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真夏の雪  作者: つむぎ舞
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高森家

 我が家の朝は早いのです。

 新しい家の何も無い広い土の庭は私達の鍛錬の場としてはもってこいの場になっています。

 警察官の父、とはいっても刑事とかじゃなくて交番勤務のお巡りさんなのですが、その父の勧めで護身術として妹と二人、半ば強制的に朝稽古を昔からさせられているのです。

 ずっと各地の少林寺拳法道場で学び続けて来た父と妹。尾道に引っ越してきてからは妹の通う栗原北部小学校のすぐ下の住宅地で少林寺拳法の道場を開く森先生の元に今は通い始め、既に黒帯五段の父に茶帯一級の妹。そして一度も道場に通っていない私はずっと白帯のままだし、ロゴも無い無地の道着を着ています。

 白帯でも父の指導の下で長年真面目に練習しています。

 だから突き蹴りで対戦する乱取りでは年少部の妹に一度も負けたことはありませんし、手加減してくれているとはいえ父ともそれなりに渡り合えます。


「由季子、お前は筋がいいんだからお父さん達と一緒に道場でやればいいのにな」

「お姉ちゃん強いからすぐに黒帯だよ」


 父も妹もすぐにそう言って私を道場へと通わせたがります。

 少林寺拳法には剛法と柔法というのがあって、突き蹴り主体の剛法は楽しいのですが、柔法は相手の関節を取り固めたりする技で、中には体の中心線、つまり胸元で相手の手首や肘を決める技があるのです。

 私も高校二年生の女の子、自慢できるほどでは無いにしろそれなりに出ている所はしっかりと出ています。技の練習中に胸元で決めた手を痛がりながらも緩む父のエロい表情を見てからもう柔法を使うのは駄目になりました。私のこの大事な胸を見知らぬ人達が触るなんて、そもそも自分から相手の手を胸まで持って行く事自体が自分から触らせてあげている様で嫌なのです。無理です。赤面です。

 そういう訳で柔法は妹の法が圧倒的に上手く、剛法で優勢な私もこと柔法となると妹にいい様にあしらわれます。

 約一時間の朝稽古で父と妹の二人だけはたっぷりと汗をかき、汗の全く出ない私はそのまま台所でちょっとだけ母のお手伝い。その後は皆で朝食を食べてから各自の時間で出勤と登校です。

 私が学校で病弱って体で過ごしているのはこれなのです。私は息を切らすぐらい激しく動いても全く汗をかかないのです。中学生ぐらいからこの症状が出始めて、運動部に入るとそういうのがすぐに目立ってしまうのです。



 転入手続きの遅れで書類が揃わず、私は四月一日の始業式を迎えてもまだ学校へは通えず、母と一緒に引っ越し荷物の整理に追われていました。

 私より一足早く小学校へと通い始めた妹の有喜乃が帰宅してくると、今日も日課の自転車の特訓の始まりです。妹はここ一週間で家の庭を補助輪なしでも何とか足を着かずに走り回れるようになり、いよいよ坂道を下って、交通量の少ない下の集落の道を走ってみる日が来たのです。当然、そのお目付役は姉である私。ちゃんと出来れば大池の方まで行ってみようかって妹と話していました。


「由季子、ちょっと買い物に行ってきて欲しいの」

 母は普段は何でも自分でやってしまう性格なので頼み事をするのは余程忙しい時ぐらいです。それに買い物は国道向かいの松岡団地にある小さなスーパーまでなので走れば往復二十分もかからないはず。


「ごめんね有喜乃、ちょっとだけ待っててね。お姉ちゃんすぐに戻って来るから」


 残念そうに肩を落とす妹を残して猛ダッシュ。私がその依頼を断らなかったのは買い物の内容がすき焼きの材料だったから。すき焼きは妹の大好物なんです。

 母なりに有喜乃の自転車デビューを祝おうというのでしょう。手早く買い物を済ませ、帰りの坂道も必死にダッシュで駆け上がりました。

 もう倒れて死にそうです。

 でも私が戻ってくると妹の姿が何処にもありません。もしやと思いましたが的中です。妹の赤い自転車も一緒に消えていました。


「お母さん大変。有喜乃一人で下に行っちゃった。私、捜してくる」

 そう言って母にすき焼きの材料一式を手渡して、息切れする体に鞭打ってもう一度走り出します。

 妹の今日の自転車での最終目標はあの大池を自転車で一周してみせること。だからそこを目指せばきっと妹は見つかるはず。大池は交通量が多く車の絶えない国道百八十四号線にも面しているのでとても心配です。途中で転んだりしていたら、車とぶつかったりしていたらと嫌な想像ばかりが頭の中に浮かびます。

