暗躍する者達
大池東側の高台に建ち並ぶ住宅街。竹屋団地と呼ばれる区域の公園の通り向かいの二階建て家屋、その表札には中嶋の文字。尾道中央高校教育実習生である中嶋義人の実家である。
本日の実習勤務を終えて帰宅する中嶋義人。彼は玄関に入ってすぐにある階段を上り、通りに面した二階の自室に入ると双眼鏡を手にして向かい側の山の稜線を監視している母親と合流する。
母親が指差す先には向かいの山の中腹にある大きな古民家である高森家。その周囲の警備にうんざりといった表情だ。
なぜならば、高森家周辺には働きもしない百姓姿の二人組の監視員が数組配置され、よくよく注意して見れば山中に巧妙に偽装したバンカーらしきものがあり、迷彩服姿の兵士らしき姿が希にだが見られる。
そして高森家から少し離れた南には、収穫したい草を干すために山肌を大きく削って作られた大きな広場があり、地元の子供達からは『禿げ山』と呼ばれるその一帯は現在地元警察官によって完全封鎖されて近づくことが出来なくなっている。
イノシシ出没注意と題した立て看板を置き、猟友会による害獣駆除活動の為とされているが、その広場には野戦テントが張られ、ここもよく見れば偽装網に覆われたヘリコプターらしきものまで駐機しているのだ。
さながら自衛隊特殊部隊の前哨基地と化している一帯。ここまでの警備は明らかに我らの動きに対するものであるのは間違いなく、高森家の一家の日常の行動範囲は完全に自衛隊と警察によってガードされている。
中嶋義人はしばしその場で考察する。
近隣住民に成りすましての接近にも監視カメラにドローン、そして厳重なチェックにより高森家の敷地に入ることさえ叶わぬだろう。一家の誰かを拉致ししてYとの交渉を図ろうとしても、おそらくはYだけを安全圏に移動させて他は見捨てるという行動に出る確率が高い。
Yの登下校を狙っての拉致もバスという閉鎖空間内での行為となり、その成功確率は極めて低い。
やはり高森家から唯一距離が離れ、多くの一般生徒や教師達の目がある為に広大な敷地内にも関わらず学校関係者以外を大量に配置できない尾道中央高校が最も警備が手薄な場所だろう。
しかし不良達を使った襲撃による攪乱では校内の警備体制ははっきりとは分からなかった。ただ、明らかにおかしな人物が教師として潜り込んでいる事だけは確かだった。
新任の生物教師、高森雪緒。標的であるコードYこと高森由季子と同性の人物。
高森一族に連なる者であるのは間違いないであろう。
非通知表示で中嶋義人のスマホが鳴る。彼が携帯に出ると定期連絡の遅延を気にする声が聞こえてくる。
「学校でのトラブルで帰宅が少し遅れただけですよ。カラスが飛んでも鳥の巣の親鳥達は動きませんでした。ただちょっと気になる鳥が一羽見つかりましてね」
中嶋義人は今日撮り終えたばかりの高森雪緒の写真データを通話相手に送信する。しばらくして「お伽噺の『雪女』はご存じですか?」との返答メールが着信する。なるほど、今回の相手は『雪女』の一族という事か。
通話が終わると中嶋義人は母親に話しかける。しかしそれは人間の言葉では無く、カチカチカチとまるで昆虫同士が音を鳴らして交信しているかの様なものであった。
中嶋義人は彼女に伝える。『雪女』という存在は非常に厄介な存在である事を。
『雪女』を通常兵器で殺すのは極めて困難とされており、その理由は水分のある場所で凄まじい肉体再生能力を発揮するからであった。雪や雨の中で殺すのはほぼ不可能であるにも関わらず、奴は自身の力で天候を操作して周囲一帯に大雪を降らせることも出来るのだ。
そしてそんな自然の力を纏う時の奴の力は凄まじい。雨や雪の中でそれと相対そうものならば、周囲全ての生き物は一瞬で凍り付き崩れ去ってしまうからである。
つまり尾道中央高校という最も警備の手薄な場所に、最も強力な駒が配されているという訳だ。
階下で玄関のインターホンが鳴る。
新聞代金の集金人が訪れて来たようだった。母親はその対応の為に一階へと下りていく。
中嶋義人は部屋のベッドに横たわり、再び考察を始めた。
この任務に派遣されたのは自分を含めた三人の仲間。人間の数えを使うなら個体数三の同族、又は三匹の同族という事になるのか。しかし実際には何匹の仲間が人間に姿を変えて入り込んでいるのかは知らされていないし、互いを見つけ出す事も困難だろう。
