想定外の敵
中嶋義人のストーカー殺人事件として処理した案件の情報規制の判断を下したのは藤堂参事官だった。
その判断が誤りであったというのは警察関係者一同の共通認識となりつつある。尾道という小さな町で一家三人が死亡する事件を隠蔽した。
犯罪の多発する大都市ならばともかく、殺人事件など十数年に一度あるかどうかという地域でのそれは逆に多くの人目を引く事態へと陥ったのだ。
学校関係者には女子高校生高森由季子を狙ったストーカー事件の犯人中嶋義人が両親を殺害した後に自殺という形で説明を終えたが、それと同じ形での新聞やテレビでの報道も大きく取り扱うべきであったのだ。
しかしながら、事件から数日は何事も無く落ち着いたあの事件が、尾道中央高校の学校内という限られた特殊な空間のみで噂として今も拡散している事には何か人為的な作為をを感じるものがあった。
その為、木崎正文警部はこの調査を水原龍子巡査部長に振り分けた。
彼女は情報収集要員と共にまず中嶋家の周辺の聞き込み調査を行い、事件について嗅ぎ回っている怪しげな男がいた事を突き止める。
しばらくして彼女達は尾道市内のホテルや旅館の宿泊名簿から根津浩介という男の名前を特定する。中国四国地方を中心に活動するフリーのライター。業界での噂は良いものではなく『狐』等とも呼ばれている様な奴だ。
根津がこの一見を嗅ぎつけた経緯は容易に想像がつく。メディア規制をかけたことに反発する人物が何処かの報道機関にリークし、彼を捨て駒として事の真相を探らせているのに違いなかった。
実際には、警察は被害者側からの強い要望があればマスコミ発表を見送るなんて事も多々あるのだが、マスコミはそれを警察による隠蔽と決めてかかる所がある。
そんな風潮も今回の騒動の一つの要因かもしれなかった。
根津浩介は当事者である高森由季子本人や高森家には一切近づかず、尾道中央高校の生徒が多く通う学習塾等をターゲットにして生徒達から事情聴取すると同時に、事件についての風評を生徒達に流している節があり、それが今学校内での囁かれる噂話の元凶になっている。
高森雪緒や我々警備を担当する者が最も恐れるのは現在、『人外』という存在が白日の下に晒される事。『ぬっぺらぼう』にすり替わられた中嶋一家の事を隠すための報道規制で返って高森由季子一人に生徒達の視線が集中する結果となってしまったのは大いなる誤算と言うべきか。
この事について高森由季子に非や落ち度は無い。彼女は明らかなる事件の被害者なのだから。
自分が事務員姿で校内を歩いて耳にする高森由季子に対する主な風評は「手が付けられない程の不良少女」そして「中嶋義人との恋仲説」の二つだが、そこから派生したかなり過激な聞くに堪えぬような酷いものまであった。
テレビドラマや小説、漫画などの創作物から得た知識を総動員しての生徒達の妄想、それを彼等は悪意無く面白がって周囲に吹聴するが、貶められる当事者にとってそれは心を抉る鋭い刃となる。
そしてそんな噂話を彼女の居ない場所でするならまだマシだが、彼女の姿が見えた時だけにわざわざしてみせ彼女の反応をチラ見して楽しんでいる様な事までしているのだ。
ただ、面と向かってそれを言えないのは不良少女のレッテル、高森由季子の反撃による被害を恐れての事だろう。
しかしまあ、残酷な事をするものだと感じざるを得ない。
自分達SPが高森由季子が『人外』の一族であると露見するのを防ぐ事も警備任務の一環としては組み込まれたが、学校内に広がる彼女に対する誤った風評に基づいた排斥的な生徒達の行動、いわゆる『いじめ』というやつだろうが、これに首を突っ込むことは警備の職務を逸脱した行為であり、関わったとしてどう対処してよいのか自分にはさっぱり分からない。
声を上げる者を片っ端から殴り飛ばして黙らせる暴力事務員となった自分の姿を想像して木崎正文警部は教職員室の前の廊下で首を横に振った。
「あら、木崎ちゃんもお悩み中?」
高森雪緒、こいついつからいた。自分の心中を見透かされた感じがして木崎警部は咳払いをしてその場を誤魔化してみせるも、如何せん突然の事で顔が引きつる。
ふふんっと鼻を鳴らして廊下の窓に両肘ついてもたれかかる高森雪緒、一転彼女もその表情を曇らせ廊下を叩く靴音だけがそこに響いた。
「この学校の教師達にも由季子に対する悪い風評や生徒達の彼女に対する態度は伝わっているはずなのに、誰もその事を口にしようとさえしない。完全な黙殺ってやつね」
「『いじめ』など当校には存在しないっていうお決まりのやつですか」
「さすがに教育実習生達には警察が作り上げたストーリーである『中嶋義人ストーカー殺人事件』の内容を説明した上で騒がないようにと念書を取って大学の方へと返したみたいだけどさ。それを全校生徒に伝えるには刺激が強すぎるからって理由で校長も教頭も頑なに拒んでるんだよね。