 息を切らせながら大池をぐるっと一周走ってみたのですが、見つかりません。この辺りの地理にまだ疎く登下校の道しか知らない妹が道を外れて遠くに出てしまったら帰って来られないかも知れない。

 もう十才の女の子に過保護すぎないかですって? いいんです。

 大池側にある歩道橋が私の目に入ります。そこへ上って周囲を見渡せば妹の姿を見つけられるかもしれない。そう思って上に上るとそこで景色をずっと眺めている男の子がいました。歳は私と同じぐらいかな? 彼に聞けば何か分かるかも知れないので、思い切って話しかけてみました。


「そこの君、赤い自転車に乗った小学生ぐらいの女の子を見なかった?」

「赤い自転車…ああ、いたよ」

「どっちに行ったの? お願い、教えて」


 私の懇願にその男の子は妹が通ったのであろう道筋を指でなぞる様に示します。

 国道の歩道の先、大池の横に建つ茶色の大きなデイサービス施設。その施設内の大きな駐車場脇の草の斜面に座って大池に石を投げている妹の姿がありました。

 その男の子にお礼を言って、すぐに有喜乃の元へと向かいました。


「有喜乃!」

「お姉ちゃん。私ね一人でも走れたよ」


 何かを成し遂げた様な満足げな顔で笑う妹がもうかわいくて、怒れませんでした。

「今日はすき焼きだよ。お母さんがお祝いしてくれるって」

「本当、やったね」


 歩道橋の上から彼がこちらを見て手を振ってくれています。感謝の意を込めて私も手を大きく振り返しました。妹も彼の存在に気付き、立ち上がると両手を合わせて拝む礼をします。それを見て彼の方も妹に向けて同じく手を合わせ礼を返しました。合掌礼というやつですね。

 少林寺拳法の拳士達が互いに取る礼法の一つで、両手を合わせて拝むような形で行われます。合掌礼は構えの一つでもあり、そこから派生する技なども実はあったりするのです。

 この礼法は日本人が行う一般的なお辞儀が支配者が屈服させた相手に取らせた礼を祖とするという考え方から、互いを対等の相手として尊重するという意味を込めて拳士達は合掌礼を用いるのです。

 つまり、あの男の子も少林寺拳法を修める拳士ということですね。


「有喜乃、あの人知ってるの?」

「あれは藤村のお兄ちゃんだよ。少林寺の道場の兄弟子、黒帯なんだよ」


 彼の名字をその時初めて知りました。これが彼と私の最初の出会い。


 そして晩ご飯はすき焼き。私と妹も台所で母のお手伝い。

 妹は白菜の手切り担当、私は包丁担当。葱に椎茸、榎茸、豆腐と大きくぶつ切りにするだけの簡単なお仕事。

「痛っ」

 油断しました。

「手切ったの? 絆創膏どこだったかしら」

「舐めれば治るから大丈夫だよ」

 慌てる母。私はそのまま人差し指を口に咥えてしばらく待ちます。痛みがどんどん消えていく。

「由季子、ほら手を出して」

 私の指の傷を確かめるお母さん。傷一つ無い指を見て安心した様です。

 こういう所は本当に便利な体なんですよね。


 お父さんは今日は遅くなるという事で、三人での食卓。

 妹の有喜乃は母に今日の成果を自慢げに語ります。自転車事故の多さから近年では自転車運転ルールの厳格化もあり、ただ自転車に乗れるようになっただけではうちの父はまだ自転車で遊びに行くことを許可しません。

 でも有喜乃は小学校で出来た友達と一緒に松岡団地や竹屋団地、さらにその奥の三美園団地にまで足を伸ばすつもりだと野望を語ります。

 まだ私も知らない場所。小さくて可愛い有喜乃がどんどん私の手から離れて遠くに行ってしまう様な感じがして寂しい。

「もう十才だから大丈夫よね。自転車に乗るのも遅いぐらいだったし」

 なんていう母をついジト目で見てしまいます。

 そう私は、有喜乃に関しては姉バカ、超姉バカ野郎なんです。自覚しています。

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