ブレンダ・カレンデュラの流儀
いきなりですが、ルークは正真正銘の人間です。
ルークの腕が動いて、傍に引かれたカーテンへと伸びる。
ザッという音を立ててカーテンが引かれた。
奥に繋がる部屋には男性が二人に、女性が三人。怒り、嘲笑、哀れみ。それぞれが、それぞれの抱く思いを映したような色合いの異なる表情を浮かべていた。
そんな、この場に二人きりではなかったの?
想定外の出来事にアネマリーナは固まって動けなかった。そしてよく見知った顔を視界に捉えて一気に青ざめる。
「おまえは、何てことを……」
サンティア・パセルダ公国公世子、セシリオは血の気の失せた顔で体を震わせる。状況はよくわからないけれど、まずいことになったようだということだけはアネマリーナにも理解できた。
「お兄様……どうして、ここに」
「どうしても、こうしてもない! 今日は顔合わせじゃないか! 私はこの場に立ち会うために来たのだ!」
「か、顔合わせですって? 誰の、何のですか?」
「誰のって、おまえ……」
セシリオは天を仰いだ。するともう一人の男性が呆れたような視線をアネマリーナへと向ける。
「私とあなたのだ。アネマリーナ公女」
「あ、あのあなたは、どなた?」
すると男性は一瞬黙り込んで、次の瞬間、口元を歪めて大きく笑った。そして絶望的な表情を浮かべるセシリオに皮肉げな表情を向ける。
「公国ではそれなりに知名度があると思ってきたが、どうやら思い込みだったらしい」
「いえ、そんなことは決して!」
「それなら公国の淑女教育は独特なのだな、少なくとも我が国のものとは相容れないとみた」
「まさかこのようなことになるとは、誠に申し訳……」
優秀な兄がアネマリーナのせいで追い詰められている。そのことが耐え難く、アネマリーナは可憐とされる仮面をかなぐり捨てて声を荒げた。
「私はお茶会だと思ったのです! だって招待状にはそう書いてありました!」
「それは、そのほうが公女殿下が自然体で振る舞う姿を見られると思われたからです。それがまさか自然体で男性を口説くなんて……全く、想像もつきませんでしたわ」
涼やかな声がして、声のしたほうへと顔を向ける。そしてアネマリーナの感情の針が一気に怒りへと振り切った。
「ブレンダ・カレンデュラ! おまえの差し金ね!」
「何の話でしょう? 私はベルジェット商会を通じて、お茶会の招待状を差し上げただけですが?」
「ではこの部屋のどこでお茶会を開こうというの!」
「それは、こちらに」
ブレンダが見やすいようにと体をずらした。するとカーテンの先にある部屋の様子が視界に広がる。
「……そんな、嘘でしょう?」
先ほどまでのシンプルな部屋の内装とは一転、カーテンの先には華やかな世界が広がっていた。歴史を感じさせる古典柄の壁紙、掛けられた絵画は画風と題材から王国の有名な画家のものだと一目でわかる。そして雰囲気の似た柄のカーペットの上に置かれた家具は金の装飾が品よく施された一級品だ。そしてテーブルの上にはこれもまた一目で一級品とわかる優美な雰囲気の茶器が並び、かわいらしい菓子と軽食が盛り付けられている皿がいくつも並ぶ。落ち着いた柄のテーブルクロスにナプキン、そして丸テーブルの中央には花瓶が立てられて、一本だけ赤い薔薇が飾られていた。
そして窓の外には色とりどりの薔薇が今が盛りと咲き乱れる。壁の中央には端が天井と床にまで届くような大きな窓があり、そこから燦々と陽の光が差し込んでいた。この窓は真ん中から大きく開いて庭に出るための扉としても使えるらしい。おそらくここから外に出て、庭を散策できるようにと配慮して作られたものなのだろう。
そこまで広さはないが、この部屋そのものがラングレア王国の歴史と文化の粋を集めた美術品のようだ。飾り気のない部屋の先に、こんな素晴らしい場所があったとは。美しいものを目にする機会の多いアネマリーナでさえ、呼吸を忘れ言葉を失う。
アネマリーナは知らなかったのだ。先ほどまでいた部屋はただの応接室で、この美しい部屋こそが貴賓室なのだということを。
