ブレンダ・カレンデュラの遊戯
悪役令嬢の妹、それが私に与えられた役割だった。
立ち位置としては悪人でもないが、善人でもない。他人がブレンダに抱く印象とはなんとも不躾で自分勝手なものだ。彼らは知ろうという努力もせず、噂だけで姉様を忌み嫌う。これのどこが善人で、どこが善行だというのか。
世間の評判とは違って優しい姉達が、自分達のせいでブレンダが悪役令嬢と呼ばれるようになったことを申し訳なく思っていることは気がついていた。
でもね、姉様。悪いと思う必要はないのよ。今はまだ幼なくともブレンダは偽物の善人には決して屈しない。芯が強く、たおやかなシェリー姉様。聡明で、思慮深いエルザ姉様。だいすき、だいすきよ! ブレンダの大切な姉様達を悪役と呼ぶのなら私は善人になんてならない。
私は、悪役であることを選ぶ――――。
生徒会室の扉が軽やかに開いた。女子生徒から微笑みの貴公子と呼ばれているルーク・ベルジェットは、女王のように君臨する婚約者の元へと歩み寄る。
「ブレンダ、喜べ。ようやく君が待ち望んだ私の解放軍が編成されたようだ」
「まあ! 久しぶり過ぎて存在自体を忘れかけていたわ!」
「しかも今回の相手は大物だ」
「うれしいわ、それは応戦する側も手ごたえがありそうだわね!」
副会長の席に座って優雅な仕草でカップを傾けていたブレンダは頬を染めて口角を上げた。華やいだ声が紡ぐ台詞は物騒だけれど、それを咎めるような部下は周囲にいない。
「で、どちらのご令嬢かしら?」
「君も噂は聞いているだろう? 今、我らが学舎を賑わす公女殿下だ」
「サンティア・パセルダ大公の第三子、アネマリーナ様ね」
アネマリーナ・サンティア・パセルダ公女。かつて公国には王家があったが血が細って絶えたために、当時もっとも力を持っていたサンティア・パセルダ家が最高権力者の地位を継承した。以降、サンティア・パセルダ公国と名乗り、周囲の小さな国を併呑して力をつけ、ついにはラングレア王国、ユーザ・ロ・バルディアス皇国、キルギリア共和国と共に周辺国から主要四ヶ国と呼ばれる地位まで登りつめた。
公国は広大な穀倉地帯を持ち、小麦の生産や酪農が盛んで食料品の輸出が国を支えている。国民の性格はおおむね温厚だとされるが、覇権を争ったころの名残りか、高位貴族には情熱的で血気盛んな人物が生まれることがあると聞く。つまり公女がそういう人物ならば気の強さと独占欲はピカイチということだ。
波乱の予感にブレンダの微笑みが一層深くなった。うっとりとした表情で足を組み、少々だらしない格好で執務用の机に肘をつく。すると制服姿でありながら艶やかな色香が漂った。
「いいでしょう、相手に不足はないわ。で、手下の人数は?」
「たぶんお付きの侍女が二名」
途端にブレンダは冷めた表情をして深々とため息をついた。
「家は一国の王家に匹敵する力を持った大貴族なのでしょう、ちっさいわね!」
「はは、言葉遣いが乱れているよ?」
「華々しく乗り込む気ならクラス丸ごと連れてきなさいよ!」
「あー、その人数ではこの部屋だと収容できないかな」
部屋を見回してからルークは机に腰掛ける。そして、椅子から立ち上がったブレンダを自らの膝に乗せた。彼の動きに合わせて焚き染めた香がふわりと漂う。
「それでルークが公女殿下に目をつけられたきっかけはどんなもの?」
「商会の仕事で父の代わりに納品しに行った」
「ありきたりね」
「そこから積極的なアプローチを受けているけれど擦りもせずに全部かわしている」
「当然でしょう、私の婚約者ですもの。それに相手は私の存在を承知なのでしょう?」
「もちろん。贈り物や誘いを断る理由が全部『婚約者がいる』だもの」
「では手加減もいらないわけね」