他にも『殺人事件に当校の生徒が関与』なんて噂でも立ったら誤解が広がり学校の名が落ち大学の推薦取り消しなどで生徒の進学にも支障をきたすなんて色々な理由を並べ立てているけども、結局は自分達の今の地位を守りたいって保身が本当の所じゃ無いかしら」
そこまで言い、高森雪緒は生物教室の方へと向きを変えた。さすがにこれ以上の内容は職員室前ではしにくいって事だろう。木崎警部は高森雪緒の後を無言のままでついていく。
「ああもう、全く面倒よね。邪魔者なんて全部殺してしまえば簡単なのに」
歩きながら漏れ出た彼女の言葉に正直寒気が走った。
「あんた。何て事を言い出すんだ。それがお前の本心か」
「木崎ちゃん。私も昔ちょっと擦れてた時期があってね。その頃はそんな風に考えた事もありましたって事、今では私もすっかり大人になりました」
「それで、教師高森雪緒としてはどういう形でこの騒動を決着させるつもりなんですか?」
「まず元凶になっている根津って奴は私達の方で何とかするしかないでしょうけれど、やはり問題は生徒達自身ね。今起っている『いじめ』の渦の中心には根津という男がいるんだけれどそいつは学校の外にいながら生徒達に由季子の悪評を吹聴し、それを友達に話す行為が『いじめ』に繋がっていくなんて生徒達は考えてもいないの。そうしていつのまにか風評被害は拡大し、それを理由に由季子を遠ざけたり陰でコソコソ噂話に華を咲かせるなんて行為があちこちで横行し始める」
「それが今の現状って事ですか」
「そうよ」
「『いじめ』というのはそれを受けた当人だけで無くそれを行った加害者側にも時限的に襲いかかる怖いものでもあると私は考えているの。
成長して心が成熟していくとふと自分が行っていた行為が『いじめ』だったと気付く時が来る。その行為を正当化してしまう様な自己中心的な人間でなければ、大抵の人はそれに負い目に感じるはずなのよ。そしてそれは一生消えない心の影として心の隅に存在し続ける」
「加害者も被害者も報われない交通事故みたいなものですね。それが『いじめ』加害者の後遺症てやつか。でもなぜ根津って男はそんな面倒な事をわざわざしているんでしょうね?」
「たとえ悪評であれ由季子に生徒達の関心が集まればより多くの彼女の情報が手に入りやすくなるでしょ。その為に話が広がりやすくなる様に面白おかしく話をでっち上げたって想像はつくわよ」
「なるほどね。迷惑な話だ」
「まったくね」
「念の為に一橋警部に頼んでネット上での検閲をして貰ったんだけれど、そこにはあの由季子では無い女子生徒の乱闘映像ぐらいしかアップされて無かったわ。
それと由季子関連の噂話についても生徒同士のグループチャット程度で完結している様ね。
まあ、その辺りがうちの学校の生徒の良い意味での限界ってことなのかしらね。木崎ちゃんも見たでしょ。あの乱闘映像は」
「ええ、まるでアクション映画を見ているような見事な立ち回りでしたね。あれをリアルでやってのけるのはかなり至難でしょう。あの格闘センスなら将来的に我々の部署にスカウトしたいぐらいですよ。何て言う名前の女子生徒なんですか?」
「生徒会副会長の小川優奈さんだったかな」
「それで話は戻るけれど、今回の騒動では一つ良かった点もあるのよ。それは由季子を故意に貶めようって動いている生徒がいないこと。まあ、これもスケバン高森の噂に恐れをなして手を出せないでいるだけかもしれないけれどね。
あとは由季子の側に立って戦ってくれる味方が今のあの子にどれ程いるのか、しばらく私は遠くから様子見って感じかしらね」
「スケバン高森って、あんたが原因だろうに。冷たいですね。さすが『雪女』ってところか」
「何一人で上手いこと言った気になってんのよ、この中年オヤジは。『いじめ』の名を借りた恐喝や暴行といった犯罪行為が行われていたなら即座に介入するわよ。でも今回のこれはそういうものとは質が違う」
「自分から見れば陰口や疎外する排斥行動も十分悪質だと思いますがね」
「今、由季子が経験している『いじめ』程度は日本全国の学校の何処ででも起きている。そこに事件性が無ければ教師も周囲もそれを黙認し、被害者だけが耐え忍び卒業を迎えていくのが現実よ。
今はまだ人間である由季子は将来必ずもっと酷い目で人間から見られる時が必ず来る。この程度の事で潰れる様では先が思いやられるわ」
「修行の一環って事にしてしまうんですか?」
「まあ、それは何も出来ない自分への言い訳。でもね、私はうちの学校の生徒達の汚れ無き心っていうのにも期待しているのよ」
「生徒達自身による自浄ってやつですか。私には想像出来ませんがね」
「もっと人間を信じなさいよ木崎ちゃん」
「その台詞をあんただけには言われたくない」
自分に一別して少し微笑みながら生物準備室の扉を閉める高森雪緒。その場の廊下に一人残された木崎正文警部は肩を竦めて大きな溜息を一つ漏らした。