「ちょうど今、庭に咲く薔薇が見頃なのです。この部屋でしたら座ったままでも楽しめますので、公国の薔薇と名高いアネマリーナ様にふさわしいと思い、ご用意させていただきました」
「ええ、本当に! 貴賓室から見える薔薇園は夢のように美しいのだと聞いておりましたが、これほどとは思いませんでしたわ。まるで薔薇をテーマに描かれた壮大な絵画を鑑賞しているようです」
「わかりますわ、それにこのかわいらしいお菓子も薔薇を模したものでしょう? 色も香りも素晴らしいですわ、さすがベルジェット商会の用意したお茶菓子だと感激しておりましたの!」
「光栄に存じます」
令嬢二人の華やいだ声に、微笑みを浮かべたルークが胸に手を当てて礼の姿勢をとった。黒くしなやかな髪が、さらりと落ちて空気を揺らす。差し込む光を受けたその姿は誰もが感嘆するほどに美しかった。
ああ、アネマリーナはこの男の姿形に惑わされたのか。容姿が美しいからといって内面までそうとは限らないのに。中央に座る男性は深く息を吐いて口を開いた。
「セシリオ殿、申し訳ないが彼女との婚約を破棄させていただく」
「なっ! そ、それは……」
「私もそこまで儀礼や作法にこだわる気はないが、さすがに婚約者の前で別の男を口説く姿を見せられては到底見逃す気にはなれない。王家を通じて貴国へも抗議させていただく」
「そんな、ですが!」
「ではあなたが同じ状況に置かれたとして彼女の振る舞いを許せるのか?」
「……そうですね、申し訳ありません。承知いたしました。婚約破棄に伴う賠償については父と相談したうえで、適切に対応させていただきます」
うなだれるように、セシリオは深く首を垂れた。理解不能な展開に固まっていたアネマリーナも、婚約破棄という言葉を聞いてようやく我に返った。
「お待ちください、婚約破棄とはどういうことですか!」
それはブレンダ・カレンデュラのためにある言葉だ。なぜ婚約者のいない私が婚約を破棄されなければならないの? セシリオは取り乱すアネマリーナを一瞥して、深々とため息をついた。
「伝えただろう。公国唯一の公女であるおまえとキルギリア共和国との間で婚約が結ばれたと」
「えっ、それはいつですの?」
「二ヶ月前だ。そのときは留学中だからと、人を介して伝えたぞ? 直近では一週間前に到着する予定の手紙にも書いた」
「そんな大事なこと聞いていませんし、手紙も見ていませんわ!」
「おまえ達はどうだ?」
冷ややかなセシリオの視線がアネマリーナの侍女へと向いた。この場にいて想定外の展開に顔色を悪くしていた彼女達は慌てて口を開いた。
「私はその場におり、聞いております。我が国の大使が直接アネマリーナ様に伝えたと認識しております」
「手紙についても手渡しております。アネマリーナ様以外には開封不可とする蜜蝋が押されていたために開封しておりませんが、一週間前の手紙ということであれば、おそらくそれのことかと」
「……」
アネマリーナは完全に青ざめた。寝ても覚めても会えないルークのことで頭がいっぱいで、何をどう聞き、何を受け取ったのか、ほとんど記憶に残っていなかった。
「では、こちらの方は……キルギリア共和国国家元首のご子息であるライオス・サデュール様!」
追い込まれて、ようやく相手が誰かまで思い出した。サデュール家は貴族の血を受け継ぎぐキルギリア共和国の名家で、財力と影響力のある家のひとつでもある。彼、ライオス・サデュールはキルギリアの国柄を体現するように武術に秀で、かつ勉学においても優秀で政治家としても将来を期待される有望株だ。眼光鋭く、体型は巌のようにいかついが、性格は温厚で公平な人物であると評判だった。距離的に一番近い隣国であるサンティア・パセルダ公国には父親とと共に何度も招かれており、直接会話する機会はなかったものの、アネマリーナの立場ならばもちろん見知っていたはずだ。
二人の婚約によってサンティア・パセルダ公国は小麦などを優先的に共和国へ輸出し、キルギリアは他国の侵略から公国を守る防波堤となる。つまり完全な政略だった。こんな大事なことを、なんで私は覚えていないの⁉︎