そして我々が受けた命は『先遣部隊として尾道に侵入し、情報収集と実行部隊の支援を行う事』であり、『可能であれば実力行使も認める』という内容である。
その目的はコードYこと高森由季子の拉致。とはいっても拉致は一時的なもので本当に欲しいのはその血液サンプル。人間との同化に成功して種を繋ぐ『人外』のサンプルだ。
完全体となった『雪女』に人間の肉体的な部分は何一つ残らないが、人間から『人外』への変異過程にあるものを研究すれば、人工的に人から『雪女』を生み出せる可能性がある。
そして我々の前に過去幾度となく立ちはだかる存在であった敵、『雪女』打倒の手掛かりがそこにあるかもしれないからだ。
しかしながら、それは我らの主達の考えであり一族の本当の望みではない。
我々の一族とて元は日本の怪異、『妖怪』や『もののけ』と呼ばれ人間達の狩人である陰陽師や退魔師、侍といった類いの者との戦いを繰り返してきた歴史がある。
だが近代に入り日本の『人外』は憎き人間如きと手を組み協調路線へと舵を切ったではないか。我らはそれに反発して国外へと逃れ、そして海外で暗躍する『太古からの敵』と日本の『人外』達が古より呼び続けた者達と接触してその傘下へと加わったという経緯がある。
この任務の成功によって日本人と日本の『人外』とを分断し、互いが再び相争う存在となる一つの布石とする事こそが、これに手を貸す我々の本当の理由。
「さて、実行部隊がどれ程の連中かだが…。ふふ、私が人間如きに期待するのも何かおかしな話だな」
そう中嶋義人は笑って見せる。
コードY奪取の実行部隊となるのは国内に潜伏する小規模な秘密結社的な存在。
退役自衛官達を集め人間の敵である『人外』の脅威からこの日本国を守ろうと志す国士達の集団とされている。
そんな連中がなぜまんまと我らに騙され、いいように使われているのか。それはこの国の国政を司る政治家達が我々の側についているからに他ならない。
現役の『外務大臣』と『防衛大臣』の二人からの直々の極秘任務ともなれば、疑う余地も無かったのであろう。アメリカから戦争中のウクライナ支援の為に輸送される軍需物資を在日米軍経由で横流しさせての武器弾薬の供与も彼等をそう信じさせるに足る要因となったのは間違いない。
この日本国の政治腐敗は近年に入って急速に加速してきている。
かつては我々『人外』を追い詰め苦しめてきた古の日本人達。その精神とも言うべき日本人魂は何処へと消えてしまったのか。
これも簡単な話である。政界、マスコミといった公権力は既に日本人排斥思想を持つ在日外国人達によっていいように食い荒らされ、その浸透は現在司法や警察権力にまで及びつつあるからである。
国の政治権力の腐敗は地方政治の腐敗と官僚の腐敗を助長する。
欲深き彼等は僅かばかりの金銭に目の色を変えて群がり、多大なる国益を海外に売り渡して私服を肥やし、そしてその罪も裁かれることもない。最早やりたい放題といった感さえある。
それにも関わらず彼等を選挙によって選ぶ立場にある日本国民の大部分が政治に無関心であり、利権で固められた組織票により劇的な政権交代が起る気配すらない。
下等な寄生虫でさえ自身が肥え太る為に宿主を大事に生かし育てるというのに、今の日本政治を見ていれば両者共倒れの全滅政策を推進しているようにしか見えないのだから。
重税と格差社会による何十年もの少子化の助長と移民推進による日本人と外国人との人種入れ替えという国家レベルでの日本人排斥政策。家族制度の破壊による強固な日本人達の絆と団結力を奪う方策はまさに日本人達をこの世から抹殺するためのものであり、日本人が努力の末に作り上げた日本国という社会の恩恵に乗り甘い汁を吸い続けてきた者達も、結局は日本人消滅と共についには滅びる事になるだろう。
だがそれでいい。
我ら『人外』がその滅びた日本国を牛耳り、新たな支配者として愚かな人間達を使役する時代が来るのだから。そしてその日はすぐそこにまで来ている。
階下で集金人の対応を終えた母親が二階へと戻って来る。
中嶋義人はついおかしくなってケラケラと甲高い鳴き声の様な音を発して笑った。すぐ側に立つ母親も彼に同調して同じ鳴き声を上げてケラケラと笑い声をあげた。