交渉と侯爵
「ブランド立ち上げ資金融資の為の、保証人になってはいただけませんか?」
「それ、本気でおっしゃっているの?」
「…はい。本気です」
応接室には暫しの沈黙が流れた。
「この皮はなんの動物の皮なのかしら」
「魔物です」
「魔物!?…まあ、帽子に刺す羽根などで使用されることはありますけど…」
「普通なら捨ててしまう皮や牙を職人が独自の技術で加工し、一流デザイナーがデザインを起こした逸品です。いつものご旅行の際は、どのようなカバンを使われていますか?」
「そうですわね…重くて頑丈な箱かしら。使用人が準備してくれるから、あんまり関心がないのだけれど」
「そうなんですね」
「だから、私はあなたのこの旅行用カバンに価値を見出せないわ」
「…あ!一度これを持ってみてはいただけませんか?魔物の皮の軽さがおわかりになると…」
「ララーお姉様、どうしてこんな方をお招きになったのですか?
私がもう、この家のために使えない女だからですか?
変わったことをする庶民の方が、私よりも大切なんですの??
私だってわかっておりますわ…
私がこの家のためにできることはもうない、という事を!!!!」
ルルー様は春の嵐のように部屋から飛び出していった。
彼女の頬から流れ落ちた水滴が、真っ白なカーペットに沈んだ。
私の思いはルルー様に届かなかったようだ…。
「まあ、はじめはこんなものよね」
「大丈夫でしょうか…第一印象最悪って感じですけど…」
リリー様が男性が描かれている絵を見つめながら「あの子は、そうね…色々あったから」と呟いた。
「ただいま戻りました」
ちょうどいいタイミングで誰かが帰ってきたようだった。紅茶が冷めてしまっていた私達は玄関ホールへと向かった。
「あら貴方、おかえりなさい」
「やあリリー。ただいま」
初老の執事に帽子やコートを預けている長身の男性が、この侯爵家の家長のようだ。リリー様の元に駆け寄り少し背をかがめ、頬に軽くキスをした。クルクルのストロベリーブロンドの髪、しっかりとした顎、柔らかい目元のおかげで優しそうな見た目だ。
「これは、公妃殿下。お帰りになっていたのですね」
ララー公妃殿下に対し、侯爵はしっかりと頷かれた。
「フィリップ、お久しぶりですわね。なんだか家長としての風格が出てきているようですわ!」
「いえいえ、先代には程遠いですよ…その、そちらの方は…?」
「こちら私の友人で、勇者として召喚されたハルカ・コウキ様ですわ」
「そうでしたか。初めまして、フィリップ・ド・リュミエールと申します」
「初めまして、ハルカ・コウキと申します」
私は膝を痛めながらカーテシーを再び行った。
「ところで姉上、本日はどういったご用件で?」
「ちょっとルルーにね。ハルカ様とあるお話を持ってきたのだけれど…部屋に閉じこもってしまいましたわ…」
「そうでしたか…。姉上、ハルカ様、せっかく王都からお越しいただいたことですし、今夜の晩餐をご一緒いただけませんか?」
「それはいいわね!積もる話もありますからね!」
「いいんですか?私まで参加しちゃって…」
「ええ、もちろんです!メリー、ハルカ様を客室にご案内差し上げて」
「承知しました、旦那様」
私は豪華な客室に案内された。ブラウンと白を基調とした、温かみを感じる空間だった。
「本日の晩餐会は午後8時でございます。何かございましたら、そちらのベルでお呼びください」
「あ、ありがとうございます!でも私から直接お願いしに行きますよ!」
「いえ、お客様にはごゆっくりお過ごしいただきたいのです。それは、ララー様や旦那様の願いでもあると思います」
「そうですよね…わかりました!その時はよろしくお願いします!」
「失礼致します」
メリーさんは静かにブラウンの扉を閉めた。
緊張の糸がほぐれた私は天蓋のついた素晴らしくフカフカなベッドに沈み込むように横になった。
保証人になってくださいなんて…初対面のお貴族様に失礼だったよね…
ルルー様ご自身も、何かご家族のことで悩まれているようだったし…
もっと…なにか…
打開策を……
探さ…ない…………
コンコン
「ハルカ様、ララーですわ。ご準備はよろしいですか?」
その声で私はハッと目を覚ました。
緊張や疲れで眠ってしまっていた。
外はもう真っ暗で、今何時なのかもわからない…。
「ハルカ様?失礼いたしますわね」
扉を開けたララー様はオレンジ色の小ぶりの美しいジュエリーのついたピアスとネックレスと、レモン色のドレスを着用されていた。美しい笑顔の上に、いつもより少しだけお化粧が追加されていて、とても眩しかった。
「ハルカ様…着替えられていらっしゃらないのですの…?」
その美しい笑顔がだんだんと曇ってきた…。
「着替え…?」
どうやら私はかなりのやらかしをしているようだった。