7.過去が襲う
私はラナ・ラキュラス。
商家からの成り上がり貴族で、当時は伯爵令嬢。
周りからの反応は様々で、印象の良いものはなかったわ。
誰も彼もが、他人と比べるばかり。
そんなものに私は興味がない。
私には信頼できる人がいなかった。
心の許せる人は、誰もいない。
唯一拠り所としていた、お父様やお母様も視察中の崖崩れで亡くなってしまった。
貴族として爵位を賜った後に起きた事だったわ。
今の私は伯爵令嬢ですらない。
どうして?
こんな残酷な現実が許されるの?
私は、たった一人になってしまった。
周囲の貴族の視線は好意や敵意から哀れみに変わり、莫大な財産ばかりが私の元に残った。
心は晴れなかった。
けれど、そんな所に現れたのがダルク様だったわ。
彼は全てを無くした私を気に掛け、様々な支援をしてくれた。
ラキュラス家の執務、右も左も分からない社交界の挑み方、あの方は無関係な私に手を差し伸べた。
初めは警戒したわ。
きっと私の財産、それか利用しようと思える何かが目当てに違いない。
あの時の私は、全てが敵に見えていた。
だけど暫くして、それは間違いだと気付いたの。
ダルク様にも、似たような境遇があった。
5年前、ヴェルレーヴェン家では前当主が毒殺されたという事件。
その犯人が彼の弟、ヴィオル・ヴェルレーヴェンだった。
自らの野心に駆られ、次期当主になるべく引き起こしたそう。
前当主様が、当時は原因不明だった認知症で前後不覚だったことに付け込んだみたい。
始めは衰弱死と断定されたけど、後々ダルク様がその真相を突き止めたらしいわ。
無論、公爵殺しが許される筈もない。
ましてヴァン・ヴェルレーヴェンは、国の法改正に尽力した第一人者。
この事態に激怒した王家の判断もあって、ヴィオル・ヴェルレーヴェンは処刑された。
そしてダルク様は父親と弟を失って、たった一人になってしまった。
何故、私を気に掛けるのか。
それは同じ境遇だったからこそ、放っておけなかったから。
そう言うダルク様を、私は信じることにした。
何もない筈の私の手を、あの方は引いてくれた。
正式に公爵家当主となった彼なら、お相手なんて幾らでもいるでしょうに。
私自身、拒絶する理由はなかったわ。
同情なんていらなかったけど、何処となくダルク様が寂しそうにも見えたから。
だから一緒にいる事にした。
そうして彼と過ごしていく内に、流れるように婚約関係となった。
ダルク様は、私が他のご令嬢とは違うと言う。
正直、荷が重い言葉だわ。
私は比べられることに慣れていない。
勝ち負けに疲れてしまったのかもしれないわね。
けれど、彼は傍にいようとしてくれる。
まだ私は、過去を引き摺ったままなのに、それでも寄り添う姿勢を見せてくれる。
だからこそ、私もいつかはダルク様を、心から愛せるようになるのかもしれない。
●
違う。
違う!
違う! 違う! 違う!
「う……! はぁ……は……!」
反射的に飛び起きる。
まるで酷い金縛りから、やっとの思いで動き出せた時のよう。
そして全身を襲う倦怠感。
今までの経験が全て頭に叩き込まれたかのような感覚に、頭痛すら起きる。
あぁ、本当に夢じゃなかったのね。
あの後は何もさせてもらえず、私は自室に寝かされた。
いえ、そもそも何か出来るだけの気力があったとも思えない。
これは悪い夢なんじゃないかって、勝手に思い込んでいた。
目が覚めれば、きっと元に戻っている。
お父様やお母様、ヴィオルも生きている。
何の根拠もない考えに縋るしかなかった。
けれど、違う。
今の情景は夢なんかじゃないわ。
「今の記憶は、私の過去……」
厳密には違う。
私とは違う別の私が歩んで来た道。
今までとはあまりに真逆で、薄暗く寂しい記憶。
それが一気に頭の中に流れ込んで来た。
始めは違和感しかなかったわ。
現実だと思えず、逃避したくなる位に。
けれど次第に、それは当たり前ことのように浸透してくる。
お父様やお母様が亡くなった事実すらも、過ぎ去った悲しい記憶としてすり替わっていく。
手紙という繋がりでも、私にとっては掛け替えのない大切な家族だったのに。
溢れ出る筈の感情が、勝手に塗り潰される。
これは、何なの?
