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真夏の雪  作者: つむぎ舞
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雪女

 白い雪の平原を進む軍列。

 元気な歌声を上げながら進む彼等が再び生きて戻る事は無かった。

 明治三十五年一月二十三日。神成文吉かんなりぶんきち大尉に率いられた日本陸軍第八師団青森歩兵第五連隊二百十名は青森連隊駐屯地を出発した。その目的は極寒期の八甲田山はっこうださんの踏破。

 大日本帝国陸軍は明治二十七年の日清戦争を経て、迫るロシアとの戦いを想定して極寒地訓練として雪中行軍訓練を計画しその実施を通達した。

 先だって十八日に行われた小峠までの日帰り行軍は快晴に恵まれ無事終了した為、この行軍も何事も無く進むと思われた。

 しかしながらこの連隊の装備は訓練としては奇妙であった。完全武装の軍装はまだしも、実弾の携行に加えて輜重のソリ隊の中に大量の爆薬を積んだ荷ソリが紛れ込んでいるのである。

 中隊長である自分はその事を事前に知らされていない。不審に思った神成大尉は大隊長である山口少佐にこの事を尋ねたが、来る実戦を想定しての訓練であれば当然の事だと一蹴されてしまう。


 途中の田茂木野にて地元の村民より行軍の中止を求められた。

 山のお告げがあり、これ以上進めば祟られるというものであった。

 帝国陸軍がその様な稚拙な理由でこの行軍を止める事は無く、何事も無くその先の小峠まで隊は無事に到着した。しかし、輜重のソリ隊の遅れを待つ間の大休止で急激に周囲の天候が一変する。

 これは地元民も恐れる暴風雪の兆しではないかと行軍中止を求める士官達の進言を代表して、神成大尉は山口少佐に撤退の進言を行うも、彼はその進言を退けるばかりか、この隊の本当の任務をこの時初めて神成大尉に告げたのである。


「それを信じろというのですか山口少佐。たかが一家族を殺害する為だけにこれだけの兵力が訓練の名目で招集されたなど、とても自分には信じられません」

「大本営の決定は絶対である。神成大尉、これはそれだけ重要な任務という事だよ」


 この山中に隠れ住むのは雪女の一族。

 大本営はこの様な人ならざる存在を『人外』と呼びその摘発と討伐をこれまでも極秘に行って来たのだという。正確にはこの日本国の古の政権が彼等を妖怪や魑魅魍魎と称してそれらを討伐し、帝国陸軍はそれを踏襲しているのに過ぎないのだとも聞かされた。

 馬鹿な戯れ言と笑い飛ばせる事態ではない。

 現にこれだけの人員と装備で事に当たろうとしているのだ。半信半疑ではあったが、信じざるを得ない。神成大尉は士官達にこの事を説明することも出来ず、決定は覆らないと皆に伝えただけだった。


 悪天候の中行軍は強引に強行され馬立場を越えて軍は鳴沢へと至る。

 遅れたままのソリ隊の援護に隊の半分を割り当て、残りの本隊はこれより予定の進軍ルートを外れて本来の目的、雪女討伐を達成すべく峡谷へと侵入する。

 視界さえまともに確保出来ぬ猛吹雪の中、峡谷全体に響き渡るのは不気味な女の声。

「帰れ、引き返せ」

「呪われるぞ」

 と姿の見えぬ声だけが何度も何度も我々の耳に届いてくる。

 怯える兵達が村人達の申した祟りの主、雪女の名を口にし始めた。架空の生物、子供の頃に母親が聞かせてくれた昔話で覚えた名だ。

 急に吹雪が止み空が晴れると神成大尉と兵士達の前に現われたのは薄絹の白い着物を身に纏う長い黒髪の若い女性。足は素足で右手には一振りの日本刀が握られている。

 あれが伝説の雪女なのか?

