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真夏の雪  作者: つむぎ舞
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尾道へ

 私が母と妹と一緒に尾道市へと来たのは一ヶ月ほど前、一年ほど前に尾道の仕事場へと先に赴任した父を追う形で奈良県の山奥から出て来たのです。

 父の赴任が決まった時に、引っ越すことになるのは前々から決まってはいたものの、のんびりした母の性格もあって結局荷造りや書類手続きも遅々として進まず、いつもながら慌ただしい出発となってしまいました。

 我が家の引っ越しはこれで四回目、青森県に始まり長野県に奈良県と山深い田舎ばかりを西進して辿り着いたのがここ広島県の尾道市。

 我が家族のこの引っ越しの時期と場所を決定するのはいつもお婆ちゃん。我が家ではお婆ちゃんの言う事は全てに優先される絶対事項なのです。

 なぜ尾道に決まったかというのはちょっとした偶然。

 海外や日本中を所狭しと活動的に動き回っていて普段はあまり家にはいない我が家のお婆ちゃん。

 その日たまたま我が家に戻って来ていたお婆ちゃんが「今度住むのは海の近くがいいな」と話していたところで、その目に飛び込んで来たのが丁度放送していたふるさと探訪的なテレビ番組。

 ここに決めたと彼女は決断したのです。

 しばらくしてお父さんの職場の異動辞令が出て、まず父だけが単身赴任という形で尾道へと移動。これも我が家では普通の事なのです。


 一般に県外から尾道への来訪者は新幹線でその第一歩を記しますが、私達の尾道への第一歩は各駅停車の鈍行でした。


「お母さんが福山駅で新幹線降りちゃうから、鈍行で来なくちゃいけなくなったんだよ。お父さんとの待ち合わせ時間に全然間に合わないよ」


「だってお父さんが新幹線の新尾道駅は市街地から外れた場所にあるから、周りにお店も何も無いっていっていたのを思い出したんだもの。ご近所に配るお土産とか買っておかないと引っ越しの挨拶に行きづらいじゃない」


 快活な妹の有喜乃ゆきのは母に文句を言いながらも電車の旅を存分に楽しんでいます。まだ十才の彼女には何もかもが珍しく映るのでしょう。

 沢山の漁船や作業船が浮かぶ尾道水道と呼ばれる細長い海、沢山の小島が通り過ぎていきます。造船所らしき建物を過ぎると窓の外に見える大きな二本の青い橋。

 新旧の尾道大橋にその目は釘付けです。

 電車内では「次は尾道駅」と繰り返すアナウンスが始まり、伝者は市街地へと入り山側には住宅地に混ざって沢山のお寺の屋根も見えて来ます。茶けた道路橋の下を通り過ぎ、踏切待ちをする多くの人々の姿、そして電車は速度を落として尾道駅へと到着です。

 屋根瓦を模した黒い屋根の駅舎、その南口を出るとすぐ正面にバスターミナルを兼ねる開けた広場が開けています。そしてすぐそこがもう海です。


「うわあ海の香りがする」

 有喜乃が声に出すのも分かります。風に乗って漂う濃い潮の香り。これが私の尾道の第一印象でした。駅舎から海に向いて東に行くと商店街の長いアーケードがあり、西に行くと大きな物産館があるらしく、私達はその物産館の駐車場でお父さんと待ち合わせています。

 駐車場の白い車から手を振っているのが私の父、予定到着駅も到着時間も変更になってしまいましたが、父は笑顔で私達を迎えてくれました。


「よし、せっかくだから新しい家に行く前に少し尾道観光でもしていくか」


 私達が父と直接会うのは約一年ぶり、私達よりも父の方がはしゃいでいるみたい。


「お父さん。ここでちょっと買い物するから待ってて」 


 言うが早いかお母さんは物産館の中へと入っていってしまいました。ご近所に配るお土産らしき物を買い込んで車に戻って来た母を待って私達は出発します。


 観光といえば大抵の起点とするのは宿泊先のホテルや公共交通機関の駅やバスターミナルですが、私達のように車で訪れて来た場合、尾道の観光名所とされている神社仏閣や商店街、そして千光寺せんこうじ公園の全てを見て回るのにその都度近場の有料駐車場を探して利用していては時間も予算も大幅に浪費してしまうそうで、「ここは地元民ならではのノウハウってやつを教えてやるよ」とばかりに父が胸を叩きながら言います。

 まだこっちに来てから一年足らずのにわか尾道市民のくせに、ドヤ顔でそう語るお父さん。でも父の語りでは長くなるので私がそれを要約してお伝えします。


 まず向かうのは駅の裏側に見える高い山一帯を占める千光寺公園。

 車でそこに向かうには西の門田口と東の長江口の二つのルートがありますが、長江口の方が道が分かりやすいのでまずはそちらから。

 長江第二中学校と尾道中央高校の側を通る桜並木の登山道を天辺まで上りきると千光寺公園駐車場に到着です。ここの利用料金は時間制ではなく一回六百円とお手頃価格。

 公園駐車場に車を停めてからは徒歩での移動。尾道城が跡地に作られた展望所を目指して桜の名所と謳われる公園内のメインストリートを歩きます。

 公園から市街地へと降りるルートは概ね三つで、一つは尾道城跡地、二つ目は千光寺付近、三つ目は展望所のロープウェイの利用です。

 今日はアーケード街の入口に出たいので尾道城跡地方面を利用しています。しばらく歩くと街全体が見下ろせる眺望点に到着、ここに尾道城であった石垣を模した展望所があります。

