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ジャガイモ畑でつかまえて

作者: 藤村ひろと

見渡す限りのジャガイモ畑。

その真ん中を延々と走る一本道がある。道は地平線の中から現れて、地平線の彼方へ消えてゆく。点在する街街を真っ直ぐに繋いでいるため、ただ走っているだけで、周りの景色が街になったり、畑になったり、また街になったりする。


走り始めてしばらくは、この景色の移り変わりを楽しむことが出来た。が、それも一時間がいいところだ。とにかくマシンを操る必要のないこのイカれた長さの直線に、高村はじめはだんだん辟易し始めていた。


あまりに退屈なので、峠道を走るべく山越えのルートを取ろうとした。だが、ちょっとした勘違いで、山を抜けるトンネルルートの方を選択してしまう。これが致命傷となって、はじめは今までよりさらに変化のない、長い長いトンネルを走る羽目になった。


観光シーズンにはまだ少し早いためか、まわりを走る車や単車は一台も見当たらない。トンネルの中には、はじめの単車の排気音だけが虚しく響いていた。


意識は当然のように、彼自身の内側へ向かう。


ひと月ほど前、仕事で失敗して上司の信用を失った。帰ってきて同棲中の彼女に八つ当たりをし、喧嘩の末に彼女は出て行った。自棄になって遊び狂ったカードの支払いは、すでに返せる限度ギリギリだ。呑みすぎで内臓の調子が悪く、病院で一週間程度の入院を宣告された。


一つ一つは、まあ、よくある事と言ってもいいだろう。


楽しいことではないが、別に致命的なトラブルでもない。仕事はがんばって取り戻せばいいのだし、彼女を追うにしろ新しい恋を見つけるにしろ、自分の好きにすればいいことだ。借金だって苦しいが返せない額ではないし、身体だって短期間の入院で大丈夫だと言われている。


しかし自業自得とは言え、こう立て続けに起こると、気持ちが萎えてくるのも無理ないことではある。そこではじめは思い切って休暇を取り、単車にシュラフとテントをつんで、長めのツーリングに出た。


旅に出たからといって事態が好転するわけではないが、気分転換でもせずには、日常の小さな問題を一つ一つ片付けてゆく気力が沸いてこない。そう思っての一人旅だ。


しかし実際にここまで来てみれば、爽快な気分ですべてを忘れてとは行かなかった。


日常を離れて楽しむと言うのは、これでなかなか難しいことなのである。もちろんそれなりに楽しんだのだが、それでも心の隅になにかしら小さな引っ掛かりがあって、とても心行くまで満喫と言うわけにはいかなかった。


ああ、もう終わりか。明日からまた、憂鬱な日々が始まる。


そんな思いを抱えたまま、迎えたツーリング最終日。行こうとしていた湖への道が封鎖されていると聞いて、急遽ルート変更をしたはじめは、国内最長の道路を走ることにした。


昼間とは言え、まだ春先の肌寒い時期である。停まって遊んでいるうちはともかく、走り出して長い時間冷たい風にさらされれば、急速に体温は奪われてゆく。縮こまった身体に、トンネルの中の澱んだ空気の暖かさは、まさに天国だった。


退屈だが、暖かいのは助かる。


そう思っていたところに、突然、後ろから大きな排気音が聞こえてきた。はじめは慌ててバックミラーを覗き込む。CBR1100XXスーパーブラックバード。170psに迫る大出力とカウルによって、最高速度300km/hを叩きだすモンスターバイクが、はじめのすぐ後ろまで迫りつつあった。


はじめの単車はVTX1800C。


排気量こそ1800ccの巨大さを誇るが、アメリカンタイプのパワークルーザーである。


切ってあるメーターも240km/hそこそこだし、実際には200km/h以上出すのは 、なかなか根性が要るだろう。とてもじゃないが、こんな高速道路のような道で、ブラックバードに対抗できる単車ではない。後部には荷物も満載している。


はじめは左側によりながら、右手を軽く上げて合図した。ブラックバードが風切り音をあげて抜いてゆく。ツーリングしていればよくあることである。別にどうと言う事もない、日常の光景だといってもいいだろう。 実際はじめも別段ヤリ合うつもりもなく、黙って道を譲った。


そこまでは本当によくあることだったのだ。


しかし、後ろ姿を見送りながら、はじめは、なんだか急に悔しくなってきている自分に気付いた。


「追いつけるわけがない。もちろんそうだ。でも、それでいいのか?  いいんだとも。もう、そんな走りをしないと思ったからこそ、長旅向きのアメリカンバイクを買ったんじゃないか。本当にそうなのか? だったらなんで、アメリカンの中でもいちばんパワーのある単車を選んだ?  非力でも、もっと長旅に適した単車はあったんじゃ……」


くだらない欺瞞はそこまでだった。


世界最速を争うカテゴリの単車だ?  だからどうした?


