「仰向けにしてもらえませんか?」通学路で話しかけてきたのは死後硬直後のおっさんでした
爆弾低気圧により、全国的に大雪が降った翌日の朝。白のダウンジャケットに黒のレザーのトートバッグを持った、男子大学生である山田青年が雪を踏みしめながら歩いていると、黒いロングコートを着た男が道路に倒れていた。場所は住宅街の中を走る細い道で、人通りは少なく、道路に降り積もった雪に足跡はほとんど見られない。山田はすぐに倒れている男性の第一発見者が自分であることを察すると、転ばないように気を付けながら男性に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
山田が男のそばに駆け寄り体をゆする。しかし、その直後、山田は違和感に襲われた。冬なので体が冷たいのは当たり前なのだが、男の体が全身にぐっと力を込めているかのように硬かったのだ。
「なにこれ、硬い……もしかして、死んでる?」
山田の頭に浮かんだのは『死後硬直』の四文字。山田はその言葉の意味を再度考えてから、自分が触れる男を見て、顔から血の気が引いた。山田は大慌てで後ろに飛びのき、勢い余って尻餅をついた。
「け、警察に電話、電話しないと」
山田は自分を落ち着かせるために、自分が取るべき行動を口に出すが、寒さと突然の出来事による恐怖によって舌が上手く回らない。ジャケットのポケットにあるスマートフォンをすぐにでも取り出したいのに、手がかじかみうまく取り出せず、山田は自分自身に苛立ち始める。
「あーもう、なんやねん!」
苛立ちを含む独り言が、道に積もった雪に吸い込まれる。
「あの、すみません。仰向けにしてもらっていいですか?」
山田青年がやっとスマートフォンをポケットから取り出し、ロック画面を解除した時だ。突然男性の声が道路に響く。とさっと軽い音を立て、山田は驚いて思わずスマートフォンを雪の上に落とす。
「ああ、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったんです」
「え、誰!?」
小さな草食動物のように、警戒しながら周りを見渡す山田。
「ここですここ、地面に倒れている私です」
声はうつ伏せに倒れる男から発生している。
「え? あ、すみません、死んでるとか言っちゃって。大丈夫ですか?」
男性が生きていたのかと驚きながらも、少し前の自分の発言を謝罪する山田。しかし、声をかけてきた男性は倒れたまま一ミリも動こうとしない。
「いえいえ、死んでいるのは事実ですからお気になさらず。そんなことより仰向けにしてもらえませんか? 私はできることならもう一度空が見たいんです」
「死んで……は?」
「あの、死んでるんですよ、私。死後硬直みたいで体が動かなくて困ってたんです。ずっと顔を雪に埋めていてもつまらないので、もう一度空が見たいなあと思いまして」
山田は即座に関わってはいけない男だと思い、距離を取ろうとする。すると、それを察知した男がすかさず「ああ、行かないで! 何もしないから! 襲わないって命かけるから!」と叫ぶ。
「いや、今死んでるって言ったやん自分! もう命失ってるやんけ」
「まあまあ、そんな小さなことはさておき、死後硬直で襲うなんてできないので安心してください。それに私は男に興味はありません」
「今のセリフのどこに安心要素があんねん!」
がみがみとつっこみつつも、そのまま立ち去ることも憚られた山田はそっと近づき、倒れた男を仰向けにしてやることにした。
山田青年が苦戦しながらもなんとか男の死体を仰向けにすると、男は目を見開いて何か恐ろしいものでも見たかのような顔をしていた。物腰の柔らかい口調とはギャップが大きい男の表情を見て、山田は思わず「ひっ!」と声を上げる。
「いやーありがとうございます! おかげさまで空をまた拝むことができました。もう最高の気分です」
「いやいや、顔と表情がアンマッチ過ぎるておっさん」
「仕方がないじゃないですか、この顔で固まってしまったんですから」
「ん? そういや、おっさん、顔固まってるのになんで話せてるん? 口動いてへんやん」
「そんなの簡単な話ですよ、腹話術の応用です。口が動かなくても人間は話せるんです」
「え、おっさん腹話術できるん?」
「できますよ。今まさにしていますし。そもそも私が子どもの頃は腹話術が大ブームで、私の世代は多分みんなできます」
「え、そんな世代があんの?」
「ええ、ありますとも。私が子どもの頃は、小学校の校庭で石を投げたら、ほぼ確実に腹話術ができる子どもに石が当たったものです」
「なんの話してるん!? 例えが意味不明やし、そもそも人に石投げんなや」
「そうだ! 声が、遅れて、聞こえるよ、ってご存知です?」
「ああ、あの有名なやつな。知ってる知ってる」
「私たちの世代はその逆パターンで、声が加速し音速を越えるってのが流行ったんですよね」
「逆パターンになってるんかそれ? あと意味不明なんやけど」