公国を支配する家の娘だ。さまざまな理由からアネマリーナ様は人気が高かった。黒く艶やかな髪、神秘的な漆黒の瞳。容姿も申し分なく美しい。同じく黒髪で黒い瞳のルークと並ぶと対の人形のようで、一部の熱狂的な支持者からお似合いだと言われていた。そしてその次には必ず、悪役令嬢に無理やり婚約を結ばされた……と続くわけだ。無責任な噂に煽られて、禁断の恋がさらに燃え上がったということか。
「それで、どんな手を打つの?」
微笑みが標準装備のルークが、すっと表情を消した。真摯な眼差し、真面目に話をするときの流儀。ブレンダが好きな顔で、同志である彼女にしか見せない姿だ。そんな姿を見せられては本気にならないわけにはいかないわね。
「いくつかあるけれどね」
うっすらと微笑みながら、ブレンダはこめかみのあたりをトントンと叩く。身分はあちらが上、でも他国への影響力は同等くらいか。
「一番ド派手なやつがいいかな?」
「あら、どうしたの? 荒れているなんて珍しいわね?」
ブレンダの目の前で微笑みの貴公子が心底不愉快という表情を浮かべている。
「公女殿下はこうおっしゃったそうだ。『姉が悪役令嬢だと妹も悪に染まるのね。おかわいそう』」
「いいでしょう、望みどおりにしてあげますわ」
表情に深みを増したブレンダは、口角を上げて笑うとルークの膝の上から滑り降りた。生き生きと動き出したブレンダにルークは微笑んだ。混沌と混乱を待ち望む彼女には、平穏からは程遠い壮絶な笑みがよく似合う。
「私は何をすればいい?」
「手伝いはいらないわ、その代わり」
ブレンダは繋いだ彼の手を握り返し、鋭い視線を向けた。
「この手にも、お揃いのような黒い髪にも。一筋たりともあの方が触れることは許しません。死守なさい」
命令に忍ばせたのは、わずかばかりの嫉妬。
彼女は出会ったころのままだ。個性が強く、少々手は掛かる。けれど、そこが愛らしい。ルークにとってブレンダは道しるべだ。出会ったあの日、白と黒と灰色しかなかったルークの世界に真紅の可憐な花が咲いた。この勇敢で誇り高い道しるべがあるからこそ、自分は進む道を迷わず歩むことができる。
つまり、大好きだということだ。彼はわずかに頬を染めてブレンダの指先に口づけを落とした。
「仰せのままに」
「では、はじめよう。ここからは淑女の決闘だ」
――――
「おかしいわ、どこにいるのかしら?」
取り巻きから、この時間は必ず音楽準備室にいると聞いてきたのに……。アネマリーナ・サンティア・パセルダ公女は焦れていた。
ああ、愛しいルーク様。自分と同じ漆黒の髪に黒曜石の瞳。遠い異国の血が混じるという彼は、ずば抜けて麗しい容姿をしていた。深い知性を感じさせる眼差しと、精巧な人形を思わせる端正な顔立ち。実家が商会を持つだけに人脈も豊富で人当たりもよく微笑みの貴公子と呼ばれていた。成績だって入学以来ずっと学年主席を維持できるほど優秀な人で、まさに完璧と呼ぶにふさわしく、能力的には自分の伴侶とするに申し分ない。
唯一、彼の身分は伯爵位だけれどアネマリーナは大公の第三子。継承権もないに等しく、結婚相手は多少身分が低くとも許されるだろう。だから問題なしと判断して、母国に王国と交渉して自分との婚約を結び直すように再三願い出ている。だが何度催促しても駄目だというばかりで、明確な理由は示されなかった。
なぜ思い通りにならない? 全てはあの忌々しいブレンダ・カレンデュラの差し金に違いない。ルーク様が真実の愛に目覚めることを恐れているから、さまざまな手を使って二人の邪魔ばかりするのだ。高価な贈り物も貴重な夜会の招待状も全て『婚約者がいるから』と断られる。
アネマリーナの脳裏にブレンダのいかにも気が強そうな顔が浮かぶ。嫉妬なんて見苦しい。所詮は物語の脇役、悪役令嬢なんだからさっさと諦めなさいよ!
