転校生
校舎の廊下を歩く足音は二つ。
私は今、担任の奥田先生に少し遅れて歩いています。
春の新学期から一週間遅れての転校生ってやつなのです。
広島県立尾道中央高等学校、ここが私が新しく通う事になる高校です。県内ではそれなりの進学校と言われている学校で、それを象徴するかの様に膨れ上がった私の鞄。
この学校では授業道具を学校へ置いて帰ることが出来ません。その為に毎日教科書だけで無く辞書や資料集を持って登下校せねばならないのです。必然的に学生鞄の他にもう一つ袋が必要になり、その重量から生徒達の間では自分の学生鞄や袋を『米俵』なんて別称で呼んでいるみたい。納得です。
四階建ての校舎二棟が並ぶこの学校の第一校舎二階の職員室から出て渡り廊下を越えると一年生と二年生の教室のある第二校舎です。
朝の教室内での朝礼前、廊下に生徒達の姿は無いけれど室内のざわめきは耳に響いてきます。先生が二年二組の教室の扉を開けると椅子を少し引きずる音、皆綺麗に席に着いていてわんぱく者は一人もいません。おとなしい学校の様ですね。
「はい静かに。今日は朝礼の前に皆さんに転校生を一人紹介します」
では自己紹介をって奥田先生に言われます。この瞬間だけはいつも緊張してしまいます。
「高森由季子です。よろしくお願いします」
教室の教壇に立って平凡な挨拶をしました。当たり前だけれど知らない顔、知らない顔だらけです。ん、あれ? 一人だけ知っている男子がいますね。
奥田先生は特に説明もなく私をすぐに解放してくださいました。
新学期からずっと空いたままだった窓際の後ろから二番目の席、そこまでの僅か数メートルを歩く間、クラス皆の視線が私に集まります。でも私が注目を浴びるのはほんの数時間ほど、明日にはもうクラスの風景の一つになっているはずです。
私には分かるんです。小中高校と合わせて転校はこれで四回目になりますから。
そして一限目の授業が始まると皆授業に集中して私を気にかける人なんてもういません。そんな感じで午前中の四限目の授業も淡々と進み、合間の五分休憩の時にも特に誰かに話しかけられことも無く終わりました。
でもお昼休みになるとクラスの皆が今までとは別人の様に活き活きとした目で慌ただしく動き出します。学校案内の冊子情報によるとこの学校のお昼ご飯はお弁当持参が基本ですが、そうでない人は槇ヶ峰会館なる建物の一階にある学生食堂でパンか食事を購入する様です。
ちなみに私はお母さんの作るお弁当派です。
「高森さん、お昼お弁当なら一緒に食べようか」
私の前の席の女子三人が机を合わせながら話しかけてくれます。私も立ち上がって自分の机をそこに合体させました。
鼻筋の通った短髪の元宗美春さん、ちっちゃくて長髪の大福和美さん、ぽっちゃりで丸眼鏡の相見弘子さん。まだこの三人の事は何も知りませんが、この人達が私の友達になってくれそうです。
「高森さんはクラブとかもう決めてるの?」
「私は体が弱いので運動系はちょっと」
「色白で線も細いし、そんな感じかなって思ってたんだよね。それに二年生から体育系のクラブに入っても先輩後輩でやりにくいし」
「それって薬だよね。体弱いっていうのは本当なんだ」
大福さんがお弁当箱の横に置いた薬の錠剤に気付いた様です。でも実は病気って訳じゃ無いんです。これは特別な薬なんですよね。
「じゃあクラブは文化系だね。三年生はもう部室に殆ど顔を出さないし居心地はいいんじゃないかな」
「そう言う皆さんはどんなクラブに入られているんですか?」
「私達三人とも物理研究部だよ。略して『物研』ね」
「何か賢そう。凄いですね」
「いやいや、部室で馬鹿騒ぎして適当にやっているだけかな。一年生の時には今の三年生が音頭を取って活発に活動していたから自主映画制作とかやったけれど、今の私達にそんなバイタリティは無いわ。だから他の男子部員も殆どが幽霊部員になってるしね。物理どこに出てくんだよって感じかな」
三人はTV番組や動画ではバラエィとかが好きみたいでその話題で盛り上がっています。芸人さんの最近流行のネタはうちの妹が感化されて私に披露するのを見るぐらいで、私自身は実は知識が無いんです。
私が夢中になるTV番組や動画サイトといえば動物関係のものと超常現象スペシャルみたいなやつです。そう話すと元宗さんが結構食いついてくれました。元宗さんはオカルトとか心霊ものとかをよく見ているそうです。
「テレビはもう朝の登校前の時計代わりにしか使ってないし、一時間も二時間も使って一つのニュースを延々と聞かされるより、複数の情報を短時間で手に入れるネットの方が便利だよね」
