王立魔法研究所 再び
「リリウス所長、お久しぶりです!」
吸引薬と消臭剤を完成させた我々は魔研の門を叩いた。
「……ああ、ハルカさんですか…今日はどういったご用でしょうか…」
あのかわいいショタジジイ所長は見る影もなく、正気のない瞳と目の下の酷いクマ、ボサボサの髪とちょっと臭う白衣がこの数週間の激闘を物語っている。所長室も最初にこの部屋を訪れた時から酷い荒れようだったが、もうどこに何があるのか本人しかわからないようになっている。
「今日はムスクスフィアの話で…」
私はニャアから話してもらおうと思い、隣を見たが誰もいなかった。扉の隙間から顔の半分だけを覗かせたニャアがボロボロな所長を観察していた。
「ニャアさんですか。お久しぶりですね」
「………」
彼女はずっと無言で見つめている。そこだけ時間が止まっているマジックボックスのようだった。
「今は疲れ切っているのであなたと戯れるだけの体力や魔力なんて残っていませんよ…こちらにおいでなさいな」
「………」
ニャアは猫のような忍足でゆっくりと近づき、私の斜め後ろに吸盤のようにピッタリとくっついた。そしてしばらくの間リリウス所長をジッと無言で見つめていた。所長も彼女の何を考えているのかわからない瞳を凝視していた。2人の間に漂う空気はムスクスフィアより健康に悪いような気がしてきた。私はこの空間の中で、所長とニャアを交互に見る眼球運動に集中することしかできなかった。
「その…ニャアがムスクスフィアの特効薬と消臭剤を開発してくれたんです。それを臨床実験していただきたくて…」
私はマジックボックスから吸引薬と消臭剤を取り出した。所長は、ずれていたメガネをクイッと直しその2つの瓶をまじまじと観察した。
「…なるほど、こちらの深緑色の物体を加熱してその蒸気を吸い込むということですね」
「…!そうです!」
すごい!こちらからは何も情報を提示していないにも関わらず、使用方法を言い当てた…!さすがは魔研のトップになるだけの人だ。
「それでこちらの液体を匂いの度合によって使用量を調節すると、ムスクスフィアの香りを帳消しにすると」
「…!そうです!その通りです!」
「ふーむ…」
リリウス所長はムスクスフィアの香りに汚染された布で消臭剤を試してみたところ、私がやったように完全な無臭となった。
「これは…素晴らしいですね!」
所長の言葉にニャアの耳がピクっと反応した。そしてしっぽを左右にゆらゆらと揺らし始めた。
「ニャアさん、ワシはずっとあなたに謝らなければいけないと思っていました。
魔研の研究員たるもの魔法が使えて当たり前、研究員たるもの古代魔法などの歴史的な研究が第一、などという昔ながら…伝統的な考えに固執していました」
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「所長!!ニャアはもっと魔法が使えない人にも便利なアイテムとかを開発したいニャ!」
「魔法は神聖なものです。一部の人間が正しく使うことが大切で、守らなければいけないことなんです。なのでダメです!」
「所長!!ニャアはもっと新しい魔法の研究をしたいニャ!だから、材料を渡すニャ!」
「あなたは基礎魔法すらろくに使えないし、しかも、前に材料を消し炭にしたのでダメです!今ある材料でなんとかしなさい!!」
「所長!!!」
「ダメです!!!!」
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「ワシも140年ほど生きておるし、魔研には長いこといます。あなたが入職していたのは1年という短すぎる間でしたが、確実にこの保守的な魔研に新しい風を起こしました。
ありがとうございました。」
ニャアはその言葉を聞くと、口には出さなかったがしっぽの動きが全てを物語っていた。
「さて、臨床実験の話に移りましょうか…
ムスクスフィアの香りは全生物が感じ取っている共通のものですが、体調不良など悪影響を受けるのは人間種のみなのはご存知ですよね」
「ニャ」
「……やっぱりそうですよね…」
なんとなくわかっていたが、実際に断言されると心臓がキュッとなった。
きなこも匂いが取れないと騒いでいたが、それによって体調が悪くなることはなかった。群生地に行った時も動物や魔物は1匹もいなかった。みんな匂い以外の“何か”に反応して逃げたのだろう。
となると…
「人体実験になりますね」