それにしてもルーク様はどこへ行ったのかしら? ここ二週間ほど、授業以外で全く姿を見掛けないとはどういうことだ。授業は出ているようだから体調が悪いわけではないのに、休み時間も放課後も一切姿を見掛けなかった。心配のあまり食欲もなく、会いたいという思いが募るばかり。取り巻きは皆、『食欲をなくされるほど心配するだなんて、健気でお優しい』とか、『ルーク様はアネマリーナ様のように強く想ってくれるお相手がいるなんて幸せ者だ』とか称賛してくれるけれど、そもそも本人に全く会えないのではこの思いの深さも伝わらないじゃないの。だから直接話がしたくてこうやって足を運んでいるのに。
諦め切れずにルーク様の実家である商会にも行ったが、他国との商談に同行しているため、すぐには連絡が取れないとやんわり断られた。たしかに事前の連絡もなく押しかけたが、王国にも匹敵する公国の公女がわざわざ足を運んだのだ。商談を切り上げてでも会いに来るのは当然でしょう!
ところが、日が暮れてもルーク様は戻って来なかった。
「ルーク様はまだ戻られないの⁉︎」
「はい。申し上げたとおり、今回は商談後に夜会へ参加する予定となっております。ですので本日はお戻りにならないとお伝えしておりましたが……」
「ねえ、おまえは誰に物申しているのかわかっているの⁉︎」
「身に付けられた紋章からサンティア・パセルダ公国、アネマリーナ・サンティア・パセルダ公女殿下とお見受けしております。ですが本日の夜会には共和国の方々が多数参加されるのです。そのような場で公女殿下のためにルーク様が参加を見合わせたと知られれば、はるばる共和国から足を運んで参加された皆様に何と思われるか。ベルジェット商会は約束を破った、しかも共和国を公国の下に見ていると取られてしまうでしょう。今後の商いにも影響が及ぶかもしれません。もちろん、それだけでなく貴国や公女殿下の評判にも関わって」
「もういい、帰ります!」
こんな対応、不敬極まりないわ! だからベルジェット商会での不愉快な出来事を書面にして父に送った。公国から抗議されれば、さすがにベルジェット商会も謝罪するしかないだろう。そうだ、この件をなかったこととする代わりに悪役令嬢との婚約を解消させよう。そのあとはどんな手段を使ってでもルーク様を私の婚約者にしてしまえばいい。これで善人は皆、幸せになれる。もちろん、悪役は除いてね!
浮き立つような気持ちで父からの色よい返事を待っていたけれど、とにかく大人しくしていろの一点張りで、それ以上踏み込んだ内容はなかった。……どういうこと、いくらなんでもおかしくない?
焦れて待つこと一週間後。
待ち望んだ父からのものとは違ったけれど、私の手元に一通の手紙が届いた。それは赤い薔薇が添えられた招待状だった。急いで内容に目を通し、アネマリーナは文字どおり躍り上がる。
「もちろん、喜んでお受けしましてよ!」
ようやく私の熱意が通じたのね。手紙の差出人はベルジェット商会。重要な客人を招いて茶会を開くため、日程を調整したいとのことだった。これはお茶会というのが建前で、私に直接謝罪したいという理解でいいのよね?
もしかして私を経由させずに、直接お父様が抗議がしてくださったのかしら? お叱りを受けても仕方ないわよ、だってこの私を商会の従業員は蔑ろにしたのだもの。なにしろ父は、末っ子でしかも唯一の娘であるアネマリーナを溺愛していた。それこそ手中の珠のように……。
当日の会場は学校の貴賓室。そういえば、何度かルーク様が使用していたわね。つまり学園で彼自ら謝罪してくださるということだろう。貴賓室は入学当日に一度見たきりだけれど、部屋としての規模は小さい。つまり客人を呼ぶとしても限られた人数になるはず。おそらくお茶会にはアネマリーナ以上に位の高い女子はいないだろう。目障りなブレンダのカレンデュラ公爵家ですら、大公家に比べれば格下だ。
ルーク様を独り占めできるわ、そしてようやくこの思いを伝えることができる。きっと彼は悪役令嬢との婚約を破棄して、私と婚約を結ぶつもりなのね。それも劇的に、まるで物語のように華々しく!
「つまり、私の勝ちということよ!」
縋りつく悪役令嬢の姿を脳裏に思い描いて、アネマリーナは一人高笑った。
そして迎えたお茶会当日。
アネマリーナは侍女を総動員して準備を整えた。
今日のために用意したドレスは流行の型で、今一番評価の高いデザイナーに仕立てさせたもの。そう、ベルジェット商会の服飾部門に発注したものだ。順番待ちで、なかなか手に入らないから運がよかった。しかも招待を受けると連絡したところ、商会側から従業員が派遣されてきて、費用も商会持ちで一からドレスを仕立ててくれた。それだけでなく納品されたときにはネックレスや髪飾りなどの装飾品まで用意されていたのだ。どれもこれも一級品で、私が身につけるにふさわしいものばかり。さすがルーク様の選んだ品だけあって、とても趣味がいいわね!