過去が変わったせい?
大きく改変した事実が、私の記憶や人格すら変えてしまう。
これではまるで――。
過去が私を襲ってくる。
思わず吐きたくなる気持ちを抑え、どうにかドレッサーの元まで辿り着く。
酷い顔だわ。
泣きたいのに泣けない。
叫びたい気持ちも、改変された過去に上書きされる。
どうして、こんな事になってしまったの。
ヴィオルの死は変わらないまま、お父様やお母様までも死神の鎌に巻き込まれてしまった。
あの時、ヴィオルは言っていた。
過去を変えることは、はたして許されるものなのかと。
まさかこれは、私への罰だとでも言うの。
いえ、それだけではないわ。
「このままだと、ヴィオルのことも忘れてしまう……」
別の私は、ヴィオルをただの罪人だと思っている。
地位を欲し、親殺しに手を染めた重罪人。
それ以上でもそれ以下でもない。
けれどそれは違う。
彼がそんな事をする訳がない。
本当に殺したいほど憎んでいるなら、偽名に父親の名を名乗ることなんかしないわ。
ヴィオルは無実に決まっている。
でも、そんな思いすら消えてしまう。
今のままだとヴィオルとの会話も、その声も、何もかも過去に葬られる。
私はただの、ヴェルレーヴェン公爵の婚約者。
その事実を、当然のものだと思ってしまう。
認めない。
認められる訳がない。
私は両手を握り締めた。
「君がこの屋敷に来て日が経つが、何か不便な所はあるか?」
「……いえ、特には」
「そうか。何もないのなら、それに越したことはないが……気になる事があれば、何でも言ってくれ」
改変された日から、翌日。
ダルク様は私の異変に気付いたのかどうか。
朝食の後も深くは聞かず、気を遣うだけだった。
そこに悪意はない。
きっとこの方の視点では、私は突然情緒不安定になったように見えているのでしょう。
それでも彼は良き婚約者であろうとしている。
私は感情を押し殺したまま、慎重に問い掛ける。
「一つ、よろしいですか」
「どうした?」
「貴方は何故、私を選んだのですか」
改変前では、私達は見合いという状況だった。
そこから既に婚約者の関係になっているなんて、余程の心境の変化がないと有り得ない。
公爵家当主の彼が、心を動かすだけの理由が何処かにある筈。
するとダルク様は小さく首を振った。
「勘違いしないでほしい。私は同情心だけで君と婚約した訳ではない。確かに当初の私には、君に対する贖罪のような感情があったのだろう」
「贖罪?」
「だが次第に、ラナをもっと知りたいと思うようになった。ラキュラス家とは関係ない、君自身のことをね」
そう言って、微笑む。
今の私に同じ表情は出来ない。
まともな受け答えも出来ているかも怪しい。
それでもダルク様は膝をついて、私の手を取った。
「君に愛がなかったとしても構わない。その心がある限り、私は君を愛そう」
初めて会った時とは違って、愛の言葉を紡いでくる。
改めて周りを見てみると、屋敷の中の装飾や外にある薔薇庭園も、私の好みに合わせて全て変わっていた。
使用人の顔ぶれは、半数近くを総入れ替えしたみたい。
ラキュラス家に仕えていた使用人も、一応配属されている。
それだけ私に対して愛情を注ぎたかった、ということなのかしら。
理由は分からない。
彼の言葉に偽りはないのかもしれない。
でも、こんなもの絶対に間違っているわ。
私はまだ、諦めきれない。
僅かな力を振り絞って、自分を奮い立たせる。
「蓄音機、ですか?」
「えぇ。私が婚約前から持っていた蓄音機よ。何か知らない?」
「ええと……確かそれなら、音楽室に寄贈されていたような……」
ダルク様の目を盗んで、蓄音機の場所を探す。
アレさえあれば、過去に何があったのか分かる。
お父様やお母様の事故だって、回避できるかもしれない。