 尾道城は古き尾道を代表する景観ではあったのですが、元々博物館として造られた城型の構造物で歴史的背景はありません。三層三階の最上階には展望所もあったのですが、現在は老朽化により取り壊されて展望点となっています。

 お父さん情報によれば昔はこの入口に大きな水槽があって、ピラニアなどが飼われていたんだとか。一体何処でそんな話を仕入れて来たのやら。

 展望点とすぐ近くの展望所から見る街の景色が尾道を代表する景観の一つ。私達は小さな小道を街の方目指して下っていきます。

 この小道は特に面白みもない小道なのですが、『坂の道尾道』を体験したい方は千光寺のお寺付近から下る道を利用すれば、風情ある階段や坂道の通りを堪能できるようです。

 海を走るフェリーの姿を眺めながら小道を下って線路を跨ぐ歩道橋を過ぎると与謝野晶子よさのあきこの銅像が眼下に見えるはずです。そこからしばらくは全長千六百メートルとも言われる長いアーケードを持つ本通り商店街を散策です。

 アーケード街は大きく三つに分かれていて、二つ目のアーケードの終わりを北に向かうと千光寺山ロープウェイ乗り場があり、南に向かうとすぐに『尾道ラーメン』を代表する地元民が行列を作る有名店である『赤華園』と『つやふじ』の二店があります。

 おや、『赤華園』は惜しまれながら店仕舞いしてしまったそうですね、残念。『尾道ラーメン』という看板は街のあちこちで見かけますが、地元民がここって言う一つはこの有名店だそうだそうです。

 私達はロープウェイに乗って千光寺公演へと戻って尾道プチ観光を終えましたが、三つ目のアーケード街を過ぎてもう少し足を伸ばせば、大量の鳩と触れあえる歴史的寺院、浄土寺へも行けるそうです。


 さて、私達は新たな生活の場となる新居を目指します。

 尾道といえば山が迫った海沿いの景観に階段道、たくさんのお寺がテレビなどでもよく紹介されますが、私達の新しいお家はもっと内地、田んぼや畑のある山の稜線に広がる集落に沢山の住宅団地、そんなありきたりの風景の中にありました。

 尾道市を南北に縦断する国道百八十四号線を私達の乗る白い車はどんどん北上していきます。海の近くがいいと家を決めたお婆ちゃんも、いざとなると慣れ親しんだ山手を選んだという事でしょうか。


「この大池おおいけのちょっと先に進めば我が家だぞ」

「お父さん、お腹すいた。ラーメンが食べたい」

「もうお昼も過ぎてるわね。お父さん、どこか近くに食べるところがあるかしら?」

「尾道ラーメンか、あるぞ。すぐそこに」


 私達は急きょ松岡団地口バス停側の『一番屋』なるラーメン屋さんに飛び込みお昼を頂きます。私はすぐ隣にあるサンダー書店という本屋さんの存在を見つけて要チェック。


「ねえお父さん、新しい家って大きいの?」

「ああ、お婆ちゃんが決めた家だからな、凄く大きいぞ」

「もう町から遠い山奥の一軒家は嫌だよ。夜の帰り道が恐いもん」

「今度の家は近くに本屋さんに美容院、お医者さんもスーパーもあるから便利はいいぞ」

「凄いじゃん、都会じゃん」

「有喜乃の通う小学校も家から歩いて十五分ぐらいだし、自転車に乗れなくても大丈夫だ」

「お姉ちゃん。凄い、凄い、楽しみだね」


 妹の有喜乃が新しい家をどんな風に想像しているかを思うと胸が痛みます。超古風な感性のお婆ちゃんが決めた家、これだけでもう残念確定なのです。

 そして私の予想通り、松岡団地と呼ばれる住宅街とは真反対の田んぼと畑が並ぶ集落の方へと車は進んでいくのです。ガードレールも無い車一台が通るのがやっとのコンクリートの農道を過ぎて最後の長い坂道を上り始めると妹の顔がどんよりと曇ります。

 彼女が想像していたのはきっと二階建ての四角い窓のある綺麗な壁と芝生の庭のあるお家、でもお父さんに到着を告げられたのは茅葺き屋根の大きな古民家でした。

「いい景色よね」

 山の中腹に立つ我が家からは国道方面までが一望できて見晴らしだけは確かに良いです。空気を胸一杯に吸い込みながら言う母は、家に対するこだわりというものがありません。

 思っていたのと違うって顔で呆然と立ち尽くす妹を余所目に私も新居を見て回ります。広い縁側を持つ古い母屋は玄関から大きな土間になっていて奥の台所までそれは続いています。

 母屋の左手には比較的新しい造りの二階建ての住居、でも母屋の右手にはなんと小さな牛小屋がそのままで、併設された作業場らしき建物には使われなくなって久しいイ草織りの古い機械が置かれたままになっています。お父さん情報によれば、この作業場には新聞の取材が来た事もあるんだとか。

 お母さんは大きな土だけの庭の入口にある柿の木がお気に入りみたい。

 うん、さすがお婆ちゃんの趣味って感じ。

 今にも泣き出しそうになっている妹に指差して、「ほら、こっちには新しい家もあるんだから」って私は彼女をなだめます。

 

「どうだ、気に入ったか」

 父の問いに妹は半泣きの状態なのにうんと頷いて見せます。妹よ、あなたは本当に大人です。それに比べて私はまだまだ未熟者。


「お父さん。私、ここに住むのは嫌かもしれない」

 つい心の声が漏れ出していました。

お寺とかは実名で書いていますが、尾道ラーメンの店名は実名を書いていません。他のお店の名前とかも出す場合は一文字変えたりとかしてあるので、雰囲気で察して下さい。

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