 敵は唯一人みたいだが、しかし実際の戦力は不明。ここは無闇に攻撃を仕掛けるべきではないのではないか? そう神成大尉は判断したのだが、それとは対照的に雪女の情報を持つ山口少佐は明らかに狼狽した様子で部隊に攻撃の命令を下してしまう。整列して銃列を形作る兵士達に自分の命令は届かず一斉に村田銃が発砲された。

 銃弾で蜂の巣になり青い鮮血を飛び散らせて倒れる雪女の姿が再び猛吹雪の中に消えていく。戦果確認に向かう五名の兵士。彼等が皆の目の前で真っ白に凍り付いて固まりぴくりとも動かなくなった。

 神成大尉のすぐ横を雪を纏った突風が通り過ぎると銃列を組んでいた一隊がその風を浴びて瞬時に凍り付いてしまう。

 雪女が歌う楽しげな声。それが近づくとまた一隊が吹雪の中に消えていく。

 歌声の拍子とは裏腹に周囲を渦巻く猛吹雪は雪女の怒りが具現化したかの様に激しく強くなり、そして隊の全員がすぐ側の味方を視認出来ぬ程になる。

「大尉、大尉殿」

 恐慌に陥った兵士達が神成大尉に助けを求める声を発しながら闇雲に銃を発砲している。側にいたはずの大隊長である山口少佐の姿も何処かに消え、指示を仰ぐことも出来なくなってしまっている。

 少佐、と呼びかける自分の声に部下の一人が反応して山口少佐も恐慌状態で一人走り去ったと報告を受けると、神成大尉はすぐに指揮権を引き継ぐとその場で大声で宣言して全隊に退却を命じた。

 しかし互いの位置も確認出来ぬ程の猛吹雪、神成大尉自身も退却の声を叫びながら周囲の数名を率いてその場から離れるだけで精一杯だった。

 青森第五歩兵連隊は統率する指揮官を見失い、集合地の馬立場を個々に目指して多くの隊員達が猛吹雪の中を彷徨い、襲い来る寒さに力尽きる者、追いかけて来る雪女の恐怖に耐えきれず発狂して裸で川へと飛び込む等、常軌を逸した行動で次々にその命の灯火を消していったのである。


 青森連隊駐屯地は極秘作戦を終えて帰還するはずの第五連隊が所定の野営地に到着していない事を知り連絡の取れなくなった第五連隊の捜索隊を急きょ編制。二十六日に出立した捜索隊は翌二十七日に半ば仮死状態で佇む後藤伍長と遭遇、そのすぐ側で神成大尉以下二名の遺体を発見した。

 首まで雪に埋まり凍り付いていた神成大尉は、何者かとの死闘を演じたかのように軍刀を大きく突き出した姿勢のままで絶命しており、その軍服は刻まれた大きな刀傷から流れ出たのであろう自身の血で赤く染まっていた。

 その後の捜索で次々に第五連隊隊員の遺体を発見。隊員の半数以上が実弾を込めた小銃を構えたままの姿勢で絶命しており、その顔は一様に恐怖に歪んでいた。

 青森歩兵第五連隊二百十名は生存者十一名を除いて全滅。満足に口も聞けない状態で生還した山口少佐もその二日後に原因不明の謎の死を遂げた事で第五連隊に何が起こったのかの詳細な報告はなされなかった。

 一月二十九日、第五連隊とは反対のルートを辿って雪中行軍を実施していた弘前三十一連隊三十七名と従軍記者一名が無事青森に到着。彼等は行軍途中で多くの叫び声や銃声らしきものを遠くに聞いたとも語った。しかしながらこの事は追求されず、軍部による厳しい箝口令によってその自己の詳細は明かされぬまま雪中遭難事件として処理され、人々の記憶からも次第に消えていく。


 この事件から二年後に大日本帝国は帝政ロシアと開戦、日露戦争へと突入し、更には日中戦争、太平洋戦争へと身を投じていくのである。


          *          *


 それから数十年の時を経て現代。時代は昭和から平成、そして令和へ。

 奈良県十津川村の山奥の農村。点在する隣家まで数百メートルを要する程の田舎の集落、時代の流れで町へと移り住み廃屋となった家屋ももう少なくはない。

 その中の一軒家。大きな茅葺き屋根の農家の軒先に立つ二人の男達。

 二人とも大きめのバックパックを背負いカメラを片手に人気の無い建物の周囲をしばし歩き何かを探している様にも見える。

「あんたら、道にでも迷ったのかね?」

 自転車に乗った地元の駐在が彼等に声を掛けてきた。


「いえ、私達は雑誌の仕事で古民家の取材をしていまして、この家の住人の方にお話でも聞けたらと思ったのですが、どうやらもう空き家の様です。それよりも警察の方がこんな場所まで」