「まあ、言ってしまえば無音なんですよね。音声なしであたかも目の前に透明な壁があるような仕草をするんです」
「パントマイムやん」
「カバンを持ち上げようとしたら、カバンが急にすごく重くなったり、カバンが勝手に動いているような演技をするんです」
「だからパントマイムやんか! 声は加速してないねん。誰もあれしゃべってないから」
「え! そうなんです? まあ、とにかくパントマイムの練習をしていたので私は口が動かなくても話せるんです」
「それ何の説明にもなってねえよ!」
山田の声が住宅街にこだまするが、すぐに辺りは静まり返った。
「おっさん、死んでるって言ってたけど、おれどうしたらいいん? このままにしておくのもあれやし、救急車呼ぼか?」
大学の講義に遅刻したくない山田青年は、スマートフォンでまだ電車の時刻まで余裕があることを確認すると、仰向けの死体に話しかける。死体は空を眺めながら「そうですねえ」なんて呟いて何かを考え始める。
「てか、おっさん、なんで死んだん?」
「死因ですか? 簡単な話です、殺されたんです」
「え?」
物騒な回答に硬直する山田。もう少しポップな返答が来ると思っていたので、山田は聞いたことを後悔する。
「昨日の夜、仕事終わりに後輩と酒を飲んでから帰っていたんです。そしたら突然、目の前にこれくらいのなにかを持った人がいたんです」
「おっさん、これくらいって言われても、手が動いてへんからサイズわからへんわ」
「えー、そこは想像してくださいよ。これくらいの」
「わからんて」
「お弁当箱に」
「おい、だれも一緒にお歌を歌いましょうなんて言ってへんやろ! ふざけんなや」
「失礼。具体的に言うと、20センチぐらいの棒みたいな何かを持った男が目の前に突然現れたんです。それで、何を持ってるいるんだろうと思ったら……」
「思ったら?」
「懐中電灯を持って散歩してるおじいさんでした」
「なんの話やねん! それのどこが死因と繋がんねん」
「それで、『なんだ懐中電灯か!』なんて思っていたら、後ろから突然襲われたんですよね」
「襲われた? 一体何に?」
「それが後ろから襲われたんでよく見えていないんですよね」
「そこ大事なところやん」
「襲われて、そのまま死んで今の状態です」
「説明がざっくり過ぎひん? もっと詳しくわからんの?」
「その時はもう何もわからなかったんです。あ、でも今度はばっちり確認できそうですよ」
「は? どういうこと?」
「ほら、今あなたの後ろに」
「え……?」
山田がすぐに後ろを振り返ろうとした瞬間、いつの間にか山田の背後にいた真っ黒の煙のような何かが、瞬く間に山田の胸を後ろから貫いた。山田は顔をしかめながら膝から崩れ落ち、ゆっくりと顔を地面に沈めた。
「こんなのが正体なら、見たくなかったなあ……」
死後硬直により動けない男が投げやりな声でそう言った直後、男は黒い何かに再びうつ伏せにひっくり返された。
「あのー、あなたも死にましたか?」
再びうつ伏せになった男が山田青年に声をかける。
「ああ、死んだみたいや。体が全く動かねえ」
倒れたまま山田が返事をする。
「残念です。よくある怪談だと、誰かを道連れにしたら助かる展開が多いので、あなたを巻き込めば助かると思ったんですけどね。どうやらそんな甘い話ではなかったみたいです」
「は? お前、おれが襲われるのをわかっててだらだらと話してたのかよ! クソが、お前なんてぶっ殺してやる」
「いや、もう私たち死んでるじゃないですか。あなたも感じたでしょう? 自分の心臓が体の中で弾ける感覚を」
「それは、そうだけど。おれは本当に死んだのか?」
「死んだんじゃないですかね? 今もう体が動かないでしょう。さあ、くよくよせずに次のことを考えましょう」
「そうだ、おれを襲ったのはどんなやつだった?」
「それは自分の目で確かめてください。私にはあれを上手く説明する自信がありません。そんなことより、男二人でこんな所にいてもつまらない。次はできれば女の人が来て欲しいものですね」
「は? 何言ってんだ? お前、一体どんな神経してるんだよ……」
「あなただって男二人で倒れているよりは、少しは花がある方がいいでしょう?」
「いや、まあ、でも、確かにずっとこのまま二人でいるよりかはその方がいいかもしれないけど……」
「でしょう? どうせならかわいい子がいいですね」
「おれ、おっさんが怖えよ」
「慣れですよ慣れ。どうせ死ぬなら人数は多い方がいいじゃないですか」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんですよ」
「そうか?」
「そうです」
「そうだよな」
「はい!」
男二人が雪に埋もれながらそんな話をしていると、学校指定のコートにマフラー姿の女子高生がちょうど二人のいる道を通りかかる。そして倒れている二人を目にし、驚いた彼女は「大丈夫ですか!」と大きな声を出しながら二人に駆け寄った。
二人は口が動かないが、小さくふふっと嫌な笑い声を上げた。