言葉を失ったアネマリーナの背後でルークがカーテンを閉めた。するとアネマリーナの顔がさらに青ざめる。なんてこと。向こうの部屋からはこちらの様子が全く見えなかったのに、こちらの部屋からは向こうの様子が透けて見えるのだ。つまり言葉が筒抜けだっただけでなく、自分がどんな顔で、どんな仕草をしたのかまで、こちらからはっきりと見えていたということになる。
『私は一体、何を見せられているのだ?』
どういうことかと思っていたが。
世間では、はしたないとされる自分の行いを思い出してアネマリーナは静かに絶望した。
「アネマリーナ。ルーク・ベルジェット殿にはブレンダ・カレンデュラ嬢という婚約者がいる。国益が絡むわけでもない状況で国同士の友好関係にあえて波風を立てるような無理を我々が通すと思うか? そんなことくらい大公家の娘として言わずとも理解できていると思っていたが?」
「ですが! ルーク様は悪役令嬢……、ブレンダ様に無理やり婚約を結ばされたのだと、そういう話を聞きました。ですから、それはいくらなんでもおかわいそうだと、そう思ったのです」
だから私は悪くない。アネマリーナは兄にじろりと睨まれて口を閉じた。ライオスは眉を跳ね上げる。
「話にならんな」
「え?」
「私からすれば、あなたの同情は嫌味にしか聞こえない」
「なんです、失礼ですわよ!」
「失礼を承知で言わせていただく。おかわいそうだろうがなんだろうが、婚約とは取引であり契約だ。どんな理由であれ、結ばれた以上は履行されなくてはならない。それなのにあなたの態度はなんだ? 婚約者でありながら、あなたに存在を忘れられた私はおかわいそうではないのか?」
「っ、それは……」
「恋に夢を見る年頃であるし、美しい者に心惹かれる気持ちも理解はできる。だがここまでのあなたの言動は傲慢で不誠実だ。君はこの二人の何を知っている? はじまりは契約だろうが、この二人は何年も前からずっと婚約関係にあると聞いた。これまで続いてきたのは、互いに歩み寄り、続ける努力を重ねた結果だろう。ここに至るまでの二人の努力を知りもしないで権力を傘に横槍を入れて崩そうとする。それこそ、あなたが先ほど口にした悪役令嬢という役柄の所業そのものではないか」
「それは違います!」
アネマリーナは悲鳴に近い声で叫んだ。違う、悪役令嬢と呼ばれているのは私ではない!
「悪役令嬢と呼ばれたのはこの女……ブレンダ・カレンデュラのことですわ!」
「バカなことを言うな、悪役令嬢などと! ブレンダ嬢はおまえのために、この場を用意してくれたのだぞ! 我々に代わって公爵家の権限を使い、会場となるこの素晴らしい部屋を借り受け、ベルジェット商会経由で必要な人員や商品を全て用意してくれた。しかもおまえが嫁いでも人脈に苦労しないようにと王国に滞在中であった共和国のご令嬢二人にも声を掛けて、仲介しようとしてくれたのだ。それを悪役令嬢などと……恥を知れ!」
「で、ですが本当に私は悪くありません!」
私はこの女に嵌められたのだ、それなのに。
視線の先にいる二人の令嬢は、ありありと憐れむような瞳の色を浮かべていた。公女たる私を憐れむなんて許せない。誰も彼も、どうして私を信じてくれないのよ! かっとなって声を荒げた。
「私は悪役令嬢ではありません!」
「だそうだ、ブレンダ嬢。何か言うことはないか?」
呆れた顔でライオスはため息をつき、視線をブレンダへと向けた。視線を受け止めたブレンダはにこやかに微笑む。
「ではまず、ひとつ」
「どうぞ?」
ライオスの許可を得たブレンダはアネマリーナの前に立った。そして取り巻きの前で何気なく呟いたというアネマリーナの言葉を思い出して、一字一句漏らすことなく口にする。
「『姉が悪役令嬢だと妹も悪に染まるのね。おかわいそう』」
「アネマリーナ! おまえは、公爵家のご令嬢になんて言葉を!」
普段は優しい兄から放たれた怒号にアネマリーナは驚いて思わず身をすくませた。すると場に痛いほどの沈黙が落ちる。アネマリーナは混乱した。まさか本人が聞いていたのかしら、それとも取り巻きの誰かが漏らしたの?