大福さんの言葉に元宗さんと相見さんが頷きます。あまり気にしてこなかったけれど、確かにうちの家もそんな感じになっていますね。
「ネットには嘘が溢れているなんてテレビや新聞は必死になって言っているけれど、あれも嘘だよね。元々ネットもテレビも新聞も同列の存在、嘘と真実の情報の氾濫する海からどの情報を釣り上げてきてどう料理して人々に食べさせているかって違いだけなんだよ」
「相見さんってそんな事考えてたんだ。凄いですね」
「いや、これうちの兄貴の受け売り。私政治とか一切興味ないし。あはははは」
「あはははは」
「じゃあとりあえずスマホ出して、連絡先交換しとこうか」
私が慌ててスマホを鞄から取り出すと、元宗さんが人差し指を立てながら私に三人のルールについて説明してくれます。
「うちのグループは既読スルーも未読スルーもオッケーだから。すぐに返信しないと『ノリが悪い』とか『つきあいが悪い』なんていうのは無しね。それぞれ自分のペースを優先して会話するのがモットーだからそのつもりで高森さんもメールは送ってね」
「結構ゆるくていいですね。私向きかも」
その後は彼女達三人が使っているアプリとかサブスクとかを教えて貰って、それを幾つか登録させてもらいました。うん、転校初日から結構充実したお昼休みを過ごせました。
ただ、当校では校内での携帯電話の不要不急の使用は原則禁止、あまり教室で長々とスマホをいじってたりするのが先生に見つかると一時的に没収される可能性があるので注意だそうです。
お昼ご飯と休憩の一時間が終わると五限目の授業の前に当校では掃除時間になり、教室と廊下の掃除を行います。私、ホウキがけは結構得意なんですよ。
私の家は田舎だったので、コンセントの届かない場所は掃除機よりはホウキが大活躍だからです。
教室の後ろの端っこ、掃除道具入れにダッシュです。ありました。最後の一本のホウキを手に取ろうとしたらそれが強い力で持っていかれます。学生服の男子、あの男の子です。
「この間はどうもありがとう」
彼は小声で「おうっ」ってそっけない態度。せっかくお礼を言ったのに、なんかムッとする。
五限目の授業を終わりを告げるベルが鳴り、今日の学校は終わりです。部活に向かう人、塾通いで帰宅する生徒と様々です。教室の外からは運動部系の人達の練習の声や演劇部の発声練習。器楽部の演奏の音なども聞こえてきます。
私の登校初日はこんな感じで無事に終わりました。
四月の初め、まだ桜の花が咲き乱れる校門を出て隣接する長江第二中学校横の細道を通って長江中学校前バス停から十五分程度バスに揺られて松岡団地口バス停で下車、通り向かいの小さなお店、サンダー書店で少しばかりノベルを物色してから帰宅の途につきます。
国道百八十四号線から逸れた田んぼに囲まれたコンクリートの農道を歩き、長い坂道を登ると石垣の上に大きな土だけの庭のある古民家造りの母屋、そこが私の新しいお家です。
「お母さん、ただいま」
「学校どうだった?」
「普通だった」
空のお弁当箱を台所にいるお母さんに預けて自室へと向かいます。
古民家の母屋の横に建つ現代風の建物、その二階が私のお部屋です。一階は両親と妹の寝室で家族は普段は母屋の方にいるのです。私は鏡を見ながら急いで着替えて気合いを入れます。
「ちょっと出てくるね」
「夕ご飯までには帰りなさいよ」
今日は火曜日、家の前の坂道を急いで駆け下ります。田んぼの中を走るコンクリートの農道の手前で右折して集落の中の道をしばらく進むと大池と呼ばれる農業用水用の大きな溜め池が現われます。私が目指しているのは大池側にある歩道橋の天辺です。
そこに今日もいました。あの男の子です。
尾道に来て最初のお友達の人、友達っていっても私が勝手にそう決めているだけで彼の方は学校でもそっけない態度でした。でもあの場所なら学校にいる時よりもちゃんと話をしてくれるのです。
急いで走って来たと思われると恥ずかしいので少し離れた場所から呼吸を整えながら歩きます。結構わざとらしいけれど偶然に出会った感が出せれば完璧。私なりのこだわりってやつなのです。
「藤村君、君はいつもここにいるね」
「ああ、高森さんか。此処は俺の特等席だからな」
「同じクラスだって知っていたなら先に教えてくれればよかったのに」
「あのさ、一つ忠告しておくよ。高森さんはまだよく分かってないみたいだから言うけれど、学校では俺に親しげに話しかけて来ない方がいいぞ」
「何それ、変なの」
この時私は藤村君の言っている意味が彼の言うとおり全く分かっていなかったのです。
彼の名前は藤村良介君、結構なイケメン男子です。彼と最初に出会ったのは一週間前のこの場所。大池側にある歩道橋の上でした。