「ええ、観光客らしき人が二人山へ入ったと通報がありましてね。本官が様子を見に参りました。この先にはもう何もありませんし、近頃じゃ山を切り開いてメガソーラーだとかを作るものだから、住処を追われた熊やイノシシが里の方にまで現われるんですよ。そんなのに出会って怪我でもされたら大変ですしね」


「この家は最近までどなたか住んでおられた様ですけれど」


「その家は確か高森さんだったかな、数日前に引っ越していったよ。何処へ行くって言っていたかな。まあ、でもあんたらには関係ないか。ともかく外から写真を撮るぐらいなら構わないが、空き家といっても私有地だから無闇に立ち入らんで下さいよ。注意はしましたからね」


「すみません。気を付けます」


 突如緑豊かな山の木々を揺らす爆音。二機の軍用ヘリコプターが風を流して上空を駆け抜ける。一機は小降りで黒く卵形のOH6ともう一機は迷彩を施したUH60JAヘリコプター。

 それを見上げる二人の男と駐在の三人。


「こんな所に自衛隊のヘリコプター、一体何事でしょうね」

「くそっ、対応が早いな」


 自身の呑気な物言いに対する二人の男の意外な言葉に視線を戻した駐在の顔が青ざめる。彼に向けられたのはサイレンサー付きのピストル。

 駐在は持てる勇気を振り絞り腰のホルスターに慌てて手を伸ばすが、それはあまりにも無謀な行為だった。一人の男が冷ややかな目で銃の引き金を引く。

 プシュ、プシュっと小さな音が鳴り、地面に倒れる警察官。

 倒れた駐在をそのままに二人の男はバックパックから二丁の短機関銃をそれぞれ取り出すと、上空を旋回するヘリコプターに銃撃を加え始めた。


「目標発砲」

「速やかに制圧せよ」


 卵形の指揮ヘリコプターが囮となって銃撃を引きつけている間に、もう一機のヘリコプターが離れた路上付近まで降下しホバリングを始めると、中から十数人の自衛隊員が地上へと飛び降りていく。

 陸上自衛隊第一空挺団。国内屈指の精鋭部隊である。

 銃を乱射する二人の男も彼等の実力は十分に知っている。本来ならば逃げの一択であるのに彼等は果敢にも応戦を試みた。その判断で失った僅かばかりの時間のロスが命取りとなり、結果として二人は逃走の機を逸してしまったのである。その愚に気付いた時には既に彼等の包囲下に置かれていた。

 状況に恐慌し遮蔽物を離れて銃を乱射する男が十字砲火で倒れた。即死である。もう一人も背後から肩と足を撃たれてその場に倒れる。自衛隊員数名が駆け寄りすぐに彼を武装解除し制圧するも、男は奥歯に仕込んでいた劇薬を噛み砕いてすぐに絶命してしまう。

「俺もお前達と同じ側の人間…」

 そう最後に呟いた様にも聞こえた。


「地上部隊状況を報告せよ」

「味方に損害は無し。地元警察官一名が死亡。目標二名のうち一名を射殺、もう一名を制圧しましたが服毒により死亡」

「全員速やかに撤収。後の処理は地元警察が引き継ぐ。貴官等は当初の行程である演習任務に復帰せよ。協力に感謝する」

「了解」


 指揮ヘリコプターに乗る特殊作戦群所属の島和秀一尉のヘッドホンからは指揮本部が彼に状況報告を求める声、一尉は部隊を回収して離陸するヘリコプターを見下ろしながら無線マイクに向けて語った。


「指揮本部。配置した監視員の報告通りに対象は現われました。対象はコードワイを狙ったと断定してよいでしょう。使用された銃器は米国製クリスベクター短機関銃、その入手経路を鑑みるに在日米軍との関連や政府内内通者の存在も視野に入れるべきであると、そしてYの移動先についても早急な対処が必要であると小官は進言致します」

  

こんな始まり方ですが、内容は学園ものです(笑)

十年以上前に書いて紙袋の中で眠っていた作品の手直しと加筆なので更新は早いと思います。

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