顔色の悪くなったアネマリーナとは対照的にブレンダの表情は変わらない。
「公女殿下。悪役令嬢ではないと叫んだ殿下の台詞はそのまま、私の姉達が常々口にしていたことです」
「……」
「そして同じように誰も信じてはくださらなかった。姉達がどれだけ苦しんだか、今なら想像できますか?」
アネマリーナのように、誰の目にも明らかな非があったわけではない。ただ物語に出てくる人物と容姿が似ている、それだけだった。
「悪役と呼ぶことは容易です。ですが一度ついた悪役というイメージを覆すのは容易ではありませんでした。ですから私は大好きな姉達が悪役令嬢と呼ばれるのならば、私も悪役でもいいと思いました。どちらにしろ悪役令嬢と謗られるのならば、それが名を汚す毒だろうと呑み込むと決めたのです」
呑み込んで、咀嚼して、全てを我が糧に。悔しくて、絶望した果てのことだ。
「私は別に悪役令嬢の妹でもよかったのですよ? しょうがないわねと笑って、姉がそばにいてくれるのならば。姉を失わずに済むのなら私は、自分が悪役令嬢と呼ばれてもかまわないと思っていました。それなのに……」
ブレンダの微笑みは、まるで泣いているかのようだった。
彼女の言葉に、ルークを除いた誰もが言葉を失った。ここにいる者は全員、カレンデュラ家を中心にして王国で起きた騒動の顛末を知っている。ブレンダの姉であるエルザ嬢が悪役令嬢と呼ばれた挙げ句に婚約破棄を突きつけられ国を追われたことも、彼女の罪というものが、故意に噂として流されただけの冤罪だったということも。
「私は自ら悪役であることを選びました。ですからおかわいそうと同情される筋合いはありません」
凛と立つブレンダの肩をルークは抱き寄せる。彼女に柔らかく微笑んでからルークはアネマリーナに視線を向けた。視線が合い、アネマリーナはびくりと肩を跳ね上げる。
……嘘でしょう?
次の瞬間、微笑みの貴公子と呼ばれる男が浮かべた表情は誰も知らない未知のものだった。
――――おまえの存在に、虫ケラほどの価値も見出せない。
声に出さなくとも、怒りを通り越してすでに無関心まで振り切っている。人とはこんな冷めた表情を浮かべるものなのか。見る者を凍てつかせるほどに、彼の顔には情と名のつくものが完全に欠落していた。
「私は、ブレンダを傷つけたあなたが心底嫌いです。あなたを好きになるなんて、万に一つもあり得ません」
「……っ!」
「視界に入るだけでも不愉快です。この場から消えていただけますか?」
むしろ清々しいと感じるほどにルークはアネマリーナを切って捨てた。言葉だけを聞けば不敬なんてレベルはとうに超えている。だがその場にいる誰も声を上げることはなかった。彼らは一様に固い表情で、きつく口を閉ざしている。彼らは何の感情も浮かんでいないルークの表情に底の知れない不気味なものを感じたからだ。
彼の周囲には重苦しい空気が渦巻いていた。理解不能な圧力に誰もが目の前の男から視線を外せずにいる。そして不気味な空気に翻弄された果てに意図せず全員が同じことを思った。
ここに手を出してはいけない存在がいる。
手を出したら、どう仕返しされるかわからない。どこが微笑みの貴公子だ、中身は真っ黒じゃないか。この恐怖がどこから派生したものなのか誰にもわからないが、それだけは全員が理解できた。そんな重苦しい空気を払拭するように、彼の隣から涼やかな声が響く。
「おやめなさい、不敬ですよ」
誰もがハッと我に返って、張り詰めた空気が霧散した。謝罪するためにブレンダがすっと膝を折ると、並ぶようにしてルークも胸に手を当てて頭を下げる。
「ふふ、皆様驚かせて申し訳ありません。彼は私のことが大好きなので。どうかお許しくださいませ」