理由をつけて、言い訳を用意して、戦いを放棄したと言う事実を「大人の対処」と誤魔化し、冷笑して座っている。生きてゆくうちに、いつのまにか身についた処世術。それが悪いと言うわけじゃない。


ただ、今だけは。


理由、言い訳、誤魔化し。どれも欲しくない。


追いつけると思っているわけではなかった。ただ、追わないと言うことに耐えられなかったのだ。追わないでいるうちに、追えなくなってしまうことが嫌だったのだ。


はじめはアクセルをあけた。


170、180、190、200……スピードが上がっていくに連れ、空気が質量を持ち始める。


ヘルメットは浮き上がり、もはや風とは呼べない空気の塊がはじめを襲う。もともとツーリング用に高さのあるハンドルは、単車の上に伏せると車体の押さえが効かせづらくなる。そこへ持ってきて、激しい 風圧がはじめの身体を引っぺがそうとする。


やたらとだだっ広く感じられていたトンネルは、急速に狭いチューブと化した。周りの壁がぐんぐん迫ってきて、圧迫感に息が詰まりそうになる。それでもはじめはアクセルを開けた。やがて、前方に小さな点が見えてくる。


いた!


ブラックバードはほかに走るもののないトンネルを、のんびりとクルージングしていた。もちろんこの手の単車のことであるから、のんびりといっても優に180km/hは超えているのだが。


先ほど抜いたはずの荷物満載のアメリカンが追いついてきたことに気付いて、ブラックバードのライダーはアクセルを開けた。縮まっていたはずの差が、見る間に開いてゆく。あたりまえだ。


それでもはじめはアクセルを緩めない。


高いハンドルを顔の横で押さえ込み、出来そこないの案山子のような格好で加速を続ける。メーターは200を越えて頭打ちに近づいていた。思いのほかしっかりした足回りに、はじめは少し驚きを覚える。もっとも、ブラックバードとやりあうには、パフォーマンス不足なのは否めない。


遠ざかるブラックバードの後ろを睨みつけながら、感覚的には直径2メーターを切った細いトンネルの中を、はじめと単車が駆け抜ける。トンネルの出口につく頃には、ブラックバードは影も形も見えなくなっていた。はじめは単車と共に、時速200キロでトンネルから吐き出される。


びょうっ!


トンネルの出口で待っていた突風に、 はじめの体重とあわせて400kgの車体があおられた。一瞬で左車線からいちばん右の車線まで吹っ飛ばされる。バランスを崩したはじめは、何とか車体を立て直そうともがいた。そこに対向車がやってくる。高速輸送用の大型トラックだ。


パァーン!パァーン!


エアホーンが空気を切り裂き、トラックの運転手の顔が驚愕に歪む。 トラックに激突する寸前、何とか車線に戻ったはじめの単車は、今度はその反動で反対側に吹っ飛んでゆく。もう、コントロールできる挙動ではない。


道路から飛び出した単車は、斜めの鋭い軌道を描いて宙を舞うと、ジャガイモ畑に突っ込んだ。そのすべてがスローモーションに感じられ、はじめは以外に冷静なまま宙を舞う。単車より少し先に投げ出され、ごろごろと畑の中を転がった。


あたりは、しんと静まりかえった。


 


ちゅん、ちゅん、


やがて名前もわからない鳥が鳴きはじめる。


太陽はさんさんと照り、雲は風に乗って流れてゆく。


空が青いなぁ……


最初に感じたのはそれだった。それから自分が生きていることに気付いて、はじめはゆっくりと置きあがった。トラックもブラックバードも姿は見えない。見渡す限りのジャガイモ畑を、飄々と風が渡ってゆく。


はじめはもう一度寝転がると、ゆっくりと伸びをした。


さっきまで凶悪な力ではじめに叩きつけていた風が、いまは優しく頬をなでてゆく。


目を閉じると、太陽がまぶたの裏に反転して像を結ぶ。むしゃくしゃしたもの、モヤモヤしたものが、心の中から完全に消え去っていた。死の恐怖に一度動きを止め、そのあと思い出したようにどくどくと脈打っていた心臓が、ようやく落ち着いてくる。


死ななくてよかった。


日常の細かいトラブル。イライラしていた自分。そんなものすべてが、遥か彼方に消え去ってゆく。


太陽と空と雲とジャガイモ畑に抱かれて、はじめは急に笑い出した。底抜けに明るく、心の底から笑う。そこでようやく、身体のあちこちが痛みを訴え出した。


はじめは起き上がると、荷物の中からメモとボールペンを取り出して、なにやら書き始めた。それが済むと単車を起こして、重大なトラブルがないことを確認する。エンジンをかけてゆっくりと跨ぎ、クラッチを切って一速に入れると、じわりとクラッチ繋ぐ。


帰れば今までと変わらない毎日が、長いトンネルのように、退屈さを従えて待っているだろう。


それでもいい。


自分の、相手の、境遇や状況は、くさっても羨ましがっても、何も変わらない。だから、一つ一つ、自分の気にらないところを変えてゆこう。自分自身の怠慢や弱点。相手との位置や距離。環境。それらすべてを、ひとつひとつ。


めんどくさいし、大変なことは判ってる。それでも俺はできる。


俺はまだアクセルを開けられるんだ。 追いつけなくても構わない。追う事をやめて言い訳や冷笑をしているよりは、ずっと自分を好きでいられる。胸を張って生きてゆける。面倒なこと、嫌なことがたくさん待っている日常に向かって、はじめは晴れ晴れとした気持ちで走り出した。


『畑を荒らしてごめんなさい』


と書かれたメモとお金を入れた封筒が、積まれたジャガイモに挟み込まれて、風に揺れていた。


 

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