に埋もれた国道百八十四号線の車の渋滞が少しづつ動き始めていた。

 

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