アネマリーナは侍女を従えて誇らしげに胸を張って廊下を歩いた。時折すれ違う生徒や先生が賞賛してくれるのだ、それもまた気分がいい。きっと明日には噂になっているだろう。
ルーク様ったら、私にドレスや装飾品を贈って身につけさせたのは皆に自慢したいからなのね。なんてかわいらしい人かしら! どろどろに甘やかされる夢のような世界を想像しながら、弾むような足取りで歩き続けると、ようやく会場である貴賓室に到着した。商会の従業員と思しき男が恭しく頭を下げて扉を開く。
するとアネマリーナの目の前に、夢にまで見た人が立っていた。
「ルーク様!」
「ようこそお越しくださいました。アネマリーナ・サンティア・パセルダ公女殿下。このたびは招待をお受けくださいましたことを心より感謝申し上げます」
優美な微笑みを浮かべたルーク・ベルジェットは胸元に手を当て、礼儀正しく腰を折った。周囲を見回しても人影はない。この部屋の中には話し声どころか物音ひとつしなかった。つまり今、この場には二人きりということか!
「もう、呼び方が堅苦しいですわ! 私のことはアネマリーナと、いいえ愛称であるリーナと呼びなさい」
「まさか、高貴なる公女殿下をそのようにお呼びするわけにはまいりません。どうかご容赦ください」
「私が許すのです、不敬ではないわ。いいこと、次からはそう呼ぶように」
あのルーク様が私にだけ微笑んでいる。ずっと会えなかった反動で、気がつかないうちにアネマリーナの興奮は最高潮に達していた。
「ずっと、こうしてお会いできる日を待ち望んでおりました」
少々はしたないけれど、彼の元へと駆け寄り、そのままの勢いで軽く触れようと手を伸ばす。すると軽く足を引いた彼はごく自然な動きで体を引き離したのだ。見逃してしまいそうなわずかな動きではあったけれど、一瞬わざと避けられたようにも思えてアネマリーナは眉を跳ね上げる。
……まあいい、こうして直接出迎えてくれたのだから多少の不敬は見逃してやろう。無言のままルークが顔を上げる。ここにきて、ようやく彼と視線が合った。
「ルーク・ベルジェット様。はじめてお会いした日から、私はあなたをお慕いしております」
胸元で手を重ねて甘く蕩けるような顔をしたアネマリーナは、上目遣いでルークを見上げる。可憐とも評されるこの表情で彼女に落ちない男性は、いまだかつて誰一人としていなかった。
「私をルーク様の婚約者にしていただけませんか?」
アネマリーナのことを、かつて公国の薔薇と呼んだ人がいた。ときには豪奢な紅薔薇に見えて、ときには可憐な白薔薇にも見えると。
今のアネマリーナは白薔薇だ。気の強さと、独占欲はしっかりと隠して。表面上はただ純真に相手を慕う可憐な乙女と見えるように。そのほうが普段との違いで、より効果的だと知っているから。すると無言だったルークの微笑みが一層深くなった。いいわ、さあブレンダ・カレンデュラと婚約を解消すると私に言いなさい!
「はい、と言ってくださいませんか? そうすれば、私の全てはあなたのものです」
アネマリーナは瞳を潤ませ、赤く色づいた唇から切なげに息を吐いた。これできっと彼は私に落ちるだろう。案の定、ルークの腕が動く気配がした。
そうよ、衝動のままに抱きしめて、唇を奪って! そうすれば、あなたは私のものになる。そして完全に蕩け落ちたところで、あとには引けないよう華々しくお茶会で婚約を破棄してもらうつもりだ。
アネマリーナと視線を合わせたルーク様がにこりと笑う。
成功を確信した、そのときだった。
「私は一体、何を見せられているのだ?」
冷ややかな、どこか嘲りを含んだ男性の声にハッと我に返った。
悪役令嬢と呼ばれた四姉妹の本編をたくさんの方に読んでいただき、感謝しております。このお話は構想がありましたが、下書きはありませんでした。妹のお話も読んでみたいとのコメントもいただきましたので、ブレンダのお話をありがたく書かせていただきました。お楽しみいただけるとうれしいです。