見知った使用人の言葉に従って、なりふり構わず音楽室に辿り着く。
混乱する私の心を嘲笑うかのように、その部屋は静まり返っていた。
そして広々とした音楽室の隅。
他の蓄音機と同じように、木造の棚の中に残されていた。
「あった! 後は、繋がりさえすれば……!」
良かった。
見たところ蓄音機は変わっていないし無事だわ。
捨てられでもしていたらと思っていたけど、まだ希望はある。
私は心の底から安堵しながら、蓄音機を両手で抱えた。
けれど割って入るように、背後から別の声が掛かる。
「ラナ様……」
「ど、どうかしたの?」
「それが、大変申し上げにくいのですが……」
先程の使用人が、言い難そうに目を逸らした。
「その蓄音機は、既に壊れていまして」
「え?」
「内部の故障だと思うのですが、レコードを入れても音が全く出ないのです」
最後までジッと聞いている余裕はなかった。
反射的に手ごろなレコードを見つけ、蓄音機に入れてみる。
けれど全く音が出ない。
ゼンマイを巻いても沈黙するばかり。
未来が変わる前の時間では、何の不調もなかったのに。
元から不可思議な現象で繋がっていただけのもの。
何かの拍子で壊れてしまったのか、それとも既に壊れていたのか。
いえ、そんな事はどうでも良い。
つまり、もうヴィオルの声は聞こえないという事なの?
「ラナ様が以前、修理に出した通りの結果です。ダルク様のご厚意でこうして置かせて頂いているのですが、やはり気になるのでしたら、もう一度診てもらうなど……」
「いえ……別に、いらないわ……」
修理なんて、出した記憶もない。
私は呆然としながら答えるしかなかった。
結局、私に出来る事は何もなかった。
ダルク様の婚約者として、在り続けるしかなかった。
「来週の話だが、王家が各地域の貴族を招集して大々的なパーティーを開くそうだ。良ければ、ラナにも参加してほしい」
「……」
「安心してくれ。目の毒になるようなものは入れさせない。たとえ相手が王家の人間であっても。不安も恐れも全て取り除こう。それが私の責務だ」
その日の夜、彼は自分の胸に手を当てて宣言する。
その指には銀色の婚約指輪が輝いていた。
当然、私の指にも同じ指輪が収まっている。
そう。
以前の私が受け入れて、こうなった。
知らない間に受け入れた事実が、私にとっての日常になっていく。
今はまだダルク様の考えが分からないこともあって、不用意に近づけない。
でも徐々に、そんな疑いも無くなってしまう。
そしてこの婚約自体も、幸福なものだと思い込んでしまうのかもしれない。
私は何も言えなかった。
そして何日が経っても、蓄音機も何も言わなかった。
「もう、手遅れなの?」
あれから音楽室に何度も訪れて、蓄音機の前で願ってもそれは叶わなかった。
ヴィオルの声はおろか、雑音の一つも聞こえない。
少しだけで良い。
ほんの少しだけでも繋がれば、書き換わった未来を変えられる筈なのに。
今の私にはどうする事も出来ない。
それだけじゃないわ。
パーティーも近い。
そんな事が頭の片隅に浮かんでしまうのが、堪らなく悔しい。
「お父様……お母様……。ヴィオル……私は……」
手を伸ばしても、手から零れ落ちていくものばかり。
何も受け止められない事実が、ただひたすらに悔しい。
声も上げられず、静かに一筋の涙がこぼれ、その雫が蓄音機に落ちる。
そんな時だった。
『き……える……?』
「!?」
『聞こえる……? お願い、聞こえたら返事をして……!』
突然だった。
蓄音機から女性の声が聞こえる。
切迫するような、縋るようなもの。
やっと、繋がったの?
思わず掴み掛りたくなったけれど、それ以上に衝撃の方が勝っていた。
理由は単純。
この声は、聞き覚えがある。
いえ、聞き覚えがあるなんてものじゃない。
これは、私の声だわ。