揃って顔を上げたときには、ルークの顔にはいつものような柔らかな微笑みが浮かんでいて。先ほどのルークの変貌ぶりが白昼夢のようにも思えるほど、彼の表情には違和感を感じさせなかった。
今のは一体何だったんだ? 気持ちを落ち着かせるように誰もが大きく息を吐いた。するとアネマリーナの視線の先でブレンダがにっこりと笑う。別の意味で不穏なものを感じた彼女は身を震わせた。
「な、なによ!」
「もうひとつ、言わせていただいてもよろしいかしら?」
「まだあるの⁉︎」
「そのドレス、お気に召しました?」
突然、何を言い出すかと思えば。急に話題が切り替わったことで、誰もが訝しげに首を傾げた。アネマリーナの纏うドレスはベルジェット商会の服飾部門が仕上げた品だ。流行の先端である型を使った素晴らしい出来栄えだった。彼女の容姿やイメージにも合っているし、誰の目から見ても申し分なく思える。
たしかに商会としては顧客の評価が気になるところだろうけれど、今この場で聞くようなことなのか。アネマリーナもまた同じように不自然と思いながらも、これはベルジェット商会の……そう、ルーク様が私に贈った物だと思い出した。途端に反発心を取り戻した彼女はブレンダへ見せつけるようにドレスを翻す。
「ええ、もちろんよ! 素晴らしいドレスだわ! だってこれは私にってルーク様が……」
「気に入っていただいてよかったですわ! 私がデザインいたしましたの!」
「……は?」
「ベルジェット商会の服飾部門のトップをご指名でしたでしょう? それ私のことですから。ね、ルーク?」
「はい、そのとおりです」
顔を見合わせて、二人はにこやかに微笑み合う。ドレスの発注者は公国だけれど、素材も色もデザインも全てアネマリーナの好みに合わせていいとのことだったので彼女の指示どおりにしただけだ。ちなみに、今日のアネマリーナのドレスは本人の希望によりピンクである。
「はあああ⁉︎」
「デザインは妖艶にも可憐にも印象を変える薔薇をイメージしましたの。本当によくお似合いですわ!」
女子達は戦慄した。誰が恋敵のデザインしたドレスなんて着たいと思うものか。
そう、嫌がらせ以外の何物でもない。
「あんた最低っ、バカにして! 許さないわよ!」
「おほほほほほ! これからいろいろ大変そうですが、どうか自信をお持ちになって!」
完全に淑女の仮面が剥げ落ちたアネマリーナはブレンダに掴み掛かろうとした。そんな彼女の首根っこを誰かが慌てて引っ張る。一刻も早くこの場を去りたいセシリオだった。
「あーっと、ブレンダ嬢。ドレス代も含めて掛かった費用は全て公国に請求してくれ」
「ありがとうございます」
「それから、コレが迷惑を掛けて申し訳なかった。謝罪はいずれ」
「もう気にしておりませんわ。ですので、お気になさらず」
そしてセシリオは鬼のような形相でアネマリーナを引きずるように出て行った。
お父さんもお兄ちゃん二人もマトモで優秀なのに、妹だけが悪役令嬢になってしまった。そんな悪役令嬢のお話があるとクレアが話していたなとブレンダは思い出した。
帰ったら再教育かしら? 賠償金のこともあるし、さぞかし厳しい教育が課されるだろう。だが愛があればこその再教育だ、死ぬ気でがんばればギリギリ婚期に間に合うんじゃないかしら?
アネマリーナ様の淑女の仮面をかなぐり捨てた渾身の絶叫がここまで聞こえてくる。ルークと顔を見合わせてブレンダはクスッと笑った。
きっと明日には壮大な噂になっているでしょうね!
「さて、面白いものを見せてもらったな」
ライオスは花瓶に飾られた一本の赤い薔薇を指で摘んだ。